【ねこまたぎ通信】

Σ(゜◇゜;)  たちぶく~~ Σ(゜◇゜;)

 反米・従米・親米・嫌米:第15部 メキシコ「あまりに近く」/1(その1)

反米・従米・親米・嫌米:第15部 メキシコ「あまりに近く」/1(その1)

 ◇11年前、反NAFTA訴え、武装蜂起

 「あわれなメキシコよ、アメリカにあまりに近く、神からあまりに遠い」。1910年に始まったメキシコ革命前の独裁者、ポルフィリオ・ディアスが語ったとされる言葉は「今のメキシコにも当てはまる」と言う人もいれば、「いや、メキシコと米国はうまく溶け合っている」と語る人もいる。94年発効の北米自由貿易協定(NAFTA)以降、成長する北部と取り残される南部の対照が際立つ。米国との関係を軸にメキシコの二つの世界を探った。

………………………………………………………………………………………………………

 ◇無視される自治の村−−南部チアパス州

 南部チアパス州の標高2000メートル級の山あい。ここに7村落によるカラコル(巻き貝の意)と呼ばれる自治の村がある。「悪い国家」に邪魔されず、自ら「良い政府」を作ろうと、サパティスタ民族解放軍(EZLN)が03年に築いた。

 田舎道にヒッピー風の若者2人がいた。スペイ

ン女性とメキシコ市から来た絵描きの男性は、顔のあちこちにピアスをつけ、ズボンがずり落ちそうだ。「ここ、面白いって言われて来てみた」というが、村の入り口でちゅうちょしていたようだ。彼らと一緒に先に進むと、谷に向かう坂道の両脇に小屋が30軒ほどある。メキシコ革命の英雄サパタや、チェ・ゲバラの壁絵が山の緑に映える。

 「何でしょうか」。初老の女性に呼び止められ、「訪問です」と答えると、しばらくして「評議会」と呼ばれる小屋に案内された。目出し帽の男たちがいた。「ここの活動を見たくて」と絵描きが言うと、男たちは「はい、はい」と手慣れたそぶりで2人を半日見学コースの案内役に引き渡した。

 「最近は世界中からああいう人たちが来てくれます」と50代の男性が語るが、目出し帽なのでその表情は読めない。

 記者との会見には司令部の許可がいるため、質問を書き残し翌朝、再び訪ねると、今度は目出し帽の男3人と女1人が待っていた。みなメモを見ながら質問に答える。サパティスタは規律が厳しい。質問を重ねる度に4人は「上の許可をどうする」とささやき合う。

 サパティスタはNAFTA発効当日の94年元日、武装蜂起した。彼らは米国主導の自由市場、グローバル化に反旗を翻す象徴だった。マルコス副司令官の宣言文は日本語(現代企画室刊「もう、たくさんだ!」)など世界の言語に訳された。

 それから10年余り。サパティスタは忘れられた。71年も続いた制度的革命党(PRI)の一党支配を倒し00年に就任したフォックス大統領は、サパティスタとの交渉を「15分で片付ける」と豪語したが、結局、「しっぽに食らいついてくる者などかまっていられない」(財務省高官)とただただ無視してきた。

 海外でサパティスタへの思い入れはなお強いが、メキシコでは「冗談の種にしかされない」(露天商)。NAFTA効果で伸びる北部タマウリパス州の経済官僚オマル・ケサダさん(29)は「ここじゃあ話題にもならない。北部では英語を話せなければ職も得られない。我々はすごい速さで変わっています。南とは国が違うんです」と言う。

 目出し帽の4人の言葉に目新しさはなかった。蜂起の年に中学生だったという一人が言った。

 「この共同体カラコルにはカタツムリの意もある。我々はマヤ先住民の文化が侵されないよう、自分のペースでゆっくり変わりたいのです」

 小屋の外に出ると、別のヒッピー風の若者が戸口に立っていた。=つづく【チアパス州(メキシコ南部)で藤原章生

毎日新聞 2005年6月14日 東京朝刊