ブッシュ犯罪家族・総覧(1)
「さあ、ジョージ、俺に嘘をついてみろよ。俺の犬に嘘をついてみてくれ。俺の姉さんにも嘘をつけばいい。でも俺の子供たちにだけはぜったいに嘘をつくなよ」
---グレッグ・パラストのコラム「NO CHILD'S BEHIND LEFT」より---
(グレッグ・パラストは「金で買えるアメリカ民主主義」著者・調査ジャーナリスト)
「Bush Crime Family(ブッシュ犯罪家族)」。アメリカのリベラル系トークラジオを聞いていると、時々飛び出すこの言葉に、大袈裟な表現だな?と思った時期もあった。しかし、大統領就任時から今日まで、ウソとインチキばかりが目立つジョージ・ブッシュ、その「幸運な息子」を生み出したブッシュ家の系譜を見ると、「犯罪家族」という表現はぴったりかもしれない。
そこで、ジョージ以外のブッシュファミリーにまつわる犯罪と疑惑を(筆者が認知した範囲で)ちょっとまとめておこうと思う。
(参考資料:Bush Family Values Photo Album、Bush scandal、The Immaculate Deception by Russell S. Bowenその他文中リンク先も参照)プレスコット・シェルダン・ブッシュ(Prescott Sheldon Bush)
ジョージ・W・ブッシュ現大統領の祖父。銀行家。妻はドロシー・ウォーカー。イエール大学在学中にブッシュ家ではじめてスカルアンドボーンズ会員となる。
1918年、スカルアンドボーンズ入会儀式として、アメリカインディアンの戦士ジェロニモの墓から遺骨(頭蓋骨)を掘り出して、コネチカット州ニューへヴンのスカルアンドボーンズの本拠地に飾っていたという不気味な疑惑がある。
プレスコット・ブッシュは第二次大戦時代にナチスドイツの軍資金運用の実績があり、それがブッシュ家資産の礎となっているとみられている。
プレスコット・ブッシュ・ジュニア(Prescott Bush Jr)
ジョージ・W・ブッシュ現大統領の叔父(ジョージ・H・W・ブッシュの兄)元米中商工会議所所長。
1989年、米国が中国との貿易を禁止していた時期に、プレスコット・ブッシュ・ジュニアの関係企業は唯一貿易を許され、中国政府への通信衛星の販売に関与していた。
ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ(George Herbert Walker Bush)
ジョージ・ブッシュ現大統領の父。アメリカ合衆国第41代大統領。ブッシュ父は今日のブッシュファミリーの犯罪性の礎を築いた重要人物といえるだろう。この人物の犯罪疑惑は多過ぎて簡単に書けないが、主な疑惑を列挙してみる。
テキサスで共同創業し大成功した石油会社、ザパタペトリウム社(現Pennzoil 社)を隠れ蓑に、CIA工作員としてキューバのカストロ政権転覆のためにフロリダ州マイアミでCIA極秘任務に従事、反カストロ派人脈を構築し、後のピッグス湾事件のお膳立てをした疑惑。(CIA工作員として15年間勤務の経験があるにもかかわらず、ブッシュ父は後に「未経験者として」公式にCIA長官に抜擢された)
J・F・ケネディ暗殺時に現場付近に居て、事件直後に当時のFBI長官フーバーと会談し、暗殺についての真相を隠蔽しているという疑惑。(暗殺当日の1963年11月22日、ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュと名乗る人物がFBIヒューストン支局に電話でケネディ暗殺発生の危険性を通報していたというFBIの記録があるという。)
オクトーバーサプライズ疑惑と、それに連なるイラン・コントラ事件で中心的役割を果たしていた疑惑。
レーガン大統領暗殺未遂に関与していた疑惑。実行犯のヒンクリーはブッシュファミリーと家族ぐるみのつきあいがあった。
パナマのノリエガ将軍にCIAを通じて資金援助していた事実について、中心的役割を果たしたという疑惑。(CIAに利用されたノリエガはパナマ侵攻後に米軍によって拘束され、服役中。)
大統領退任後にコンサルタントに就任した鉱山企業のタンザニア鉱山開発をめぐり、元大統領の立場からタンザニア政権に接近、不法に鉱山開発権を取得した疑惑。(この件はタンザニア政権によって現地の鉱山夫が生き埋めにされるという虐殺事件に発展した)
日本人にとって馴染みの深い、米原潜と実習船えひめ丸の衝突事故。原潜に乗船して操縦桿を握ったといわれる一般客たちは、ブッシュ元大統領の地元における支援グループ(石油企業仲間)であり、「ブッシュは海軍を私物化した」とする疑惑がある。(日本語の資料)
石油ビジネスを通じて、サウジ王族、ビン・ラディンファミリーと深い関係にあった。この関係を重視したブッシュ家はCIAを通じてアルカイダ、ビン・ラディンの調査の大部分をストップさせ、多くの警告があったにも関わらず、911テロを未然に防止できなかった。またテロ当日にビン・ラディン兄と会談、テロ直後に米国内のラディン家族とサウジ王族を密かに本国に送還した事実が確認されている。