【ねこまたぎ通信】

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『南からの声 ジンバブエ・レポート』 秋山寛 第55回

「空回りする戦争、空回りする議論」

 イラクで殺害された2人の日本人外交官のご冥福をお祈りします。日本の方が多くの情報が伝わっていると思いますので、特に私がここで書く必要はありませんが、今まで、彼らの名前さえ知らなかったものが、彼らの言葉の一片だけを切り取ったり、神格化することにより、持論の正当化に利用しているのを見ると、非常に憤りを感じます。
 アフリカでも、多くの民族紛争・内戦・テロが起き、また現在も続いています。思いつくものだけでも、ソマリアエリトリア、南ア(アパルトヘイトへの抵抗運動)、ルワンダのツチとフツの抗争(日本では、ツチ族フツ族という呼称で通っていますが、「部族」という言葉にはいろいろと議論があります。また、別の機会があったらふれてみたいと思っています)、日本のPKOも関わったモザンビーク、そして一昨年、ようやく内戦が終結したアンゴラなどなど。

 たとえばアンゴラでは、1975年に社会主義国として独立した際、それに反対するUNITAが蜂起し、内戦が始まりました。アンゴラ政府軍はソ連の、UNITAはアメリカの軍事支援をそれぞれ受けており武器などの供給は潤沢だったため内戦は長期化しました。結局、独立以来、1〜2年の短い停戦をはさみながら30年近く続いたのです。

 途中、1993年から和平への動きが本格化し、1994年11月にルサカ和平協定が調印されると、国連アンゴラ平和監視団の支援を受けた和平プロセスが進められ、1997年には、ようやく統一国民政府が出来ました。しかし、翌1998年には、大統領選挙を契機にまた内戦が再発し、結局、2002年まで和平は遠のいたのです。

 最後の数年、特に2000年以降は、UNITA側は、ほとんど「大規模盗賊団」に近い存在になっていました。物心ついたときから内戦しか知らず兵士でいることしかスキルがないため食糧生産などできず、農村を襲撃して食糧を調達するしか生き延びる術を知らなかったからです。ですから、政府軍との戦闘は、一か月に一度くらい散発的にあるだけでした。それでも、何時どこで戦闘が始まるかわからないという状態に変わりはないので、国内は荒れたままでした。UNITA側が戦闘を終わらせなかったたため、2年近くも、ロスしたのです。内戦のけりをつけたのは、UNITAのザビィンビ議長の死です。もし、ザビィンビが存命なら、今でも内戦が続いていたでしょう。

 あまりイメージが無いかもしれませんが、国対国の戦争は、国際法に基づいて、宣戦布告から終戦までの一連の手続があるのです。しかし、対ゲリラ戦では、当然、始まりと終りの手続などあるはずは無いので終結が難しいのです。ゲリラ側からすれば、時々、交戦していれば、戦争をいつまでも維持できるのです。それに対抗する側は、常時警戒をし緊張し続けなければならず、ものすごい消耗を強いられることになります。

 イラクにおいても、このまま不安定な状態が続いた場合、テロ組織を強化させることとなり、テロのターゲットを世界に拡大することにつながります。当然、日本もこの消耗戦に巻き込まれます。世界中が消耗することになります。

 セキュリティのため、煩雑な手続のための時間とコストが必要になった場合、食糧自給率を考えても、産業構造を考えても、自由な国際交流への必要度が高い日本がどのような影響を受けるかということにあまりにも無頓着ではないでしょうか。

 ただ声高に自衛隊の派遣を取りやめることだけを主張している場合もありますが、それで、事態は解決するのでしょうか。また、したり顔で、「そら言わんこっちゃない、だから反対したのに独断で話を進めるからだ」というだけの反応も、日本のムラ社会の感覚しか持ち合わせていない意見です。

 つまり、日本村のルール、公約が適当にごまかされ、その場限りで終わっていくというのが、国際社会でも通用すると思っているのです。少なくとも、「仕方ないなあ」ではなく、「日本はミスを犯した。我々には罰則としてぺナルティを課す権利がある」というのが一般的です。つまり、総理大臣が公の場で発表したことを覆すということは、経済活動でいえば、契約違反です。それは、多額の違約金を、慰謝料を払わなければならない事態であることを認識しているでしょうか。また、合法的に選出され、代表権も賦与されているのですから当然、その者の責任はあなたの責任でもあるのです。

 時間をかけて議論を尽くしてからという意見にも疑問を感じます。いままでそのようなことが可能だったことがあるのでしょうか。逆に、全ての国民が同じ意見だったら、恐ろしい全体主義です。

 しかし、たとえ反対の湾岸戦争のトラウマや国のメンツだけを根拠に自衛隊派遣を主張するのも根っこは同じです。

 いずれにしろ、自衛隊派遣という単発的な話で済むことではなく、「これから日本は、どう世界と関わっていくのか」という世界観をべースに話をする必要があるのではないでしょうか。それ抜きに話をしているため、いわば互いの暗黙知の部分が互いに認識されないため、議論がかみ合っていない、というか議論になっていないのではないでしょうか。

 だれが、何のために、置かれた状況や制約条件は、といった前提を統一しないで議論するのは、単なる個人の思いつき・思い込みを話しているだけであり、議論が深まっていきません。発展のない独り言であり、やはり思考停止です。

 援助の実施のような、多数の民族、言語のメンバーで議論する時で、しかも現場サイドの会議では、行為の主体者、言葉の意味などの共通認識を作るのにイライラするほど時間をかけます。でも、そのおかげで、後のトラブルは驚くほど少なくて済むのです。欧米で行われる会議では、欧米勢は我が物顔で好き勝手な主張をするのですが、それが嘘のようです。アフリカでは、アメリカもヨーロッパも、よそ者であるという正しい認識を持てるからでしょうか。

 遠くから見ていて、あまりに生産性のない言葉の羅列に虚しさを感じます。遠くから想う日本がそんな状態でありつづけるのは、あまりにも哀しすぎます。


秋山寛
早稲田大学卒。東京で情報通信・金融関係での勤務を経て、現在は、主として金融面からアフリカ開発をサポートする業務のため南部アフリカのジンバブエ共和国ハラレ在住。