【ねこまたぎ通信】

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 米軍テロによる犠牲者

ファルージャ「悲劇の写真集」 身元確認用に撮影、配布

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200412130925521

 イラクファルージャにおける米軍主導の「大量虐殺」をめぐり、イラクのネット紙「エレクトリック・イラク」は、多数の住民の凄惨な遺体写真をネット上で公表した。

http://electroniciraq.net/news/1747.shtml

 同紙によると、これらの写真は埋葬前に遺族に身元を確認させるため、米軍が許可したカメラマンが撮影した。遺体の数は75人分で、多くが身元不明の遺体とみられる。この「遺体写真集」は、ファルージャからの避難民が暮らしている近郊の複数の村でなどに広く配られているという。同紙は米軍主導の攻撃でファルージャで殺害された人の総数を「2000人」と報じている。(東京=河合敦)

 この「遺体写真集」で親類の遺体を確認したイラク人の一人は「エレクトリック・イラク」の取材に対して、米軍主導のファルージャ攻撃の様子を次のように話している。
 「米兵は川を渡って逃げようとした人々のすべてのボートを銃撃した。羊などあらゆる動物も撃ち殺した。米軍ヘリは戦闘期間中、ファルージャとその周辺の村々で、動物を含め、あらゆる『動くもの』を撃った」
 証言によると、戦闘地域と米軍が考えていた場所をたまたま車で通行しようとして、一家全員が米軍に殺害された例もあった。通行禁止の表示が英語でもアラビア語でもなかったことで、知らずに踏み入れて犠牲になった人々も多かったという。

ダール・ジャマイルのイラク速報

2004年12月9日 ファルージャの写真 Fallujah Pictures

 2週間前、遺体の埋葬を手伝うためにファルージャに入ることが、米軍によって一部の者に許可された。彼らは埋葬前の身元確認ができるように、75人の遺体を写真に撮って親類の者に見せることを許可されたのだ。
 ここに紹介する写真は一冊の写真帳から入手した。それは多数の避難民が滞在しているファルージャ近くの小さな村々で、公然と回覧されているものである。
 撮影者はファルージャのある小さな区域の一つで、写真を撮って遺体を埋葬することを許可されただけだった。彼は他の区域には足を運ぶことを許されなかった。目にすることさえ許されなかった遺体が、少なくとも1925体あったことを心にとめていてほしい。
 そのなかの写真に添えられた情報は、既に親族の者によって身元が確認されたものである。
死亡した親類の姿を捜していたある家族のメンバーは、その写真帳からとったこれらの写真を形見にしていた。
 匿名という条件で話した男性は、ここ数週間のあいだに彼の村で目撃したことを話してくれた。

 「住民が川を渡ってファルージャから逃れようとしているという理由で、アメリカ兵は川に浮かぶあらゆるボートを狙撃した。また彼らは全部の羊を射殺し、人に飼われていたあらゆる家畜も射殺した。米軍ヘリは戦闘期間中、ファルージャ周辺の全村で、すべての動物、動くものは何でも撃った。」

 道路上のものは何でも撃つので、ファルージャに入る道路も、ファルージャ周辺の道路も、通行できる道路は一つもないと彼は言った。「一つの家族全員が殺されたこともあった。だが住民にその道路が通行できないことを知らせる警告は何もなかったので、住民はそれらの道路が使えなくなっていることを知らなかったのだ。標識はなかった、英語でもアラビア語でも」。

 写真は次のURLにある。
http://dahrjamailiraq.com/gallery/view_album.php?set_albumName=album28&page=1

(2004年12月9日午後5時49分、ダール・ジャマイルによる)

[写真に付された説明文]

※1ページ

第1列 左 投降の白旗をもったまま殺された少年
  同 中 自宅内で殺された家族の1人
  同 右 射殺された同じ家族の2人目
第2列 左 射殺された同じ家族の3人目
  同 中 射殺された同じ家族の4人目
  同 右 射殺された同じ家族の5人目
第3列 左 二人の娘を一緒に殺された老人
  同 中 老人の娘の一人
  同 右 老人のもう一人の娘

※・・・7ページまである。屋内で頭を撃たれて吹き飛ばされた住民や、犬に食われて体の一部が失われた住民および戦士の遺体、年老いて見るからに無抵抗と思われる者などの遺体も見える。

イラク情勢ニュース http://www.geocities.jp/urknews/