【ねこまたぎ通信】

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 反米・従米・親米・嫌米:第15部 メキシコ「あまりに近く」/4

反米・従米・親米・嫌米:第15部 メキシコ「あまりに近く」/4

 ◇物分かりのいい労組−−低賃金の町に米企業流れ

 メキシコ人はおとなしくなった。荒くれ者のイメージはもうない。10年ほど前まで、労働争議があると労組の指導者がガンベルトと散弾銃を下げ、乗り込んできたものだが、そんな話はとんと聞かない。企業に刃向かうような労組は姿を消した。

 そんな指導者の一人にアガピート・ゴンサレス氏がいた。米国国境の町マタモロスで、01年に85歳で亡くなるまで労組の議長をつとめた。賃上げで米企業をゆする「こわもて」の半面、情があり、恵まれない女性らの面倒をよくみた。葬儀には墓地の外まで参列者で埋まり、朝まで泣き声が響いたという。

 マリア・ランヘルさん(62)は30年前、夫と長男を事故で失い、子供5人を連れマタモロスに来た。「国境に行けば何とかなると聞き、アガピートさんに事情を話すと『そりゃ大変だ』と職を与えてくれ、子供の教育も手配してくれた。周りには私のような人がたくさんいた」

 ランヘルさんは米国資本の輸出加工工場に勤め、18年間、週6日、朝6時から夜8時まで働いた。機械でボルトを削る毎日だったが、仕事があるだけで満足だった。銀のメダルをもらい退職すると、しばらくうつ症状が出たという。

 労働者を搾取しているという批判もあるが、アガピート氏の功績は労働者をまとめたことだった。労使交渉を仕切り、何事も会社と労働者の一括契約を旨とした。マタモロスの賃金は他より高く、労組加入率も91年に100%に達した。日本企業の多い西部のティフアナは当時10%に満たなかった。

 だが、アガピート氏は苦渋の晩年を迎える。マタモロスは「労組がうるさい土地」と嫌われ、米企業はすぐ近くの町レイノサに投資を集中させた。同氏の弱みは、隣町の労組指導者と手を組めなかったことだ。職は賃金が安く労組の弱い町へと流れた。

 アガピート氏の後継者、ビジャフエルテ氏はいま「物分かりのいい労組」を目指し、自ら米国に赴き、企業誘致を図る。「私は(労組)議長ですが、半分はセールスマンみたいなものです」と語る。

 94年の北米自由貿易協定(NAFTA)発効後、労組は労使協調を前提とするようになり、終身雇用も減った。ストもまずない。銃を手に労使交渉に挑む姿など、はるか昔のことのようだ。【マタモロスで藤原章生】=つづく

毎日新聞 2005年6月17日 東京朝刊