【ねこまたぎ通信】

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すでにシビリアンコントロールは失われている

自衛隊発足50年

イラクに教訓収集班

 「必要最小限の実力部隊」(過去の政府答弁)として発足し、きょう一日で半世紀。命令に従うことだけが求められた自衛隊は、さまざまな海外活動の経験から、自ら判断し、行動する自立した「軍隊」へと脱皮しようとしている。シビリアンコントロール文民統制)は、なし崩しのうちに有名無実化しかねない。 (社会部・半田滋)

 イラクに派遣された陸上自衛隊の中に、「次の海外派遣」に備えるための情報収集を専門に行う隊員がいる。陸自の頭脳である陸上幕僚監部(陸幕)から、ひそかに送り込まれた「教訓収集班」だ。

 イラク派遣と国連平和維持活動(PKO)との違いは、「日本独自の判断」で部隊を送り込んだこと。国連からあてがわれた任務を忠実に実施するPKOと違い、イラクでは「どこで、何をするのか」を自衛隊が主体的に決めている。

 実は「自立の芽」は、今年五月まで二年間続いた東ティモールのPKOで生まれた。

 東ティモールには、PKO参加国の代表者が集まった「国家派遣代表部」があった。PKO部隊が任務を行う「軍令部」とすれば、活動内容を現地のPKO本部と調整し、部隊に指示する「軍政部」に相当する。

 各国は国家派遣代表部に大佐を送り込み、大使館や外務省と協議して活動内容を決めていた。日本からは少佐級の三佐が送り込まれたが、格下では調整にならず、重要な会議には派遣部隊長の一佐が参加し、活動内容を決める方式をとった。

 その際の協議先は外務省ではなく、主に陸幕であった。

 ここで重要なのは、日本だけが軍令と軍政を混在させていた点にある。しかし、教訓としてイラク派遣に引き継がれたのは「調整機能の強化」だけ。渉外・総務を担当する「イラク復興業務支援隊」の隊長を大佐級の一佐とし、部下として九十人もの隊員を派遣した。

 陸自幹部は「海外派遣を決めるまでは国会で大論戦が展開されるが、送り出した後は制服組任せ。自分たちで情報を集め、決断するしかない状況に追い込まれる」という。

■軍政参加の意欲強く 

教訓収集班が注目したのが、派遣部隊と同じサマワで活動するオランダ軍の手法だ。治安部隊とは別に「民生協力部隊」と呼ばれる公共事業発注の専門部隊を持ち、製図から入札まで工事発注の一切を引き受けている。

 同様の組織は各国の軍隊にもある。住民の不満が爆発しないよう、治安維持と復興業務を同時進行させるのが軍の常識だからだ。

 別の陸自幹部は「年内には改定される『防衛計画の大綱』で、自衛隊の海外派遣は重点項目になる」といい、民生協力部隊をモデルにした新組織の必要性を強調する。その際、自由に使える予算を持つことが不可欠という。軍政への参加意欲は強い。

 だが、自衛隊は五十年前、軍政部門を切り離して誕生した。背広組の防衛庁内局幹部は「旧軍は巨額の予算を持ち、計画と執行、つまり軍政・軍令を一手に握っていた。『いつか来た道』に戻らないよう余分なものをはぎ取り、自衛隊を実力部隊に特化してきた過去がある」と解説する。

 とはいえ、かつては憲法上の制約から「できない」とされた自衛隊多国籍軍への参加がすでに実現した。過去のいきさつより、明日の貢献策が優先されれば、名前は自衛隊のまま海外展開可能な「軍隊」へと変身しかねない。

東京