【ねこまたぎ通信】

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イラク人は米国を歓迎してない

●The War's One Simple Truth / Iraqis Do Not Want Us

イラク戦争の素朴な真実: イラク人は米国を歓迎してない

by ロバート・フィスク
      (英インディペンデント紙・中東特派員、政治学博士)

カウンターパンチ 4月8日
http://counterpunch.com/fisk04092004.html

 幻想とウソと右翼的イデオロギーにもとづいた戦争は、流血と砲火のなかに沈没するに違いない。
 曰く、サダムは大量破壊兵器を保有していた。彼はアルカイダと連携をとっていて、9・11の人道的犯罪に関係していた。イラク国民はわれわれを花束と音楽で歓迎するであろう。民主主義がもたらされる。 
 サダムの銅像が引き倒されたことさえ詐欺であった。
 わずか2〜300人のイラク人が注目しているもとで、アメリカの軍用車両が引っ張り倒したのだった。みずからそれを倒すべきだった何万人もの人々はどこにいったのか? 誰が彼らの「解放」を祝っていたのか?
 実際に、その最初の日々及び数週間というものは、サダムの圧制からの自由とは、略奪する自由を意味し、放火する自由、誘拐する自由、殺人をする自由を意味していたのだ。
 暴徒にバグダッドほかの都市で暴れるのを許した米・英軍の初期の失敗のあと、あらゆる政府官庁のすべての公式記録を組織的に破壊するという、もっと悪い放火処理班が到着することになった。(もちろん石油省と内務省は米軍部隊によって警護されたが)イスラムの教典や国の公式文書、移動できなかった古代遺物も破壊された。
 まさしく、イラクの文化的独自性が無視されたのだ。
 それでもまだイラク人は「解放」を喜ぼうとしていた。
 だが占領軍は、女性たちが誘拐され暴行されたという報告書を冷たく笑いとばし−−実際、女たちと同じように男たちの誘拐は1日当たり20件、今ではそれが1日当たり100件になっているかもしれない−−、銃を持った男たちや盗賊、そして米兵によって毎日殺されるイラク人市民の数を集計することさえ断固として拒否したのである。
 今でも、約束とウソと混乱が支離滅裂に入り混じっており、200人以上のイラク人がファルージャで米軍の攻撃によって殺されたというのに、米軍スポークスマンにできるのは米軍の犠牲者を発表することだけなのだ。  (訳注:この文章の発表は4月8日付)
 何ヶ月にもわたって、占領当局がケアすべきイラク国民から孤立している状態に匹敵するものと言えば、ウソの見通しと自己欺瞞に包まれた、バグダッド占領軍とその主人たるワシントンを隔てる遠い距離ぐらいのものだろう。
 アメリカのイラク駐在植民地総督たるポール・ブレマーは、レジスタンスを「残党」と呼ぶことから始めた。それは1979年にアフガニスタンに侵略したロシアがアフガンの反対勢力を呼ぶときに使用した言葉と同じものである。
 その後、ブレマー氏は彼らを「ダイハード」(徹底抗戦論者)と呼んだ。ついで彼は「死にぞこない」と呼んだ。
 そしてアメリカ軍に対する攻撃がファルージャとその他のスンニ派イスラム教徒の都市周辺に広がったとき、それはその意味する地域よりも広大で、三角形の形でもなかったのに、この地域を「スンニ・トライアングル」と呼んだ。
 したがって、ブッシュ大統領アブラハム・リンカーンイラク戦争から帰還途中の米航空母艦)に乗船し、「すべての任務完了」と大書した横断幕の下で、「主要な軍事作戦」は終了したと発表したとき、そして米軍への攻撃が増え続けているとき、それは戦後イラクに関する章を書き改めるときでもあった。
 ラムズフェルド米国防長官によると、現在「外国人戦士」が戦闘中だという。そして、ただ一人のアルカイダ工作員さえもイラクで逮捕されておらず、アメリカが「治安拘束」している8500人のなかにイラク国外から来た者はわずか150人(2%)程度と見られているのに、アメリカのメディアはこの(ラムズフェルドの)ナンセンスな解説に追随してきた。
 その後、冬が来てサダムが拘束されても反米レジスタンスが続いているときに、占領当局とそのお気に入りのジャーナリストたちはイラク内戦の危険性を警告したが、イラク人の誰もそんなことに没頭せず、イラク人の誰もそうした議論を聞いたことがなかった。
 イラクは今、服従するように脅迫されているのだ。米軍と英軍が撤退したら、何がおこるだろうか? と。もちろん内戦のことだ。内戦を望んではないだろう? と。
 もし占領当局が最近ベイルートで開催されたアラブ統一研究センターによるイラク問題会議の結論を研究する気になっていれば、彼らは自分たちが認めることのできないものが何であるかに気づいたかもしれない。それは、彼らの敵対者がイラク国民であり、これはイラク人の反乱なのだということである。
 ファルージャに住むイラクの大学教授スリーマン・ジュメイリは、反乱者として殺害された者の80%がイラク人のイスラム活動家であったと認めた経緯を話してくれた。殺された男性のうち、わずか13%は主として民族主義者であり、また、わずか2%がバース党員だった。
 しかし、このような統計はわれわれに受け入れがたい。なぜなら、もしこれがイラク人の反乱であるなら、どうして彼らは解放に感謝しなくなったのか? 
 (※ 訳注: 全体が皮肉のこもる文章であり、しばしば米国の立場
  を「われわれ」という主語で語っている)
 そこで、4人のアメリカ人傭兵が1週間前にファルージャで殺され死体が切断されて通りを引き回された残虐行為のあと、イラク駐留米軍の司令官サンチェスは非常識にも「Operation Vigilant Resolve用心深い決意作戦」と呼ぶ軍事行動を認可した。
 すると今度は、サドルの数千人のシーア派民兵がアメリカ軍との戦闘に参加し、サンチェス将軍はもう一度戦術を変更しなければならなくなった。もはや彼の敵は、サダムの「残党」でも、小さな犯罪者集団であるアルカイダでさえもなくなった。
 サンチェスは、イラク国民は彼らの支配に入ることを認めないだろうと述べた。「裏切り者の民兵には居場所はない」と。そうして海兵隊ファルージャに突入し、女性と子どもも含めて200人以上のイラク人を殺した。他方、バグダッドの貧困街サドル・シティーの武装グループに対しては、戦車砲攻撃ヘリを動員した。
 米軍の司令官に引き継がれた新たな自己欺瞞がいかなるものかを理解するには、1日ないし2日を要した。なんと、彼らは全国的な反乱に直面していないし、すべてのイラク人を再び解放しているというのだ! そう、もちろん、これは「主要な軍事作戦」なんかを意味しない、と。
 サドルが指名手配リストに挙げられたのは殺人容疑であり、不思議なことに何ヶ月も前に発行されたというのに、その逮捕令状についてわれわれは何も知らされておらず、サンチェスの副官キミット准将はサドルの民兵は「壊滅される」だろうと自信を持って語った。
 そんなことだから、血の粛清はイラク全土にもっと広がっている。クートとナジャフは今や占領軍の支配下にはない。
 そして新しい失敗のたびに、新しい希望が語られる。
 昨日は、サンチェス将軍が「目標を鮮明に下」彼の軍隊に「全体的な信頼」と置いているということを話していて、どのようにファルージャで新たな「進展」があるか−−彼が実際に言った言葉を引用すると−−いかに「新しい夜明けが近づいた」かを述べた。
 この言葉は、まさしくアメリカの最高指揮官がちょうど1年前の今日、米軍がイラクの首都に進軍し、ワシントンがバグダッドの頑固者に勝利したと自慢したときに語った言葉でもあった。
 (Robert Fisk: ロバート・フィスクは、英紙インディペンデントの特
派員で、カウンターパンチの話題の新刊『反ユダヤ主義の政治学』
の著者でもある)
 ※ 参照: ロバート・フィスクについて(日本語)
 http://www.geocities.co.jp/Hollywood/1123/annex/fisk/

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