【ねこまたぎ通信】

Σ(゜◇゜;)  たちぶく~~ Σ(゜◇゜;)

 レジタンス勝利宣言 

勝利かどうかはともかく,米軍がボロボロなのは確か.

URUK NEWS イラク情勢ニュース        (転送・紹介歓迎)
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2005年1月25日 火曜日 Tuesday, 25 January 2005

[飛耳長目録 today's news list] 
 ☆レジスタンスはファルージャで勝利宣言、他の戦場へ移動
     イラクレジスタンス・レポート 1月23日

☆★レジスタンスはファルージャで勝利宣言、他の戦場へ移動

  Iraqi Resistance Command proclaims Victory in al-Fallujah,
  evacuates city to fight elsewhere.
Iraqi Resistance Report for events of Sunday, 23 January 2005

http://www.albasrah.net/moqawama/english/0105/iraqiresistancereport_230105.htm

 ファルージャにいるイスラム・メモの通信員は23日、イラクレジスタンスが22日土曜日の夜、市内南部から引き揚げる戦術上の決定をおこなったと伝えてきた。その地域の大部分は、2004年11月8日に始まったアメリカ軍の猛攻前から彼らが掌握してきたところでである。レジスタンスは、ここ2日間の激戦で奪い返したシュハダ地区、ジュバイル地区、ナザレ地区の一部から撤退しつつあり、ファルージャの南部からも引き揚げることを決定した。
 この撤退は軍事上の作戦によるものであり、イラクイスラムレジスタンス司令部はファルージャの戦闘におけるレジスタンスの勝利宣言を発表した。この発表はファルージャ近くで開かれたレジスタンスおよびその指揮官の集会において、23日午前10時、ファルージャ戦線の指揮官によって告知された。発表はレジスタンスのすべての部隊と各分遣隊にむけて読み上げられた。
 証言によると、声明は、「君たちは、ファルージャの過去および現在の戦闘において、神がわれわれを支援してくれたことを知っている。われわれは少数だが、われわれに敵対したユダヤ人、クリスチャン、背教者は大勢だった。われわれには神以外になにも頼るものがなかったが、神は最良の支援者である」と述べた。
 「諸君も知っているように、君たちが世界最強の軍隊を跳ね返し、受け流し、うち破ることができたのは、神が米軍よりも強かったからだ。神の助けを得て、君たちはその軍隊をうち破ることができた。彼らを何千人も殺し、やはり何千人もにケガを負わせた。さらに多くの装備を破壊した。・・・君たちは米軍と戦い、彼らの好敵手だった。君たちはムハンマドの跡継ぎとなり、さらに強くなったことを示した」。 ・・・
 イスラム・メモ通信員は、ファルージャレジスタンスが市から引き揚げる決定をした理由の一つとして、全国のレジスタンス・グループがファルージャレジスタンスに戦闘を他のところに引継ぎ、彼らの戦闘経験を広めるよう呼びかけたことを指摘した。
 23日(日曜日)の声明は、次のように続けている。 「そこでイラクイスラムレジスタンス司令部は、すべての戦闘部隊と聖戦の軍隊を代表して、名誉と栄光の都市、アメリカ兵の墓場となったファルージャから引き揚げることを決定した。それは気高い勇者を保護し、異教徒の占領軍がイラクの自由な土地から出ていくまで、何年も使い尽くされることのない兵器をたずさえて、イラクの領土を守る戦いをあらゆるところで遂行するためである。われわれは新たに戦闘を開始するであろう。それは氏族の戦闘の再現である」。
  ※氏族の戦闘: ヒジュラ歴5年の戦闘
 ・・・
 観察者は、ファルージャの出来事が(ヒジュラ歴8年の)ムタの戦闘に似ていると記した。そこでは3000人のモスレム(イスラム教徒)が20万人のビザンティンの大軍と戦い、3人の司令官が殉教したあと、新たな改心者だが軍事に熟練したハリド・イブン・アルワリドがモスレム戦士の指導者となった。ハリドはモスレム戦士を再結集し、その戦術を改革し、ビザンティン軍が大軍の有利さを発揮できないようにした。日没後、彼はトリックを使って、モスレムに大勢の援軍が来たかのようにビザンティン軍に思いこませ、モスレムは少数だったがビザンティン軍に大損害を与えた。ビザンティン軍はついに撤退し、モスレムの軍勢はメディナに帰った。帰りつくまでは、多くの司令官が殺されたというニュースが広がり、兵隊は逃げ出したとして非難された。しかし預言者ムハンマドは、彼らは逃亡したのではなく、目的をもって撤退したのであり、彼らは再び前進するだろうと宣言した。
 日曜日のレジスタンスの声明はさらに続いている。 「そうだ、兄弟たちよ、われわれはファルージャの戦闘に勝利したのであり、敵はこの事実を認めた。彼らはファルージャの戦闘を目撃したあと、アメリカの陸軍士官学校で教えている内容を変えなければならないと語った。ニューヨークの一区画ほどの大きさもないが、われわれファルージャの住民とここに移住した人々は、3ヶ月間、公然と抵抗してきた。われわれはそのことに誇りをもってよい。彼らはわれわれを敗北させることも、屈服させることもできなかった。われわれが望むなら、今でも、ファルージャの東から西まで掃討し、彼らを一日で壊滅させることができるのだと理解したまえ。それは可能なことであるが、われわれが望んでいるのは、わが戦士を保護したうえで、彼らの隊列に大損害を与えることなのだ。」
 「われわれはそのようにしてきたし、これからもそうするだろう。 私はこの声明を届け、私自身と君たちのために、すべてのモスレムのために、神のもとへ避難する。君たちの勝利を称賛したまえ。この勝利は君たちの明日の勝利であり、神の意思である。君たちに平和が訪れんことを!」
 イスラム・メモの通信員は、戦士たちが「アッラー以外に神はない!」「神は偉大なり!」 「われわれはここにいます。神よ、われわれはここにいる!」と唱和しはじめたと報告した。
 ファルージャの戦闘は、南北4キロ、東西4.5キロの地域で勃発した。その後、最近の2ヶ月間、レジスタンスの掌握する区域は南北2キロ、東西4.5キロに狭まった。
 イスラム・メモの通信員がレジスタンス戦士の肩に担がれて運び出される数百の米軍兵器を確認したあと、日曜日の午後3時、最後の戦士部隊が堤防とユーフラテス川を経由してファルージャをあとにした。だが、レジスタンスによって掌握されてきた市内南部の居住区には、通信員がこのレポートを書いている時点で(メッカ時間午後8時40分)、アメリカ兵の姿は見えない。臆病(おくびょう)なアラブの報道機関はアメリカ軍の支持通りに報じたがるので(事実を報道してなく)、アメリカ軍はイラクレジスタンスのワナだと恐れているか、あるいは、レジスタンスがこの地域から引き揚げる決定をしたことに気づいてないのだろう。
 イスラム・メモはファルージャについてのレポートに断絶があったことを詫(わ)び、次のように説明した。イスラム・メモはファルージャでのできごとを間近から伝えるために、全イラクで最も優秀な通信員8人をファルージャに派遣した。そのうちの2人は戦闘を取材中に重傷を負った。彼らは米軍の攻勢が始まってからは、治療のために市外に出られなくなった。その結果、1人は傷のまわりが壊疽となっている。
 別の2人の通信員は逮捕され、12日間もアメリカ軍に投獄されていた。彼らは釈放されたあと市内を離れ、カルマ(北東)、サクラウィヤ(北西)、アズラキヤ(西)、ハバニヤへ通じる道路、アミリヤ(南)、アブグレイブ(東)から戦闘を取材した。
 通信員チームは、戦闘の詳細を伝えようとして、火薬まじりの空気を吸い、夜は爆発の明かりに照らされた。イスラム・メモの通信員たちは、包囲され退路を断たれたことも10回あった。それほど戦場の最前線に接近していたからである。一方、有名なアラブ衛星テレビの特派員は、市内のできごとをアミリヤト・アル・ファルージャ(=ファルージャ近郊の地名)から取材していたが、まるで市内の激戦地から報道しているような口ぶりであった。
 イスラム・メモは、アラブおよび世界のメディアが90日間続いたファルージャの戦闘を無視したことを記しておきたい。彼らはわずか13日間しか報道しなかった。米軍はレジスタンスの掌握する地域では、いかなる写真映像も示すことができず、市内南西部のジュバイル地区ではイラク赤新月社の救急車が入ったとき以外、現場を見せることをしなかった。

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※ イラクレジスタンス・レポート
    http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/Iraqi_resistance.html
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