【ねこまたぎ通信】

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 嘘八百のこの世界

ザルカウィ神話はどのように作られたか [イラク情勢ニュース]


☆★ザルカウィ: 米国が作った幽霊
 Zarqawi: A Bogeyman Made by the US
ブレンダン・オーニール(Brendan O'Neill) 2006年6月10日
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http://www.antiwar.com/orig/oneill.php?articleid=9119
(ANTI WAR.COM)


さて、アブ・ムサブ・アル・ザルカウィなる人物が死んだ。おそらく、これで、その神話(作り話)も一緒に葬り去ることができるだろう。この神話は、ここ数年間イラクで活動してきたヨルダン生まれのザルカウィが西側文明にとって最大の脅威の一つだった、というものであり、彼が1人でイラクの改善を妨げ世界にテロを広げてきたというのだ。
実際、ザルカウィは孤立したとるに足りない暴徒であった−−少なくとも、米・英当局者が彼を全天候型の幽霊に仕立てあげて世界で最も邪悪な人間だとラベルを貼ることに決めるまでは、そうであった。その過程で、彼らはザルカウィに名声と悪名を与え、このとるに足りない人物を見出しになるテロリストに変えていった。間違えないでほしい、「ザルカウィ」とは西側プロパガンダの製造物なのだ。

ザルカウィはこの3年間に姿を現した。2003年1月まで、彼はCIAさえ「一匹オオカミ」という謎めいた人物だった。彼はヨルダン生まれで、80年代末にソ連の傀儡政権と戦うためにアフガニスタンに行ったことが知られている。1990年代には、「背教者」としてヨルダン王制の打倒に固執したらしく、7年間はヨルダンで刑務所に入れられた。彼は2002年に米国のアフガニスタン戦争で負傷し、後に急進的なイスラム主義組織アンサール・アル・イスラムとともに避難場所を求めてイラク北部に逃げた。有志連合軍の大規模な戦争が終わったあと(たぶん2003年半ばに)、占領軍を相手に騒ぎを起こす目的で、彼はしばらくイラク本土に移ったと考えられている。要するに、背教者と戦うために機会を探して旅する他の多くのジハーディスト(聖戦士)と変わりはない。
しかし今、有志連合軍に占領されたイラクに移動してほんの3年のあいだに、ザルカウィは最も悪名高い暴徒となり、彼の死はイラクだけでなく世界全体にとっても偉大な勝利だと称賛されたほどだ。米国政府は彼を「イラクで最重要の手配者」と描きあげ、彼の首に2500万ドルの懸賞金を掛けた。それはオサマ・ビン・ラディンの捕縛につながる情報提供への懸賞金額と同じだ。事実、ザルカウィはこのところビン・ラディンを脇役に追いやったみたいで、2004年の『ニューズウィーク』記事の言葉を借りると、「世界で最も危険なテロリスト」になった。世界の多くの国の政府が「彼の死に驚いた」と報道された。まるで1人の人物に全国民を宗派抗争と流血に追い立てることができるかのように、彼は今でも「イラクを内戦に向かわせよう」としてきたと非難されている。巨悪がついに消えて再び皆が安らかに眠れるようになったと証明するために、彼の死体の写真は世界中に配信された。
2003年から2006年のあいだに流星のように現れたザルカウィの出現は、どのように説明されてきただろうか? 彼はどうしたら、ある戦場から次の戦場へと渡り歩く「一匹オオカミ」のような存在から、国際的に有名になるまでになったのだろうか? これほどに彼が持ち上げられたのは、ザルカウィの側にビジョンなり力があったからではない。そう、彼はゾッとするような斬首と流血の自動車爆弾をすすんで組織したと証言したが、彼はイラク人ゲリラのなかでは大した意味のない人物であり、現地ではほとんど支持されてなかった。イラクでの冒険(=侵攻と占領)が恐るべき過誤になりはじめたとき、毒づく相手としてどうしても幽霊役を必要としたことから彼を悪魔の権化(ごんげ)に仕立てあげたのは、むしろ米・英の当局者であった。要するに、「ザルカウィ」は西側のプロパガンダが書いたシナリオを演じたのだった。
ワシントン・ポスト紙の2004年10月3日付記事によると、ザルカウィは「1年半前まではヨルダン国外ではかろうじて知られている」程度だった。もっと正確に言えば、2003年2月までだ。イラク戦争が始まる6週間前の2003年2月5日、米国務長官コリン・パウエル国連で演説し、それがザルカウィを初めて世界の関心事にした。周知のように、この演説のなかにイラク大量破壊兵器について見え透いたタワゴトが盛り込まれたのだが、パウエルはザルカウィイラク北部にいて、そこで彼はアンサール・アル・イスラムに訓練をつけアドバイスしているといわれると述べ、さらに「イラクアルカイダの怪しげな関係」の証拠として、ザルカウィバグダッドに行ったといわれていると述べた。これは4ヶ月前、2002年10月7日のブッシュ大統領によるテレビ演説に続くもので、ブッシュはそのとき「今年、バグダッドで治療を受けたアルカイダの重要な指導者」に言及していた。
パウエルの演説が謎めいた一匹オオカミだったザルカウィを国際舞台に勢いよく登場させた。彼は事実、それまでは「かろうじて知られる」程度だったのだ。2001年後半から2002年のニュース報道では、アルカイダについては毎日報じられていたときにも、ザルカウィはたまにしか記事にならなかった。英紙ガーディアンを見ると、彼は2001年にはまったく登場せず、2002年には2度しか書かれなかった。その2回とも10月7日のブッシュ演説のあとである。BBCニュースの2001年と2002年のオンライン保管書庫には、ザルカウィへの言及はない。それがパウエル演説のあとにはザルカウィが話題になり始めた。2003年のガーディアンでは23本の記事が彼に言及し、2003年のBBCニュースでは50本の記事に登場する。「かろうじて知られる」存在から悪名高い人物への転換は、ブッシュとパウエルのおかげだった。
まさしく最初から、ザルカウィの力と影響力は米国当局者によって誇張されていた。2002年と2003年の米国当局者の声明を聞くと、ザルカウィアルカイダとサダムのイラクの「怪しげな関係」を仲介するほどに、両者の内部に影響力を持っていたのだと皆さんは考えたことだろう。だが私たちは今やそれはタワゴトだったことを知っている。怪しげだろうと何であろうと、アルカイダバース党の間には何の関係もなかった。当時、ザルカウィアルカイダとの結びつきは最も弱く、また、彼がサダム政権となんらかの関係を持っているという証拠は何もなかった。2003年に発行された書籍『アルカイダ−−テロの影の配役』の著者ジェイソン・バークによると、ザルカウィは「ビン・ラディンとなんらかの接触を持っていたかもしれないが、忠誠の言葉をのべたことは一度もなく、サウジや彼の同僚とも公式の関係を持ったことはなかった。1990年代にアフガニスタンで生活し仕事をしてジハードに加わることを許された何千人もの活動家の中の1人にすぎなかった。バークによると、ザルカウィは「アルカイダとなんら実際の関係」を持ってなかった」。
ザルカウィバース党と連携しているとしてパウエルが示した証拠は、彼が2002年以降イラク北部にいたことと、何らかの治療を受けるためにバグダッドに行ったことに基づいている。だが、イラク北部は1991年の第1次湾岸戦争以後に国連によってサダムの統治からもぎ取られ、イラク人クルドの安住の地となった領土である。そしてザルカウィが参加した(といわれる)アンサール・アル・イスラムは、バース社会主義に激しく反対していた。ザルカウィはサダムと連携するよりは、むしろ、ビン・ラディンみたいに明白に反サダムであったろう。
西側政府の高官は、さらに、ザルカウィイラク大量破壊兵器を開発中だったと主張した。パウエルは2003年2月に、「(イラク北部のザルカウィのもとにいる)1人の専門家が毒に汚染された・・・。彼はリジンほか毒物の製造作戦を指南している」と述べた。2003年3月30日にイラク北部でアンサール・アル・イスラムの基地を有志連合軍が破壊したとき、イギリスの大衆紙ザ・サンは、「証拠:毒物のリジンを製造していたイラクのテロ基地は同盟軍の電撃作戦によって粉砕された」と書いた。それもまた根拠のない主張だった。攻撃後数日内にその基地に行った記者は、「化学兵器が貯蔵されたり使用された証拠はない」と述べた。米国高官の1人は、後に、いかなる大量破壊兵器も発見されたとは知らされてない」と認めた。
私たちが確認できることは、自分たちの戦争を正当化するものを必死に見つけようとする有志連合軍の高官がザルカウィにたどりついたということである。最初は、イラク戦争9・11事件への仕返しのように描くために、彼らはザルカウィアルカイダとサダムを「結びつける人物」というレッテルを貼った。次には、大量破壊兵器による脅威を根拠にしたイラク侵攻の判断を正当化するために、彼らはザルカウィイラク北部で化学兵器を製造しているというウワサを広めた。本当のところは、ザルカウィイラク北部にいる期間に化学兵器あるいは他の大量破壊兵器の材料を開発していたという証拠は何もない。
常にザルカウィの役割をオーバーに話すことによって、米国高官はイラク北部に潜伏しているこの一匹オオカミを実際と違うものへと格上げした。すなわち、国際的な活動家、前例のないテロリスト、悪魔の権化へと。だから有志連合軍から付与された新しい力を試すために、ザルカウィが2003年にイラク中部への冒険する決意をしたとしても、驚くことはない。
ザルカウィが2003年からイラクで戦い始めたときでさえ、その時期に彼はひじょうにゾッとする事件を幾つか起こしたが、有志連合軍は彼の役割を誇張した。米国と英国の高官たちは彼をイラクにおける主要な「平和への障害」として描きあげたが、サダム政権からの避難民でありロンドン・メソポタミア大学の上級講師であるサミ・ラマダニの研究は、イラク人ゲリラによって遂行された何千件もの攻撃のうちザルカウィの名でなされたものは少数しかないことを明らかにした。ラマダニは、さらに、「ライク国民の大多数はザルカウィおよびザルカウィのようなタイプを拒絶している」ことを明らかにした。
現在、遂に邪悪なザルカウィの世界から抜け出したことについて、ブッシュもブレアも世界の報道人に大げさな声明を発表してみせているが、今から1年半前の2004年年末、イラクで活動する米国のスパイ工作員は、ザルカウィがゲリラの中心人物だという間違ったキャンペーンを張ってザルカウィの株をあげるのを助けたかもしれないと認めた。ある人物はオーストラリアの新聞ザ・エイジに次のように語った。「確固たる事実としてザルカウィについての話や憶測情報を提供した者には、われわれは基本的に1万ドルを払って、イラクで攻撃が発生するたびに彼を中心人物に仕立てあげている」と。この工作員はさらに、「われわれはザルカウィが人間というよりは神話(作り話)であると結論しなければならない」と話を続けた。
この神話を創作したのは有志連合である。ザルカウィの脅威を言いたてるなかで、彼らは事実を歪(ゆが)めたばかりでなく、彼の乱暴な作戦をあおりたてた。彼らはザルカウィの役割を邪悪なテロリストの黒幕として描きあげ、彼は喜んでその通りに演技した。『イラクのゲリラ活動−−ザルカウィと新しい世代』の著者であるロレッタ・ナポレオーニは、ザルカウィはアメリカ製の神話を現実のものに変えたと述べた。「いなか者のいじめっ子から雑魚(ざこ)のジハーディストへ、さらにイラクアルカイダ指導者へと、彼は周囲で編みあげられた伝説を取りいれていった。2003年2月に戻ると彼は無名のジハーディストだが、(2005年までに)彼は文句なしの最重要手配のテロ指導者になった」。
ザルカウィのテロ作戦は予言通りに結果をだす演出だった。2003年に米国の政治家がこの無名のジハーディストを拾いだし、彼にテロ指導者のラベルを貼った。また、2003年に彼らはザルカウィアルカイダの指導的人物だと述べ、実はそうではなかったのだが、後にビン・ラディンザルカウィを「イラクアルカイダ」指導者に指名し(2004年)、彼は指導者の1人になった。2004年および2005年を通して、西側諸国の当局者とジャーナリストがイラクでの彼の役割を誇張し、あらゆる攻撃の背後に彼がいるとほのめかした。ザルカウィの力量を大げさに言いたて、彼が活動しつづけるよう助長したことは疑いない。有志連合の指導者はザルカウィを悪魔と描き、ザルカウィの方は米国人の人質ニック・バーグを斬首する自分自身のビデオを公開することによって、描かれた通りに演じてみせた。あらゆる場面で、ザルカウィは有志連合の間違ったプロパガンダを実演した。ナポレオーニは次のように書いている−−「アブ・ムサブ・ザルカウィはヨルダン当局とクルド人諜報機関および米国政府によって前年に書かれた予言を自演した−−彼は神話(作り話)をゾットする現実に変えたのだった」と。
ザルカウィ演劇の終幕は彼の死である。それは有志連合の高官によって、民主主義にむけた偉大なる日、イラク前進する偉大な一歩と賞賛された。だが血にまみれた殺人犯ザルカウィのために涙を流す人々は多くない。存命中の彼のジハーディストとしての奇行を私たちはそれ相当に評価すべきなので、私たちは彼の死もそんなものと見なしている。イラクが安定せず非民主主義的なのは彼が原因だったわけではなく、彼が死んだところで大した違いは生じないであろう。彼が死んでしまった今、私たちはイラク社会に対する戦争と占領の影響について適切な議論をすべきだろう。

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Brendan O'Neill 筆者について
http://www.sourcewatch.org/index.php?title=Brendan_O'Neill

ブログ:
http://www.brendanoneill.net/ZarqawiDeath.htm


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オリジナル(英字):
  http://www.albasrah.net/moqawama/english/iraqi_resistance.htm
  英語への翻訳・編集 Muhammad Abu Nasr
日本語版はイラク情勢ニュース(URUK NEWS)のコンテンツです
  http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/ 
  メール宛先 uruknewsjapan@ybb.ne.jp  

参照
��(゚◇゚;) ゲッ ザルカゥイ死んだの? って(爆) - 【ねこまたぎ通信】

http://www.h7.dion.ne.jp/~fttb/mg/flash060620.html
http://www.the7thfire.com/Politics%20and%20History/9-11/9-11_hijackers_still_alive.htm
http://www.tribalmessenger.org/headlines/hijackers-alive-and-well-september-11th.htm

もう十分でしょう.


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