【ねこまたぎ通信】

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 性的暴力 - 戦争の道具としての性的暴力

http://www.msf.or.jp/special/sexual_violence.php


■1.戦争の道具としてのレイプ
戦争によって、少女を含めた女性はとりわけ弱い立場におかれる。社会経済システムが崩壊するなか、女性、少女、さらには幼い子どもたちまでが、レイプされたり、拉致されたり、性的奴隷になることを強いられたりする。家を離れて避難しなければならないときも、家族とはぐれて無防備なまま暴力に曝されることが多々ある。安全あるいは単に食料や避難場所と引き換えに、性を提供することを強いられることもある。

こういった戦時におけるレイプや性的暴力は、以前より件数が増加しているだけでなく、組織的に行われるようになってきている。レイプは少女や女性を狙った戦争の道具となっているのである。

こうして見ると、性的暴力は、戦争や避難生活という状況の単なる結果として生じているのではない。それどころか、住民の一部(多くの場合はある特定の集団)を不安に陥れ、脅すための戦争の道具として意図的に使われているのである。性的暴力は被害者を痛めつけ屈辱を味わわせるだけでなく、その家族やときには共同体全体を深く傷つけるため、被害者はしばしば社会から疎外されてしまう。また不幸なことに、たいていの場合は戦争が終わってもレイプは終わらない。

MSFがその活動の中でこの問題に初めて直面したのは、1990年代のことである。ボスニアでは、組織的なレイプが民族浄化戦略の一環として行われ、セルビア人の子どもを産ませるために女性たちがレイプされていた。ルワンダでは、虐殺の最中にツチ族の女性に対するレイプが行われた。推定によると、虐殺を生き延びた女性のうち30万から50万人がレイプの被害にあっていたと見られている。

エイズの蔓延により、レイプはいまや凶器となっている。暴露後予防措置 (PEP:Post Exposure Prophylaxis)を含む迅速な医療処置を受けられるか否かは、生死に関わる問題である。性的暴力の被害者を治療、サポートし、新たな性的暴力の発生を防ぐために、行動を起こす必要がある。この問題はあまりにも長い間、沈黙と無関心に支配されてきた。このような状況はもう十分である。


■2.加害者は罰せられるべきである
残念なことに、性的暴力の加害者は罰せられないことが当たり前になっている国もある。レイプやその他の性的暴力行為は戦争犯罪として認められるようになってきてはいるものの (現在ではレイプは国際刑事裁判所の憲章の中で明確に言及されている )、国際機関や各国政府の反応は、これまでのところ曖昧で不十分なものにとどまっている。

地域、国、国際社会のそれぞれのレベルで、この法的処罰の問題に取り組み、性的暴力の発生を防ぐために必要なあらゆる方策を採らなければならない。たとえ国際法においてであれレイプが 国際刑事裁判所憲章 第7条 (1) g:強姦、性的奴隷化、強制売春、強制妊娠、強制断種またはその他同等の重大な性的暴力は人道に対する罪とみなされる。

処罰すべき犯罪として言明されることは、患者の治癒に重要な影響を及ぼすことが被害者のカウンセリングを通じて指摘されている。しかし現状では正義がまったく欠如した容認すべからざる事態がまかり通っている。政治的・軍事的な政策決定者たちが行動を起こす決心をしない限り、性的暴力は止まないだろう。


■3.レイプの影響:女性・少女の受ける傷
・医療的側面
性的暴力が身体に与える影響ははかりしれない。命にかかわる重傷を負う場合もある。また多くの被害者が、HIVエイズなどの性感染症に感染する危険に曝される。強要された性交渉には傷害や出血が伴うためウイルスの感染が生じやすくなり、レイプの間に感染するリスクは非常に高い。

レイプされて望まない妊娠をした女性が、医者にかからずに中絶を試みることもある。MSFは、そのような処置が原因で骨盤の炎症や敗血症に感染した患者を見ている。リプロダクティブ・ヘルスに関する問題としては、月経の停止や周期の異常、不妊などが他にあげられる。

・心理的側面
レイプされたことは、長期間にわたって心理的なトラウマとなって被害者を苦しめる。それは精神疾患として現れることもあれば、恥辱感や罪悪感、睡眠障害、日常生活上での困難、引きこもりなどのような目立たない形で現れることもある。また多くの女性が、恐怖や不安、レイプの記憶のフラッシュバックが続いていると訴えるが、このような現象は、殺される、もしくは手足を切断されるかもしれないという恐怖を経験したことによるものである。日常的に気分が優れないことや、食欲不振、性欲の欠如を訴える患者もいる。性欲の減退や性交痛はとくによく見られ、家族生活や家族関係を大きく損なう原因になっている。不安は激しい動悸を引き起こし、また悪夢やその他の睡眠障害による疲労のために日常生活に支障が生じることも多々ある。

・社会経済的側面
性的暴力による肉体的・心理的なトラウマに加えて、レイプされた女性はしばしば共同体から非難され、ひどい場合は夫に捨てられることさえある。辱められ疎外された女性は、貧困のなか自力で生きていくことを余儀なくされる。被害者たちが社会における生活と自分の完全な居場所を取り戻すためには、レイプ被害者に対する偏見を取り除くことが不可欠である。


■4.MSFの活動
性的暴力問題への取り組みは容易ではなく、文化的な問題など、被害者への適切な治療とサポートの提供を妨げるさまざまな障害がある。基本的な医療すら存在しない緊急事態や準緊急事態での活動では、個別の治療やカウンセリングを行う余地などないという実情もある。しかし、私たちには治療を提供する責任がある。

MSFは性的暴力の被害者に対し、患者の秘密保持が保証された環境で、包括的で質の高いケアを提供する努力を続けている。私たちは傷を治療し、事後避妊薬や性感染症の予防措置などを提供している。性感染症予防にはHIVエイズも含まれており、被害後の感染を防ぐために抗レトロウイルス薬 (ARV) の投与を行っている。この薬はレイプから72時間以内に投与されなければ効力を持たないということも、迅速な医療提供が大切な理由の一つである。

性的暴力がしばしばタブーになっているという事実を踏まえれば、この問題について人々の意識を高め、治療が受けられるという情報を広める広報活動もまた、医療の提供と同様に重要である。いくつかのプロジェクトでは、MSFは心理社会的なカウンセリングを行っている。多くの場合女性たちは、このカウンセリングで初めて胸の奥にしまっていた感情を吐き出すことができる。彼女たちは考えを共有し、受けた苦痛が他者から認知されることを感じる。心理社会面での支援は、対処メカニズム(Coping Mechanism)や自己制御の能力の回復や強化を目的にしている。


■5.各国の状況の概要
MSFは、数多くの活動国で性的暴力の被害者の治療とサポートを行っているが、ここではそのうちの4例を紹介する。ただし、ここで取り上げられている国がすべてアフリカ諸国であるからといって、他の地域では性的暴力が生じていないわけではない。それどころかこの選択には、チェチェンパキスタンアフガニスタンなどのようにレイプに対するタブーや不名誉意識がより強く、レイプされたことが家族に気付かれると追放されたり殺されることもある国々では、性的暴力の被害者を支援することがきわめて難しいという事実が反映されている。

コンゴ民主共和国 (旧ザイール)
コンゴ民主共和国東部では1998年から内戦が続いており、数限りない犠牲者が出ている。かつては活気のある町だったブニアでは、2003年5月6日から12日まで続いた2つの反政府勢力の衝突によって数百人が殺され、数万の人々が避難を余儀なくされた。残された住民は2つのキャンプに逃避したものの、そこでの暮らしもたちまちきわめて劣悪なものになった。

ブニアでは、性的暴力は女性に対する戦争の道具として組織的に行使された。被害者の数が最多になったのは、衝突の最中の5月ではなく12月だった。この時期、町は多少落ち着きを取り戻したものの、犯罪が頻発しなお危険な状態にあった。MSFは5月にブニアに診療所を設け、6月末には性的暴力の被害者の治療を開始した。診療所を訪れる女性の数は日を追って増え続け、7月から12月の間にMSFが治療した女性の数は822人にのぼった。

診療を重ねるごとに、女性たちは心を開き、恐ろしい経験を話すようになった。被害者の多くは13歳から25歳の間だった。およそ27%は、2日から数ヵ月にわたって拘束され、家内奴隷や性的奴隷として搾取された。45%の女性が集団レイプされ、53%が複数回にわたってレイプを受けている。また、7%の女性はその後夫や家族から受け入れを拒否されている。

こういった苦痛を経験し、今なおそれに耐えている女性たちは、心身の健康を大きく害しており、治療を必要としている。被害者たちは、MSFの診療所で処置・治療を受け、初めて自分の経験について話すことができるようになる。より高度な心理ケアが必要な患者は、心理療法を行う組織である、「心理療法センター(CIP)」で治療を続ける。


ブルンジ
性的暴力はブルンジでも蔓延している。正確な被害者数は不明だが、性的暴力は武装した戦闘員が集落に侵入するときに頻発している。MSFは2003年3月にRuyigi病院でレイプ被害者を対象とする活動を開始して以来、平均して月に10人から15人の患者を診察している。幸運なことにほとんどの被害者が、ときには25kmを歩きとおしてでも被害後72時間以内に病院を訪れている。そのためMSFは、事後ピルや性感染症に対する総合的な治療などの暴露後治療を彼女たちに提供することができる。また希望すれば、エイズ検査を受けることもできる。

医療処置に加えてカウンセリングも行われており、スタッフがそれぞれの女性の話を記録する。MSFは、Moso地方のKinyinya病院では11月にレイプ被害者の治療を開始し、ブジュンブラではその2ヵ月前に女性のための保健センターを開設して、家族計画や性感染症関連の活動だけでなく性的暴力の治療を始めた。同センターは「国境なき弁護士団(Avocats Sans Frontieres)」と協力して法的責任追及の可能性を追求すると同時に、医療および精神的ケアを提供している。開設以来患者の数は増加する一方で、9月の40人から翌2004年1月には92人にのぼっている。またMSFと協力しているいくつかの地元の団体は、MSFの活動に関する情報を女性に広めたり、性的暴力に関する認識を高めさせる活動を行っている。

被害者への偏見をなくし、できる限り多くの人が迅速に治療を受けられるようにするには、この微妙な問題について人々の意識を高めることが非常に重要である。それには2つの側面がある。ひとつは、レイプは人権侵害であり、被害者に責任はないことを明確にすること、もうひとつは治療を受けるには、72時間以内に医師の診察を受ける必要があると(隠れた)被害者に知らせることである。これらのメッセージは、国営ラジオ放送、保健センターの横断幕やポスターを通して、もしくは病院の待合室で直接女性たちに話をする機会を設けるなどして伝えられている。「このデリケートな問題について伝えることは、確かに簡単ではありません。『レイプ』を意味する言葉はここで話されているキルンジ語には存在しないのです。何度も話し合いを重ね、私たちは『暴力による性的関係』ということにしました。しかも、ブジュンブラの言葉はここの人々には馴染みがないかもしれないので、ブジュンブラで作られた横断幕をRuyigi用に作り替えなければなりませんでした。」と、活動の副責任者であるマリア・モラは言う。


コンゴ共和国
コンゴ内戦(1998-2000)のあいだ、レイプは戦争の道具として使われ、ブラザビルのマケレケレ病院では、1,300人以上のレイプされた女性が治療を受けた。現在、同国は平和を取り戻し復興の途上にあるが、この犯罪は民間人や兵士によっていまなお犯され続けている。

2000年以来、MSFは首都ブラザビルのマケレケレ病院で性的暴力の被害者の治療を行っている。2003年1月からは、同様の活動が首都の別の地域にあるタランガイ病院でも始まった。患者は本名を伏せたまま、無料で事後ピルや性感染症治療、エイズの検査と予防などの処置やカウンセリングを受けることができる。孤立し社会から排斥されている患者が多いため、基本的な行政サービスを受けるために必要な登録や書類の入手を支援する社会的なサポートも行っている。またレイプによって妊娠した場合には、妊娠中、および出産後も母子ともに無料で診療が受けられる。

これまでにおよそ900人を超える女性がMSFの診療所で治療を受けている。被害者は生後6ヵ月から69歳にまでおよんでいるが、その55%以上が13歳から25歳のあいだの年齢である。

国際女性の日である2003年3月8日に、ブラザビルのMSFチームは「レイプを許さない!」と名付けた広報キャンペーンを行い、レイプを取り巻く沈黙を破ることを決めた。このキャンペーンの目的は、人々にレイプという重大な問題に目を開かせると同時に、MSFが2つの病院で行っている活動と被害後72時間以内に診察を受けにくることの必要についての情報を広めることにあった。


リベリア
2003年10月、MSFはリベリアの首都モンロビアの近郊でレイプや性的暴力の被害者の治療を開始した。夏の間、モンロビアは反政府勢力「リベリア和解民主連合(LURD)」とチャールズ・テイラー大統領(当時)の部隊の間の戦闘によって破壊しつくされ、一般市民は恐怖におののいていた。地元では「第一次、第二次、第三次世界大戦」と呼ばれている3回にわたるLURDの攻撃以前も、この国では14年もの間内戦が続き、国土は荒廃しきっていた。8月に大統領が亡命し、暫定政権が発足したにもかかわらず、同国の政情不安と非人道的な状況は解消されていない。

この戦争中に、残忍な性的虐待や暴力を受け、家族から引き離されて両軍の兵士により「性的奴隷」として扱われていた女性、少女、子どもはかなりの数にのぼる恐れがある。まだとても幼い子どもたちまでが暴行を受けている。避難民キャンプで暮らしている27歳の女性は、MSFのスタッフに自分の経験を次のように語った。


「一昨日(2003年6月21日)、私は森へ薪を探しに行きました。そこで、銃を持った三人の政府軍の兵士に出くわしました。そのうちの一人に、『どこへ行くのだ』と聞かれました。私は薪を探しに行くところだと答えました。すると、兵士は『お前は今日一日、俺のものだ』といいました。私はとても怖くなりました。彼は私を森の奥まで連れて行き、服を脱がせました。そして私をレイプしました。行為のあとに私が服を着終わると、兵士は私から50リベリア・ドル奪いました。私はキャンプに戻りました。昨日は気分がとても悪かったです。胃がひどく痛んだのですが、医者にかかるお金がありませんでした。」

彼女はそれ以前にも二回レイプされている。最初は1990年、14歳のときのことで、二度目は1994年のことである。このときは、三人の男に集団でレイプされたということだ。

MSFの活動は、内戦中に家を捨てて逃げてきた避難民が住むモンロビア北部の三つのキャンプを拠点にしている。リベリア人スタッフの多くは、自身もキャンプに暮らす避難民である。彼らはキャンプ内で無料治療が受けられるという情報を広め、またレイプ被害者に治療を受けに来るよう勧める役割を果たしている。この活動の開始以来、次第に多くの女性や少女が治療を受けに来るようになり、現在ではおよそ300人の患者が治療を受けている。ここでは、淋病やクラミジア、梅毒などの性感染症の治療と、B型肝炎ワクチンの接種が行われている。被害から3日以内にやってきた患者は、妊娠を防ぐための予防措置とHIVエイズに感染するリスクを低下させる予防措置を受けることができる。残念なことに、被害から長時間が経過しているために、これらの治療を受けられない女性も多い。性的暴力による精神的トラウマに苦しんでいる多くの患者は、International Rescue Committee(IRC)やセーブ・ザ・チルドレンに紹介され、そこで心理社会的ケアを受ける。