【ねこまたぎ通信】

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これが「普通の国」なのか*陸自本隊イラクへ出発(2月4日)

 陸上自衛隊イラク派遣本隊第一陣約九十人が千歳から出発した。
 三月下旬までに総勢約四百五十人がイラクの地に立つ。空自、海自を合わせれば千人を超える規模の自衛隊員がはるか遠くの「戦争状態」の国へ動員されることになる。
 米英軍によるイラク攻撃とその後の戦争状態について、隊員たちは胸の内は別にして、なぜイラクがこうなったのかと問うことはできない。

 日本はなぜ、この戦争を支持し、連日のように続くテロ攻撃で死傷者が増えつづける中に自衛隊を派遣しなければならないのか。国民全体が、それを問い、考えなければならない。

 戦後日本の大きな転換点を、派遣隊員たちがその身で具体的に示す。彼らの安全を祈るだけではすまない。

*人を救う組織という伝統

 本隊は旭川の第二師団を中心に道内部隊で構成する。なぜ北海道なのかと言えば、旧ソ連軍に備え装備・態勢が充実していることと、国連平和維持活動(PKO)で海外経験の実績を積み重ねてきたためだという。

 旭川は戦前、軍都と呼ばれ、旧陸軍第七師団が置かれていた。このため第二師団にも、「精強」といわれた旧七師団への評価を重ねる声がある。

 だが旧七師団の日露戦争ノモンハン事件、第二次大戦でのガダルカナル攻防などの戦歴を列挙することに意味があるとすれば、出征した兵士たちの悲惨を考えることしかない。

 人命軽視の戦争観や現実性を欠いた作戦指導のために、絶望的な戦いを強いられ、膨大な犠牲を出した。そうした戦いばかりである。

 自衛隊は旧日本軍ではない。

 自衛隊派遣を声高に言い、旧軍と同様に考える者がいる。国際紛争の場にカネも自衛隊も出す「普通の国」になることを主張する者も少なくない。

 だが政府が憲法を無視するかのような政策を押し通してもかまわないという国は、普通の国ではあるまい。

 攻撃を受けた場合のみ、正当防衛として武力を行使する専守防衛を戦後日本は国是としてきた。憲法九条とも折り合う形で国民の合意がなされてきた。自衛隊員もその例外ではない。

 作家の城山三郎さんは災害救援などで国民とふれてきた自衛隊について「軍隊組織に似ているが性質は全く違う」とし、「人を殺すのではなく救うことを使命とする世界でも例のない存在」と述べている。

 イラク派遣は自衛隊をその誇るべき伝統とは別の方向に向かわせるのではないか。そうした懸念は、城山さんだけではない。国民の多くも、そして自衛隊員も共有しているはずだ。

*日米同盟があるから派遣

 自衛隊派遣は、小泉純一郎首相がブッシュ米大統領に約束した。この昨年五月の時点では、イラクの現在の状況は予測されていない。

 それでもなお、米国に従うことが日米同盟であり日本の国益と、派遣の既成事実化を進めてきた。そこではイラク復興は本来の目的ではない。

 派遣のためのイラク復興支援特別措置法ですら、憲法との微妙な両立を可能にした、根幹の部分が意味を失おうとしている。

 「非戦闘地域」という規定だ。

 政府が現地の状況に合わせて解釈をあいまいにし続けてきた結果、自衛隊の活動地域を制限するどころか、派遣不可能な場所はなくなった。

 自民党内からも派遣は特措法違反との指摘があり、衆院本会議での派遣承認案に対する棄権や欠席となった。

 日米安保体制は、軍事的連携を強めて日米同盟となり、対象地域も極東、アジアから中東まで拡大してきた。

 イラク派遣が今後の前例となれば、自衛隊は米の意のままに世界中で米軍と行動を共にすることになりかねない。だからこそ派遣に同意できない。

 自衛隊は今年が創立五十年だ。国外で武力行使した経験はない。

 大日本帝国の歴史、第二次大戦後も米英仏や中ソなどがアジア、アフリカで重ねた軍事行動に比べて、これも世界に誇るべき伝統のはずだ。

*復興へのデザインを欠く

 「戦争に行くのではない。人道・復興支援に行くのだ」と小泉首相は繰り返す。その一方「テロに屈することはできない」と、犠牲が出ることを織り込んだとみられる発言もある。

 隊員たちが語る使命感、任務の遂行と、PKOなどでは例のない武器の携行。その大きな落差と矛盾をだれよりも感じているのは隊員自身だろう。

 イラク復興をどのように支援するのか、という具体的なデザインを日本は持っていない。治安状況も、自衛隊派遣の障害とはしたくないために真剣に把握しようとはせず、どのような状態になれば撤収するのかも示さない。

 自衛隊への丸投げ、が実相にもっとも近い。

 ただ、日本への過剰な期待の反動で現地サマワの住民が失望や不満を強め、自衛隊が窮地に陥ることだけは避けなければならない。何ができるか、政府は早急に提示すべきだろう。

 自衛隊イラクに派遣され、戦闘の当事者となれば、「戦後」という言葉の意味が変わるかもしれない。だが第二次大戦後に築き、守ってきたものを簡単に失うわけにはいかない。

 不断の緊張を強いられる派遣隊員、彼らの帰国を待つ家族の思いと、政治のあり方を考える。なし崩しに「普通の国」にならない。そう決意したい。

北海道新聞