【ねこまたぎ通信】

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 正義と民主主義をもたらすはずの軍隊のやったこと Abu Graib刑務所収容者の供述 2004年6月1日 供述調書翻訳チーム 5

宣誓供述調書 No.9

9−1〜2
場所 ティレ バグダッド矯正施設
日時 2004年1月16日 15時22分
名前 Ameen Saeed AL−SHEIKH
社会保障ナンバー:151362
組織:バグダッド矯正施設、アブグレイブ イラク
階層/状態 : 市民/拘留者

アミーン・サイード・アル・シェイクは、以下の陳述を宣誓して行ないます。私はアミーン・サイード・アル・シェイク。2003年10月7日に逮捕され、アブグレイブ刑務所に送られました。そこで一晩テントに置かれました。その夜、1時間か2時間おきに、看守たちが来て私を拷問と懲罰で脅かしました。2日目に建物に移されました。私が入る前に、兵士が私の頭に砂袋をかぶせました。その後は何も見えません。建物の中に私をいれ、怒鳴り始めました。彼らは私を裸にし、「お前はアラーに祈るのか?」と聞きました。
「イエス」と答えました。彼らは「くそったれ」「アラーもだ」と言いました。兵士の一人は「お前は元気でここから出られないぜ。不具者になるだろう。」と言いました。そして彼は言いました。「お前は結婚しているのか?」「イエス」と答えました。彼らは「お前の姿を見たら彼女はがっかりするだろうよ。」一人が言いました。「俺が彼女に会ったらがっかりさせないぜ。レイプしてやるからな。」それから私をシャワー室に連れて行き、砂袋を取りました。その兵士は黒人でした。彼は私にシャワーを浴びるように言い、そして私をレイプすると言ったのでとても恐ろしくなりました。それから、また砂袋をかぶせられて、独房に連れて行かれました。次の5日間は寝られませんでした。彼らが私の房にやってきて、何時間も何時間も立って置くように言ったからです。外のドアをバターンと閉め、独房に恐ろしい音が響き渡りました。この黒人兵が私をもう一度シャワー室に連れて行き、私の体をじろじろ見ながら立っていました。また私をレイプするつもりだと脅かしました。
その後彼らは私の尋問を始めました。私が嘘をついたので、彼らは私を激しい拷問で脅かしました。それから別の取調官が来て、「本当のことを言えば、ラマダンの前にできるだけ早くここから出してやろう。」と言いました。それで、私は本当のことをしゃべりました。
それから4日後キャンプに連れて行かれて、もうその取調官たちと会うことはありませんでした。
新しい取調官がやってきてまた尋問しました。私が本当のことを言った後、彼らは私が嘘をついていたと責めました。キャンプに18日間いたあと、建物に連れて行かれました。取調官にその理由を聞いても知らないという答えでした。ラマダンが終わる2日前、取調官が一人の女性と通訳を連れてきました。彼は私がもう少しのところで終身刑になるところだと言いました。彼はその言葉で尋問をはじめ、その言葉で尋問を終えました。ラマダンの終わった最初の日、「発砲」事件が起こりました。私は体に数発の銃弾を打ち込まれ病院に運ばれました。その病院でスティーブという取調官がやって来ました。そして刑務所に戻った時には最も激しい拷問だと私を脅しました。彼に「こんな目にあってみじめだ。」と言うと、「今言うんじゃない。後からもっと惨めな目にあうぞ」と言いました。7日後、彼が言いました。「お前を拷問にかけたら、お前は当然だと思うか?」「なぜですか?」と聞くと「もっと情報がほしいからだ」と言いました。私は「知っていることは全部話した。」と言うと「刑務所にもどったらまた会おうぜ。」と言いました。17〜18日後、病院からアブグレイブ刑務所に戻されると、彼は私をどこかに連れて行き、看守が私の頭にピストルをあてました。彼は「今すぐにでもお前を殺してやりたい。」と言いました。そこで一晩過ごし、次の朝、建物に連れて行かれました。そこで私を怒鳴ったり、ついたり、ひっぱったりしました。正門から私の房まで歩かせました。歩かないと折れた私の足を殴るんです。体はひどい格好になっていました。独房につくと松葉杖をとられ、それ以来戻ってきません。独房の中で裸になれと言われ、毛布も服も何も与えられませんでした。1〜2時間ごとに兵士が来て殺すと脅かしたり、拷問したり、一生ここから出られないと言ったり、グアンタナモ海岸へ移すと言ったりしました。一人の兵士は私を撃ちそこなったので、今度はやってやると言いました。彼は独房に銃やナイフを持ってきて私を撃つつもりだと言いました。時には、彼らは「お前を死にたいと思わせてやる。しかし、死ねないんだ。」と言うのです。夜警の看守が来ました。彼の名はグレイナーです。彼は房のドアをあけ大勢の兵士と一緒に入ってきました。彼らは私に豚肉を無理やり食べさせ、口に酒を入れました。豚肉を私の鼻や額に置きましたが、その豚肉はとても熱かった。看守たちは私の折れた足を固いプラスティックの棒で何回もたたきました。彼は自分の足が撃たれたといい恐ろしい顔をして私に報復してやると言いました。彼らは私を裸にしました。一人が私をレイプすると言いました。彼は私の後ろに女性の写真を持ってきて、私にお尻を持ちながら恥ずかしい格好で立たせました。誰かが聞きました。「おまえは何かを信じているのか?」「アラーを信じる。」と答えると。「俺は拷問を信じる。だからおまえを拷問する。俺が国へ帰っても、後からきた奴におまえを拷問するように言っておく。」と言いました。彼らは私に手錠をし、ベッドにつるしました。彼らは私にイスラムを呪うように言いました。私の折れた足を殴るので、私は自分の宗教を呪う言葉を言いました。彼らは私が生きていることをイエスに感謝しろと言いました。言われたとおりにしました。私の信仰に反して。彼らは私が意識をなくした間、ベッドにつるしたままにしておきました。目がさめてもまだベッドと床のあいだにつられていました。
右手の3本の指は今でも感覚がありません。ベッドの上に座っていると、一人の看守がドアのところに立って私に放尿しました。そして「グレイナー、こいつ自分で小便かけてるぜ。」と言いました。グレイナーがやってきて笑いました。数時間後、グレイナーがやってきて手錠をはずしたので眠りました。朝、知らない人たちがきて、私に侮辱的な言葉を言い、拷問すると脅かしました。2日目の夜、グレイナーが私を房のドアにつるしました。私が「肩の骨が折れたことがある。また折れるんじゃないか。医者が腕を背中に回してはいけないと言っているし。」と言っても「かまやしない。」と言いました。それから、8時間以上も私をドアにつるしました。苦痛で1晩中叫んでいました。グレイナーたちがやって来て、「痛いだろう?」と聞くので「はい。」と答えると、「それでいいんだ。」と言って、私の後頭部をたたきました。その後兵士が一人来て手錠をはずしました。私の右肩と手首はひどい格好になり、とても痛みました。(ドアにつられた時、何回も気を失いました)それから眠りました。朝私は医者に肩の骨が折れていると言いました。腕が使えなかったからです。痛みもありました。彼は私の肩を調べて「ほかの医者を連れてこよう。その人に診てもらえ。」と言いました。次の日別の医者が私を診て病院につれていきレントゲンをとると言いました。次の日病院でレントゲンをとりましたが、医者は「肩の骨は折れていない。そんな形をしているだけだ。」と言い、刑務所に連れ帰りました。刑務所に出入りするたび、独房まで這っていかなければなりませんでした。私は歩けなかったから。次の日、ほかの兵士たちが来て私の裸の写真を撮りました。彼らは私を侮辱し脅かしました。その後取調官が来て、私に銃を渡した人物を写真の中から教えるように言いました。その人物は写真の中にはいませんでした。そう言うと、彼らは拷問するぞと脅かし、毎晩武器を持った兵士とやって来て同じ質問をすると言いました。そして、私の頭に銃を当て殺すと脅かしました。時々は犬を連れてきて、私をドアにつるし、犬に私を噛ませようとしました。
これが1週間以上続きました。
Q IEM
A アミーン・サイード・アル・シェイク
Q グレイナーが囚人をぶつのを見たことがありますか?
A いいえ。
Q グレイナーや他の看守が、囚人を裸にして積み重ねるのを見たことがありますか?
A いいえ。
Q グレイナーや他の看守が囚人の写真を取るのを見たことがありますか?
A いいえ。
Q グレイナーや他の看守が虐待中に囚人の写真をとるのを見たことがありますか?
A いいえ。
Q グレイナーや兵士が、囚人をぶっている時に写真をとっているのを見たことがありますか?
A いいえ。
Q 兵士が裸の囚人たちに上に乗り合うように指示しているのを見たことがありますか?
A いいえ。
Q 看守やアメリカ兵が裸の囚人に性交の姿勢をとるように命令したのを見たことがありますか?
A いいえ。

翻訳者
署 名
Grawdat HUSSEIN
訳者、分類?型
タイタン株式会社
キャンプドーハ クェート
配属
因人への尋問/尋問チーム
第10憲兵大隊
第3憲兵
アブグレイブ刑務所組織
アブグレイブイラク軍郵政局