【ねこまたぎ通信】

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首相以下の「ウソ」に政治麻痺

首相以下の「ウソ」に政治麻痺

−−小泉首相の年金未納は6年8か月

(1) 「首相の加入歴」が検索禁止措置

 政府内に、誰にも知られることのない異常事態が起きている。
 それは社会保険庁の、全国民の年金加入・保険料納付状況が入ったコンピュータに発生した――。

 通常、国民は自分の年金加入歴を調べるには、自ら社会保険事務所に出向いて申し出る。係員はコンピュータの端末を叩いて、即座に答えられる仕組みになっている。今回、閣僚、与野党国会議員が自分の国民年金の加入・保険料納付状況を調べるために、社会保険庁に問い合わせが殺到した。それらに対しても、同庁担当者は端末を叩いて答えた。
 日本は国民皆年金制度の国だから、本来、そうした問い合わせに対し、立場や地位によって差別がつけられることはありえないが、ある特定の人物だけにはそうした原則は放棄され、政府、役所をあげて防衛する態勢が取られた。言葉を換えていうなら、これは≪行政的戒厳令≫が敷かれているに等しい。

 ずばり明かそう。連休が明けると、小泉純一郎首相の年金加入歴及び、保険料の納付状況を照会しようとすると、それまでどの端末からも自由にできたことが、突如として≪アクセス禁止≫の措置が取られ、したがって、小泉首相の年金データは封印された。しかもまさに“戒厳令”というべきは、アクセス禁止とともに、小泉首相に関わる調査それ自体を禁止する内部指令が発せられていたのである。

 本誌が小泉首相国民年金未加入・未納の事実とともに、未納3兄弟といわれた中川昭一経済産業相石破茂防衛庁長官麻生太郎総務相ら、全閣僚の保険料納付状況の調査結果をいち早く報道したのは4月半ばだった。その時点では、アクセス禁止の措置は取られていなかった。

 しかし、辞任した福田康夫・前官房長官と、菅直人・前民主党代表の未納が発覚したのを機に、小泉首相の未納報道を続けた本誌に対する猛烈なガードが政府をあげて取られた。それがアクセス禁止措置だった。

 厚労省が作った加入歴データには、重大な欠落がある。例えば、国民年金に加入していた期間が「50か月」と記録されていたとして、保険料納付欄に合計納付月数が「30か月」と書かれていれば、一目瞭然、20か月分が未納であることがわかる。しかし、同じケースで合計月数が、「50か月」となっていれば、加入と納付のバランスは取れているから、一見、未納はないように見える。ただし、厚労省のデータには、もともと「未加入期間の記録」がないのである。国民年金に加入しておらず、そのために保険料を払っていないケースがあっても、データではつかめない。それが重大な欠落なのだ。

 後述するが、小泉首相には6年と8か月間、未加入の期間がある。当然、その間は保険料は納められていない。このことを民主党代表を辞任した菅直人氏と比較する。菅氏は橋本内閣下の厚生大臣在任中の10か月間、国民年金に加入していなかったから未納であった。逆にいえば、菅氏の場合も加入している期間はすべて保険料を払っていたわけである。したがって厚労省社会保険庁は菅氏の加入歴をたどることによって、厚生大臣在任中の未加入期間を発見して、未納であることを菅氏に報告した。

 仮に、同じ作業を小泉首相の加入歴についても厳密に行なったなら、本誌が指摘する6年8か月の未加入・未納が発見できたはずなのだ。

 裏返せば、厚労省は、小泉首相が未加入・未納していたことがその後わかったからこそ、端末からのアクセス禁止措置を講じたということなのか。


2) 小泉氏は未加入のまま総選挙に出馬

 去る5月10日、菅氏が民主党代表を辞任したその夜、小泉首相は、官邸で記者団から国会議員に初当選する前に国民年金保険料の未納がなかったかを聞かれた。記者団の質問は明らかに、本誌報道を念頭に入れてのことだった。首相は言下にいいきった。
「ありません」

 1986年に国会議員国民年金に強制加入することが決まった以前にも未納がなかったと言明したことになる。それまでの小泉氏は自分の未納の有無については答えず、国会答弁などでは「払うべき期間は払っていた」と腰の引けた言い方をしていた。

 その夜の発言は、本誌の一連の未納疑惑報道に対し、初めて「ありません」と、全否定したことになる。この際、本誌としても小泉首相の未加入・未納の事実について、すべての取材データを明らかにする。

 小泉首相の年金加入歴は、
国民年金 86年4月1日〜02年1月7日までの189か月>
<厚生年金 70年4月1日〜74年11月1日までの55か月>
 ―――の2つの期間しかない。厚労省幹部も本誌の取材に、小泉首相にはそれ以外の年金加入歴がないことを認めている。

 小泉首相には、4回にわたる期間、年金の未加入、したがって保険料未納が存在している。4つの期間とは、国会議員になる前の3期間と、議員に当選した後の6年間である。順番に検証していく。

 未加入・未納期間の中で、絶対に言い逃れできないのは、69年8月から70年3月までの8か月間である。

 若き小泉純一郎氏は67年5月に慶応大学を卒業後、ロンドン大学に遊学(留学には値しない)したが、69年8月10日に、実父で元防衛庁長官の純也氏が急死、それを受けて帰国した。同年8月16日に純也氏の横須賀市民葬が営まれ、純一郎氏も出席した。だから8月に帰国したことは間違いない。その後、同年12月の総選挙に出馬(落選)した。そのとき地元の神奈川新聞に掲載された小泉候補者の履歴には「新生日本の会会長 無職」と書かれていた。学生でもなく、海外居住者でもない無職の国民は国民年金への加入が義務づけられていたが、小泉氏の加入歴には、その間、国民年金に加入していた記録が一切ない。

3) 「9年2か月未納」の可能性もある

 小泉首相の4回にわたる未加入・未納で、8か月に続く重大な問題は80年4月〜86年3月までの6年間、国民年金保険料を納めていなかったことである。その期間、国会議員の場合、国民年金は任意加入とされていた。が、80年代は、年金財政が悪化し、政府をあげて加入を呼びかけるキャンペーンを張っていた時期であり、小泉首相は当時、自民党財政部会長、党副幹事長、衆院大蔵委員長などの要職にあって年金の財政状況、未加入の多さを熟知していたにもかかわらず、自ら未加入・未納であったことになる。土井たか子・前社民党党首もその間に未納だった事実を認め謝罪したが、小泉首相はいまだにすらっとぼけている。

 2つの未加入・未納を合わせて6年8か月に及ぶのは、閣内では、“未納3兄弟”の1人、中川経済産業相の約21年に次ぐ長さであり、とても86年の強制加入以前の未納の有無を問われて「ありません」と全否定できるような実態ではない。

 小泉首相にはさらに2回未納期間がある。

 前述の6年8か月の未加入・未納だけでなく、別表(本誌記事参照)にあるように、小泉氏が浪人中、20歳になった62年1月から慶応大学に入学するまでの3か月間は国民年金法第7条による「被保険者の資格」の規定からすると加入義務があった。

 さらに、慶応大学卒業後、ロンドン大学に入学した時から69年8月に帰国するまでの2年3か月間も、未納疑惑がある。通常、海外居住者は住所移転を届け出ていれば国民年金の適用が除外される。もし住民票を日本に置いたままであれば、慶応大学を卒業したときから厚生年金に加入した70年4月まで国民年金に加入すべき期間だったことになるから、全未納期間は6年8か月にとどまらず、9年2か月にも及ぶ疑いが生じる。