【ねこまたぎ通信】

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 TUP速報

制服を着ていれば、公認のテロリスト

ドナ・マルハーンが再度バグダッドから
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4月の米軍によるファルージャ包囲網攻撃の最中に、人道救援活動のためバグダッドからファルージャに入り、その帰路地元ムジャヒディンによる拘束を経験し、その後母国オーストラリアに帰国していたドナ・マルハーンが、24日に再び無事にバグダッド入りを果たしました。日本人の香田証生さんも殺害され、30年以上もイラクに住みイラク国籍を持つ英国人マーガレット・ハッサン [注:「TUP速報409号 殺害された人質からの家族の手紙」参照] でさえ殺害される状況下、今誰であろうとイラク入りを打診すれば、、現地を知るものからは「今は、やめておけ」と言われます。
そんな中、バグダッド入りしたマルハーンからの第一声です。

        (翻訳:福永克紀/TUP)
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コークスクリュー、レッドゾーン、そして公認のテロリスト2004年11月24日ドナ・マルハーン

この乗り心地は、「バグダッドコークスクリュー」 [訳注:コークスクリュー 商標名。レールの途中にらせん状の回転を組み込んだジェット・コースター]とでも名づけようか。ルナパーク [訳注:豪州シドニーにある遊園地] では、群集は皆こんな感じのジェットコースターに乗るのに、少なくとも10ドルも支払っているのだろう。
猛スピードの小さな飛行機で、らせん状の急降下、ほとんど垂直に、茶色い砂塵の海を通り抜け、戦争が行われている地域へまっしぐらにと。

なんという乗り心地! ようこそバグダッドへ!

そういうわけで、むかつく胃をおさえて、とても寒い占領された首都に到着した。

身なりの立派なビジネスマンや重武装の傭兵たちと、螺旋飛行を共にすることはシュールな経験だった。この時期イラクに来るごく少数の人たちは一儲けするために来ているわけではない。ほんとに少数だ。

背広組から出るいちばんありふれた質問に、「いえ、グリーンゾーンに滞在する気はないんです」と丁寧に答えると、眉をひそめる者が何人かいた。

困惑の目には、「いったい何をしにここに来たんだ?」という声には出さない疑問が見てとれた。

バグダッド空港メーンターミナルの外の歩道で、窓ガラスを鏡にして、私は変装をほどこした。黒いロングドレスかコートようのものを着て、それとそろいの、栗色のトリミング(とてもスタイリッシュ)のついた黒いスカーフを頭にかぶり、黒い手首カバーに、赤の手袋と濃いサングラス。そう、これで出来上がり。変装が完成すると、少なからぬ地元の人が、よしよしとうなづいてくれた。

たったひとつ馬脚をあらわすものは、ドレスからはみ出している茶色の埃っぽいがっしりしたハイキングブーツだ。私は飛行機に乗るときはいつもこのハイキングブーツを履いて乗る、というのもこのブーツはとても重いので、手荷物に入れると重たくなりすぎてしまうからだ。しかし、スタイリッシュなイラク女性が普通に身にするような流行の黒い靴がぴったりな今日の格好には、このブーツは全くそぐわない。まあ、仕方ない、私の足が注目されないことを願うだけね。

シャトルバスに飛び乗って、厳重に要塞化された空港地域とバグダッド市内をつなぐ軍隊の検問所へ向かった。空港を出るときに見える看板には不吉な言葉が。「あなたは、レッドゾーンに入ります。武器を装てんし、即応できるように」

神よ、そんなにひどい軍事攻勢を受けなければならないレッドゾーンとは、いったいどんなところなのでしょう?

これが何だというのだろう。ただバグダッドの空港以外の場所というだけではないか。

町であり、近隣であり、通りであり、学校である。普通の人たちが生活している場所である。見たこともない外国人に自分の国を占領されて、当然のことだが、
面白くないと思っている人たちが住んでいる場所である。

イラク中で、米軍施設が存在しないところは、すべてレッドゾーンだ。「自由」をもたらしに来た占領者にとっては、この国全体が脅威に思えるのだ。

空港から約15キロ離れた軍隊の検問所についたとき、私の変装でちょっとした混乱があった。制服を着た数人のイラク人に、聞きたいことがあって近づいていくと、彼らが息を殺してささやいているのが聞こえてきた−−「彼女は、イラク人かい?」

やった! 私の変装が物を言っているので、気をよくした。しかし、それもつかの間、もう一人の返答に私は落ち込んだ。「いや、アメリカ人だろう」

この時点で、私が口を挟まざるを得なくなった。「私は、アメリカ人ではありません」と笑みを浮かべて言ったものの、そう言う私の言葉つきが、イラク人でないことをばらしてしまった。

「自分は、アメリカ人だ」と、やたらと幅の広い胸に馬鹿でかいマシンガンをぶら下げ、いかにも「自分が担当者だ」ということが明らかにわかる物腰で、背の高い鋭い顔つきのアメリカ傭兵が言った。彼の服のロゴから、グローバルという名の、イラクで私兵を供給する国際警備会社の人間だと分かる。

「私は、決してアメリカ人などではありません」と、物見高い群衆に向かって繰り返すと、彼は私の意図を汲み取ったようだった。

私の荷物を載せたリフトがまだ回ってこないので、空港にやってくる人たちを警備員たちが身体捜索をしているテントの中でうろうろしていた。凍えつく風をよける場所がほしかった。

アジア系の傭兵に、友人に電話したいので携帯電話を貸してもらえないかと尋ねてみた。彼は電話を手渡しながら、条件をつけた−−「手短にしてくれ、金持ちじゃないんでね」 一日1000ドルもの賃金をもらっているのにと、眉をひそめた顔を見られないように、私は彼に背を向けた。

私がテントの隅に座る場所を見つけると、「自分はアメリカ人」の傭兵が、私の選んだ区画について警告してくれた。

「ここは、検問所の汚い側と呼ばれている」と説明してくれた。

「ここは、いつ何時、武器や爆弾が出てきてもおかしくないところで……

「かたや、あっち側では、合法的に持てるようになっている」と、彼は付け加えた。

私は言わずにはいられなかった。

「そうね、分かったわ、彼らは合法的なテロリストで、他の者は非合法なテロリストってことね?」

「そう、そのとおりなんだ」と言う。「制服を着ていれば、公認のテロリストなんだ」

彼のぶっちゃけた状況把握に、少し驚くとともに感心した。

テント内を見渡してみると、わたしに椅子をゆずり、寒さから逃れる場所を提供しようとする陽気なイラク人労働者の一団がいた。

私は、非合法なテロリストになるかもしれない人たちと一緒に汚い側にいようと決めた。

さっき3時間も空港が閉鎖されて、私たちが乗った飛行機が長時間空中旋回しなければならなかったのはなぜなのか、このミスター・アメリカに聞いてみた。

「知るか」と答えた。「ここじゃ、毎日、問題が起こるのさ」

「ここ」、検問所で車での自爆攻撃が起きる、まさにその場所。

「ここ」、次の3時間を私が過ごす場所。

さっきの一団と会話を交わし、彼らが歓声を上げ、私のアラビア語を笑い…

空港に向かおうとしている女性が、私をイラク人警備員と勘違いし、検査のため私にバッグを差し出したとき、私はうきうきしてしまった。しかし、その連れたちが外国人がめかしこんでいるだけだと指摘してしまったので、がっくりとした。でも、全体的には彼らは私の努力に感心していた。

イラク人の職員が、頼みもしないのに、私が友達に電話をかけるのに彼らの電話を使えと言ってくれた(傭兵の10分の1の値段で)ことが心に残った。なかには、寒風の中待ち続ける私を心配し、自分の家においでと言ってくれた人たちもいたことも。

でも、結局それは必要なく、イラクでもっとも危険なルートとされる「空港道路」またの名を「死の街道」に向かった出発した。

とくに何事もなくホテルに到着し、今は、ついにバグダッドに戻ったことが少し信じられないような気持ちでヒーターの前に座っている。いや、ちょっと待って。いま明かりが消えたところだ。発電機がウーンとうなりだし、攻撃型ヘリコプターが低空に舞い降りてくる。間違いなく、バグダッドに戻ってきたのだ。

あなたの巡礼者

ドナより

追伸:空港からの、何事もなく安全なドライブを助けてくれた皆さんに感謝。

追追伸:「戦争とは、金持ちのテロリズムだ」

原文: http://groups.yahoo.com/group/ThePilgrim/message/119