天安門事件から14年、関係者ら「真相解明」求める
中国の民主化運動が武力弾圧された1989年6月の天安門事件から、来月4日で14年がたつ。同事件に深く関与した元政府当局者や知識人は今なお、共産党が「反革命暴乱」と断定した事件の再評価と真相解明を望んでいる。胡錦濤新政権に民主化進展への期待を寄せる思いもある。(北京 浜本 良一)
「事件が武力鎮圧されたから、その後の中国経済は発展したという人がいるが、間違いだ。鎮圧がなく、政府が腐敗や民主化に真剣に取り組み、法治国家への道を考えてきたら、経済はもっと発展していたはずだ」受話器の向こうから、鮑トウ(ほうとう)氏(71)の力強い声が返ってきた。事件当時、鮑氏は党中央政治体制改革研究室主任で、趙紫陽・総書記の懐刀だった。事件後7年間、牢獄(ろうごく)にいた。北京市内の自宅には、今も当局の監視の目が光る。
新政権に対しては「(胡総書記、温家宝首相の)2人の力は限られている。最善の方法は大衆の意見を聞き、大衆の力を動員すること。情報が公開され、民主化された法治国家を築くべきだ。それが達成できたら、2人を21世紀の政治家と呼べる」と述べ、冷静な分析の中にも淡い期待ものぞかせる。
学生を天安門広場から立ち退かせようと説得した女性作家の戴晴さん(61)が言う。「新指導部が新型肺炎(重症急性呼吸器症候群=SARS)問題でウソの発表をするなと言い、情報公開したのは画期的だった。しかし、政治改革に乗り出すかどうかはまだ不明。いま胡氏は党内で孤立しないよう一歩一歩慎重にやっている」
事件当時、北京知識界連合会を組織し、民主化運動を進めた歴史学者の包遵信氏(65)は「新指導部は社会的弱者に関心を寄せ、ある程度の人心を得ている」と語る。ただ、事件再評価に関しては、「庶民は自分の生活向上だけに関心を向け、知識人は動きだそうとしない。その上、(同事件を機に総書記になった)江沢民(軍事委主席)らが影響力を保っている。近い将来の再評価は難しい」と分析した。
事件の真相は今も不明だ。戴さんは「まず事実をはっきりさせるべき。単純な事件の再評価には反対する。誰が戦車を動員し、弾圧を決定したのか、死傷者は何人だったのか。詳細を調査すれば責任の所在は明確になる」と語る。
デモに参加中の高2の息子を亡くし、他の遺族を捜して連絡を取り合って政府に補償を求めている丁子霖・元人民大学助教授(66)は、江蘇省の夫の実家で涙声に語った。
「これまでに182人の死者の遺族を捜し出した。うち13人は遺骨もない行方不明者。ほかに身障者になった約70人も見つけた。それでも被害者全体の一部にすぎない。ある不明者の中学生の息子は学校で、『李鵬(当時の首相)は殺人者』と書き、それを見た教師が当局に通報、少年は3年間の少年刑務所送りになったことも分かった」
丁さんは8年前から毎年、中央指導者に公開書簡を送り、〈1〉事件の再調査と結果の公表〈2〉遺族への報告〈3〉損害賠償〈4〉責任者の処罰――などを求めているが、返事はない。逆に治安当局に監視される身となった。書簡に共同署名した遺族が当初27人だったのが、今は117人にまで増えたことが心の支えだ。
丁さんは、「あの事件から14年、今SARS問題で庶民に再び災難が降りかかった。2つの事件は異なるように見えるが、情報が隠ぺいされた中で独裁政治がもたらした悲劇という点で共通項がある」と、党・政府を批判する。
鮑氏が最後に、事件再評価に関してこう言った。
「党中央がどうあれ、大衆の間で事件はとっくに再評価済み。私が知る限り、武力弾圧を正しかったなどと言う人はいない。その点、党が大衆に後れを取っている。党が大衆を指導するのでなく、大衆が党を指導する状況なのだ」
◆天安門事件=1989年4月に急逝した胡耀邦・前総書記(当時)の追悼行動が大規模な民主化運動に発展。学生らは北京・天安門広場を占拠した。軍が6月3日夜から4日未明にかけて武力鎮圧、多数の死傷者が出た。趙紫陽総書記は「動乱を支持し、党を分裂させた」として職務を解任され、失脚した。
(鮑トウ氏のトウは「丹」に「さんづくり」)
(2003/5/29/01:12 読売新聞 無断転載あいかわらず歓迎)