【ねこまたぎ通信】

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 画一思想

画一思想

イニャシオ・ラモネ(Ignacio Ramonet)
ル・モンド・ディプロマティーク編集総長
訳・広田裕之
http://www.diplo.jp/articles95/9501.html


 絡め取られている。今日の民主主義諸国の自由な市民は、粘ついた教条のようなものに絡め取られ、べっとりと覆われているという感覚を深めている。それは、あらゆる反逆の理路をじわじわと包み込み、阻止し、妨害し、麻痺させ、ついには窒息させる。この教条こそが、画一思想である。目に見えず、いたるところに存在する言論警察から認可された唯一の思想だ。

 ベルリンの壁が崩れ、共産主義体制が瓦解し、社会主義が意気消沈して以来、この新たな福音はますます傲慢、尊大、横柄なものとなった。イデオロギーの猛威は、現代の教条主義と呼んでしかるべき域に達している。

 画一思想とは何か。それは国際資本をはじめとする一連の経済勢力の利益をイデオロギーに仕立て上げ、普遍性を主張するものだ。その公式化と内容規定は、ブレトン・ウッズ協定が成立した1944年に始まったといえる。この思想の主な源泉は、世界銀行や国際通貨基金IMF)、経済協力開発機構OECD)、関税と貿易に関する一般協定(GATT)、欧州委員会、フランス中央銀行といった経済通貨分野の有力機関であり、資金提供を通じて全世界で数々の研究機関や大学、財団を自分たちの思想に加勢させている。これらの研究者はそれを言葉巧みに伝播させていく。

 この匿名化された論説を受け売りしているのが主要な経済ニュース機関だ。特にウォール・ストリート・ジャーナル紙やファイナンシャル・タイムズ紙、エコノミスト誌、ファー・イースタン・エコノミック・レヴュー紙、レ・ゼコー紙、ロイター通信といった投資家や証券会社の「バイブル」であり、そのほとんどは大手の産業・金融グループの傘下にある。経済学部の教授陣やジャーナリスト、評論家、政治家がこの新たな十戒の主要な教えを各地で引き継ぎ、マスメディアを通じてしつこく繰り返す。今日のメディア社会では、繰り返しこそが論証となることをしかと心得ているのだ。

 画一思想の第一原則は、経済が政治の上に立つという、うかつなマルクス主義者でさえ否認しそうにないほど強力なものだ。この原則にのっとることで、たとえばフランス中央銀行のような重要な行政手段が、大した反対もないまま1994年に独立機関とされ、「政治のごたごたの外に置かれた」と称されるようになる。「フランス中央銀行は独立的で、政治色を持たず、超党派的なものだ」と、ジャン=クロード・トリシェ総裁も請け合う。ところが彼はさらに「当行は財政赤字の削減を求めて」おり、「通貨の安定を戦略として追求する」とも述べている(1)。まるでこの2つの目標が政治的ではないかのような発言ではないか。

 「資本主義が崩壊することはありえない。それが社会の自然な状態だからだ。民主主義は社会の自然な状態ではないが、市場はそうだ」とアラン・マンクは述べた(2)。彼が定義するような意味での「現実主義」や「実用主義」の名分の下に、経済が司令塔の位置に据えられる。経済は解放される。社会問題という邪魔物からの解放であるのは言うまでもない。それはいわば憐れみを誘うだけの不純物であり、その重圧は景気後退や経済危機の原因となりかねないからだ。

 画一思想の他の重要概念も、よく知られている。「見えざる手によって資本主義の荒々しさや機能不全を是正する」として崇拝される市場、なかでも「各種のシグナルによって経済の一般動向を方向付けして決定する」金融市場。「企業活動に刺激と活力を与え、有益な近代化へと常に導く」競合や競争。「商業活動の、したがって社会の絶え間ない発展の要因」となる制約なき自由貿易。製造業と金融取引のグローバル化。「労組の要求を抑え込み、人件費を引き下げる」国際分業。「安定化要因」である強い通貨。規制緩和、民営化、自由化、等々。とにかく「より小さな政府」を目指し、労働所得を犠牲にする形で資本所得に有利な裁定を下す。環境コストには関心を払わない。

 この公教要理(3)があらゆるメディアで、左右両翼を問わず(4)ほとんどの政治家によって繰り返されている。その結果、画一思想には自由な思索に向かおうとする全ての試みを押しつぶす威嚇力が生まれ、この新たな反啓蒙主義に対抗することは非常に困難になっている(5)。

 われわれの鈍った目には、欧州諸国の1740万人の失業者、都市の荒廃、生活不安の拡大、政治腐敗、騒然とした都市郊外、環境破壊、人種差別や宗教的保守主義・過激主義の再燃、そして社会的疎外者の大群も、画一思想の築き上げるこの素晴らしい新世界に不似合いな、単なる錯覚、罪深い幻覚としか映らないといったことになりかねない。

(1) ル・モンド1994年12月17日付。
(2) カンビオ16誌、マドリッド、1994年12月5日。
(3) この支配的思想の典型例が、「2000年のフランス:首相への報告書」(オディール・ジャコブ出版、パリ、1994年)である。
(4) 社会党のストロス=カーン産業相(当時)が、「右派が政権をとったら何が変わるのか」という質問に対し、「何も変わらない。彼らの経済政策はわれわれのものとそれほど違わない」と答えたのは、有名な例だ。ウォール・ストリート・ジャーナル欧州版、1993年3月18日付。
(5) ギー・ドゥボールなど何人もの知識人が最近自殺を選んだのは、このためだろうか。

(1995年1月号、邦訳は2004年10月5日に公表)