【ねこまたぎ通信】

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『オランダ・ハーグより』 春 具 第90回 ----JMM

                              2004年5月28日発行
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JMM[JapanMailMedia]                  No.272 Friday Edition
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■ 『オランダ・ハーグより』 春 具 第90回
  「Out of (South) Africa」

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■ 『オランダ・ハーグより』 春 具                第90回
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「Out of (South) Africa」

 2010年のサッカー・ワールドカップの開催が南アフリカに決まったようです。わたくしはこれをテレビのニュースで見ていたのでキが、FIFA国際サッカー連盟ブラッター会長が「南アフリカ」と書かれたカードを封筒から思わせぶりにゆっくりとりだすと、ヨハネスブルグの広場やレストランやバーでどっと歓声があがった。それはなかなかに感動的な情景でありました。
 わたくしはサッカーは嫌いではありませんがさりとて熱中するほどのファンではない。ゴールがある度に飛び上がって大騒ぎなどすることはない。顔を塗りたくって応援するなどというのは、わたくしにしてみればオコの沙汰である。つい先頃まであちこちのチャンネルでヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグの決勝戦をやっておりましたが、そういうサッカー中継はすっとばして、わたくしはローラン・ギャロスを観ております。スポーツは団体競技よりも個人競技のほうが好みで、それはまあ群れるのが嫌いだという性格によるのかもしれませんが、大勢で一緒に遊ぶのもゴルフのフォアサム、テニスのダブルスあたりがせいぜいである。

 アフリカという大陸も、じつはまだ本格的に訪れたことはなく、行く予定もいまはないが、しかしいずれは行ってみたいと思っている所であります。仕事で大陸北端のエジプトに行ったことはありますが、アレキサンドリアからカイロまで移動しながら、このままナイル川を南下していって(正確には南上になるね。ナイルは南の方が上流なのです)スーダン、エチオピア、ケニヤ、ウガンダを通ってビクトリア湖まで流れつき、そのままジャングルに分け入って、アルテュール・ランボーのように仕事も家族も文明も捨て去って象牙商人になってしまおうかなどとチラッと考えてみたりもしたが、結局カイロに着いたらそのままノコノコと俗世界へ戻って来た。わたくしのアフリカ体験はそんなところであります。

 だから、アフリカの南端にサッカーが来ようが来るまいが、いつもならばそんなことは知ったことではないのですが、それでもワールドカップ誘致に感銘したのは他でもない、わたくしは南アフリカという国に興味があり、ありていにいえばこの国もここまできたのだなあという感慨である。南アフリカはご存じのように17世紀あたりから入植したオランダ、イギリスの白人の子孫による人種隔離(アパルトヘイト)政策のおかげで、1990年くらいまでは鎖国状態だった。自分で鎖国したのでなく、国際社会から村八分、隔離されてきたのであります。

 よかったねえ、ワールドカップ、うれしいだろうと南ア出の同僚(白人である)に言うと、サッカーよりもじつはクリケットの方が好きなこの同僚は、わたくしと同じようにサッカーはどうでもいいけど「それよりもサッカーの経済効果のほうが楽しみだな。それに期待しているんだよ」と言っておりました。わたくしはそれを聞いて、日本も東京オリンピックをしたときには世界銀行から相当の融資が、しかもとてつもない低利子で、受けられたことを思い出したりしました。オリンピックのおかげで日本に資本がたっぷりと流れ込み、それでわが国は戦後復興を完成させたようなものであった。南アに限らずアフリカ一般がそうだろうが、あの大陸は経済の離陸(テイクオフという開発経済用語であります)のためにこういうワールドカップのような大きなきっかけを必要としているのはないかな。ああいう事業は本質的に「村おこし」であって、うまく利用すれば起死回生の願ってもないチャンスなのであります。

 南アフリカはアフリカ大陸の南端にある、それこそあらゆる資源に恵まれた肥沃な土地で、そのために入植した白人たちが東西の冷戦が終了するまで暴力をもって権益にしがみついていた。まあ言ってみれば帝国主義植民地主義の最後の牙城だったのでありまして、白人専制のもとに黒人や他の有色人種を差別し、こき使ってきた。インド独立の志士マハトマ・ガンジーが人種差別を体験して人権問題に目覚めたのは、南アフリカを汽車で走っている時だったというのがリチャード・アッテンボローが監督した映画『ガンジー』のなかのエピソードでありました。

 少し脱線しますが、南ア・アパルトヘイト政権は、隣国の南西アフリカ(いまのナミビア)まで欲望の手を広げ、同様の隔離政策を行っておりました。南西アフリカは国際連盟の頃から連盟の委任統治地域と指定され、南アの管理下におかれました(変形した植民地主義である)。国際連合のもとでこの観念は変わり、これらの地域は特定の国家の管理に任せるのではなく、信託統治委員会のメンバー国が合同で管理することになった。それで南西アフリカもこの委員会の施政下におかれることになったのですが、南アフリカはこれを無視して居座り続けたのでした。挙げ句に南アはこの地域を力づくで自国に併合し、その地域にもアパルトヘイトを敷いた。そのために南アフリカは国際社会から総スカンをくらい、国連の数々の制裁決議だけでなく、いろいろな団体からも追い出された。オリンピックからも、サッカーについていえばFIFAからも追放されたのでした。つまり、長い間、有色人種を隔離(アパルトヘイト)してきたことで国際社会から隔離(アパルトヘイト)されてきたわけですね。南ア白人は資源の独占をすることはできたが、そのために結局自分の首を絞めてきたわけであります。

 1988年になってようやく彼等は世界が変わったことに気がつき、アンゴラからキューバ軍が撤退することを条件に南西アフリカ(ナミビア)を手放す(すなわち独立を認める)ことに同意したのでした。これをうけて国連(当時の事務総長はデクレアル氏)は United Nations Transition Assistance Group (UNTAG)をつくってナミビアの国家建設を支援することにしたのです。

 デクレアル事務総長はのちにフィンランドの大統領になったマルッティ・アハティサーリ氏を特別代表として総勢2000人あまりの文官を送り込んで国家建設の支援をしたのでした。UNTAGの任務は(1)ナミビア全土の選挙の管理(2)新生国家の憲法起草の支援(3)新生政府設立の支援の三本柱でなっていた。このプロジェクトは国連事業としてはそれまでで最大級のものでした。いま主権が返還されたあとのイラク国連が関与するとすれば、こういうことをすることになるのであります。

 ナミビアの独立はそれまで何度も流産しただけに、このときは事務局中に「今度こそ」という高揚感がみなぎっておりました。多くの職員がナミビア・ミッションに志願し、廊下で会うと誰もが君はナミビアに行くのかいと聞くのが挨拶代わりになったくらいである。総じて事務局の半分近くがとっかえひっかえこのミッションに参加したのではなかろうか。

 わたくしのいたジュネーブのオフィスから志願したある同僚はヨーロッパから飛行機を乗り継ぎ、12時間もの長い時間をかけてナミビアの首都ヴィントックに明け方に着いた。そしてその足でランドローバーに乗り込み、ヴィントックから南へ向けてまる一日走りづめに走ってもうじき目的地だというところに来たとき、夕闇にまぎれて道路を横切った影を避けようとして横転し、死亡したのでした。その「影」が人だったのか動物だったのか、そのことについては聞かずじまいのままだが、障害物を避けた車がスキッドして転倒したのは、国連が欧州で調達してアフリカに持ち込んだローバーのタイアがアフリカの鋪装に合わなかったのだと聞きました。あの頃は国連のロジスティックスもまだまだ開発途上だったのであります。

 わたくしは上司に許されず、結局ナミビアには行かなかったが、いまでもあのミッションに行った同僚たちは連絡を取り合っては昔話をしているようであります。国際公務員の黄金時代は1990年代はじめまでだったという説がありますが、その輝いていた時期の一番輝いた仕事がナミビア・ミッションだったのではないかと、わたくしも思っております。脱線、終わり。

 アパルトヘイト政権は様々の悪行を働いたが、そのひとつに白人政権が反アパルトヘイト分子弾圧のために化学兵器を開発し、囚えられていた黒人を相手に人体実験をしたことがあります。その研究の一部始終が極秘に記録されていたのが見つかったというわけですが、大掛かりな調査が行われ、事件の全貌が明らかになった。発覚の発端は些細なことで、つまりこの種の研究は極秘に行われる必要から少数の研究者に莫大な予算と大きな裁量権が与えられ、領収書やメモを残すことなく物資の調達やあらゆる出費が好き放題に認められた。そのために職権乱用・公私混同が生まれ、一介の軍医が美人と5つ星のレストランに出入りするようになったり、自動車を買い替えたり、急に金回りがよくなって怪しまれてしまった、というお決まりのパターンであった。

 調査は軍部だけでなく情報部、内閣府までに広がって真相が明らかになったのですが、この話にはさらにひねりがあって、事件の真相を調査した白人政権は報告書を作ったものの、じつは発表はせず隠蔽を計り、事件そのものを闇に葬むろうとした。ネルソン・マンデラ氏が大統領になって(すなわち白人政権が退場して)はじめて日の目を見たものであります。事件はその軍医の名前をとって Wouter Basson事件と呼ばれ、ひとときメディアの注目を集めた事件でありました。

 南アフリカに民主主義が導入されて10年以上が経つが、国家としての南アフリカはまだまだすることがあるようであります。経済も一昔前とどれだけ変わったというのだろう。都市には立派なビルや建物が林立し、レストランやホテルも一流だというが、そこをほんの数十分走っただけでスラムに入り込んでしまう。わたくしの同僚も自分の家は高台のいいところにあるが、そこまで行きつくにはスラムを走らなきゃあならないのだと言う。富はあいかわらず白人のほうに偏ったままで、その差は5対1という数字なのだということであります。行政のメカニズムは昔のままに杜撰、非能率。役人の汚職が跋扈するなかで、外国資本は入ってこないどころか、逆にどんどん逃げ出しているのだという。資本がないから社会のインフラが整備されず、整備されないから発展せず、社会が不安定だから犯罪率も高いままで、このままでは危なくて観光客も呼べない、すなわちワールドカップなんかできないという意見もあるくらいで、いまのままでは破産国家のスパイラルを走り降りているかのようであります。その意味で、6年後ではあるがワールドカップをもってこれたことは、始めに書いたよう「村おこし」という南ア外交の快挙ということになりましょう。

 南アフリカは人種のるつぼで、黒人(80%)、オランダ系・イギリス系(10%)、カラード(混血)(7%)の他インド系・アジア系(3%)と様々である。パリにマリアージュ・フレールという茶舗がありますね。東京にも店を出していると聞くが、ここで南アのお茶を Metis というブランドにして売っている。テ ルージュ(南ア産のマイルドなお茶)に柑橘類の香りをつけたという、つまりハーブティーみたいな仕上がりでありますが、メティスというのはフランス語で混血という意味である。つまりお茶そのものがいろいろとブレンドされた混血というわけで、これが南アフリカのお茶というところがなかなか興味深く意味深な命名ではありませんか。

 これからの南アフリカ(にかぎらない。どの国もそうだと思うけど)はホワイトだとかブラックなどと言っている暇はないのでありまして、白人支配が終わったらこれからはブラック・アフリカンの時代だということではない、と思うのであります。ジョン・ステュアート・ミルは『自由論 On Liberty 』のなかで民主主義というのは多数のコンセンサスで成立するものではなく、少数の意見がきちんと反映されてはじめて制度として機能するのだといいます。もとよりいまだに特権階級である白人たち(高級住宅地に住んでいるのはいまだに彼等である)を弁護するつもりはありませんが、かつての反動で振り子が白い方から黒い方に触れるだけでは南アフリカの将来は限られてしまうのではないか。「混血」というのは、その意味できわめて予言者的なネーミングではないかな。さまざまな意見という血が混ざっていくことで、すなわちホワイトとブラックが協力しあっていくのならば、アフリカの民主主義は強くなっていくのではないかと思うのであります。

春(はる) 具(えれ)
1948年東京生まれ。国際基督教大学院、ニューヨーク大学ロースクール出身。行政学修士、法学修士。1978年より国際連合事務局(ニューヨーク、ジュネーブ)勤務。2000年1月より化学兵器禁止機関(OPCW)にて人事部長。現在オランダのハーグに在住。
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