被爆地広島でテニアン島中高生が「平和探し」 '03/4/17
■立ちすくんだ原爆きのこ雲 戦争は何の助けにもならぬ
米軍の原爆投下機「エノラ・ゲイ」が飛び立った北マリアナ諸島連邦テニアン島(米自治領)の中高校生たちが、その原爆で壊滅した被爆地広島を訪れた。「世界情勢が不安な時期だからこそ、平和について学ぶ意義がある」。自分たちで旅費を工面するなどした「平和探し」の旅を追った。
▼旅費づくり
十六日、広島市中区の原爆資料館を八人で回った。原爆きのこ雲の写真に「ノー」とつぶやき、立ちすくんだのは中学三年ニキタ・メンディオラさん(14)。八時十五分を指して止まった懐中時計、大やけどを負った被害者の写真に、顔をしかめながら近づく。
「米国領の人間として罪悪感を感じる。戦争は何の助けにもならない。私たちは戦争開始の決定を下す人間に、抗議していかなければいけない」と声を絞り出した。
高校三年クオン・キ・ピング君(18)もつぶやく。「ホロコーストだ」
テニアン島には、原爆搭載地の記念碑がある。ピング君ら高校三年生は昨年八月から学内でパーティーを開き、入場券を売って旅費にした。原爆が何をもたらしたのか、自分たちで確認したかったからだ。
▼体験談聞く
「自分は米国籍だし、政府の決めたイラク戦争に口出しできない、と思っていた」と話す生徒会長の高校三年アダム・サンチェス君(18)。「でも資料館を見たら、身につまされ、人ごとではなくなった。今は、イラク戦争を仕掛けた米政府は間違っていたと感じる。平和的な解決は、できなかったのだろうか」
広島入りした十五日の夜、宿舎で被爆者岡田恵美子さん(66)=東区=の体験談も聞いた。
岡田さんの姉を奪ったのは、自分たちの島から送り出されたエノラ・ゲイと原爆。高校三年エルドレッド・シャイ君(17)は「原爆の威力を知らされていたら絶対に止めていただろう」ときっぱり。「これからは、問題解決のための方法を考えなければならない。お互いが友情を育てていかないといけない」と、言葉に力をこめた。
一行は十七日午前、広島を離れ、大阪経由で帰途についた。