【ねこまたぎ通信】

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アルカイダとイスラム教徒境界線は? 『反米』で決めつけ傾向

 日本に潜伏していたリオネル・デュモン容疑者(33)は、国際テロ組織アルカイダ系組織の幹部といわれる。日本でそのネットワークづくりを進めていたとみられているが、生活は思いのほか質素だった。その活動ぶりも、潤沢な資金を持つアルカイダとは思えない。イスラム教徒は、アルカイダとの関係を疑われがちだ。だが本来、両者は違う。その境界線とは−。 (蒲 敏哉、田原拓治)


■デュモン容疑者 自炊のアルバイト生活

 「あんなまじめな男はいなかった。彼がテロリスト呼ばわりされるなんてまったく理解できない」

 新潟県警が強制捜査した前日の二十五日、デュモン容疑者が働いていた同県聖籠(せいろう)町の中古車店にいた従業員のパキスタン人は、こうまくし立てた。

 同店には、乗用車や四輪駆動車約五十台が並ぶ。プレハブ事務所にはパソコンやファクスが並び、壁にはモスクの絵や写真があちこちにはられている。

 二十六日、報道陣が見守るなか、新潟県警は物々しい強制捜査に着手した。同店など中古車店二店に捜査員たちが姿を現し、資料などを段ボールで次々に運び出した。

 アルカイダ系組織幹部との触れ込みで、同県警の捜査にも力が入るが、生活は質素だった。一昨年七月に入国後、新潟市に一年以上潜伏。貯金が一千万円あったが、パキスタン人経営の複数の中古車店で働いていたとみられている。

 「群馬県から自動車を運んでもらい一台につき千円払っていた。アルバイトみたいなもの。アルカイダ資金豊富な金持ちのグループ。『お金がない』といつも言っていた彼は違うでしょう」と前述のパキスタン人従業員は振り返る。

■モスク通いやお祈り忘れず

 イスラム教徒の同容疑者は、宗教上の理由から肉を好まず、ハンバーガー店でもエビを挟んだ物や、ポテトばかりを頼んでいたという。働いていた中古車店には、戸外には流し台やガスコンロ、大鍋が置かれている。従業員らはここで食事を作っており、デュモン容疑者もここで自炊に精を出していたようだ。一日数回のお祈りを欠かさず、新潟市内の小さなモスクにも通っていたという。

 住まいは新潟市西部のマンション五階の3LDK。廊下からは日本海が見渡せる。

 隣室の主婦は「夫婦で住んでいたことは覚えているが会話することはまったくなかった」と話す。

 マンションの大家は「本人か友人かが来て家賃六万円で一年契約した。ドイツ人妻がいたというが、一人で住むとの説明だった。ゴミの処理もきちんとしていて問題なかった」と話す。

 中古車店を営む別のパキスタン人は「もともと彼を新潟に連れてきたのは私。三年前、群馬県伊勢崎市の食料品店で会ったとき『働くところがないか』と相談されたから」と明かす。新潟を潜伏先に選んだのも、組織のネットワークづくりというより、就職の都合といった印象だ。

 前出のパキスタン人従業員も「自分もいろんな仕事をして渡り歩いてきた。いちいちどんな経歴か聞かない。同じイスラム教徒として働きやすかったからいただけでは」と強調する。

■『幹部』なら資金潤沢

 捜査当局は、フランスで拘留中のデュモン容疑者を「アルカイダ系組織の幹部」としている。だが、経歴を海外報道でたどると疑問がでてくる。

 同容疑者は一九九三年、祖国フランスも加わった国連多国籍軍人道支援していたソマリアに兵役で従軍。ソマリアイスラム教徒に共鳴、改宗した。

 九四年に内戦中のボスニア・ヘルツェゴビナイスラム教徒への人道支援で渡り、国際的なイスラム急進主義組織「断罪と聖遷」(タクフィール・ワ・ヒジュラ)に加入したといわれる。同組織はアフガン内戦にも加わったが、ウサマ・ビンラディン氏率いるアルカイダとは教義の違いから一線を画していた。

 約一年後、フランスに戻り、改宗した仲間らと「ルーベ団」(「ララバイクス同盟」という説もある)を組織。同組織は旧宗主国フランスに多数の亡命者がいるアルジェリアイスラム過激組織「武装イスラム集団(GIA)」とほぼ一体という。ただ、GIAもアルカイダとは九〇年代前半の一時期を除き、教義の違いで疎遠な関係にある。

 その後、フランスでのテロ活動で国際指名手配されたため、再びイスラム義勇兵に市民権を与えているボスニアに逃走。フランスへの強制送還を五日後に控えた九九年、事実上、かくまわれていたサラエボの刑務所から「脱走」した。

 フランス国内では逃走中に「見えない敵ナンバーワン」とも呼ばれたが、足跡からは思想的リーダーとはほど遠く、一線で駆け回る活動家像が浮かび上がる。さらにイスラム武闘派の一員だが、アルカイダとの直接的な関連は浮かばない。

 現代イスラム運動に詳しい同志社大中田考教授は同容疑者の来日理由を「逃走目的で、同じ信徒の友人関係で仕事を回してもらっていたと思う。商売も資金づくりより食べるため。中東の富裕層からアルカイダに流れる額はけた違い。同容疑者の商売程度では資金源にはならない」とみる。

■アフガン戦争後、名前だけ独り歩き

 「アルカイダ系」の呼称については、こう語る。

 「アフガン戦争後、アルカイダという名が独り歩きしている。アルカイダが掲げる標語は反米反ユダヤパレスチナ解放などイスラム教徒の間では常識的なことばかりで、名乗りやすい。メンバーシップもなく、勝手にネットワーク化している。名乗れば富裕な信徒らから資金集めをしやすい場合もある。ただ、同容疑者はビンラディンらと組織的な関係を持つ人物ではないだろう」

■閉鎖的でないネットワーク

 問題はこのネットワークが閉鎖的な少数集団ではない点だ。例えば、国民間でビンラディン人気が高く、同容疑者が渡航したマレーシアがある。二十六日に関連で逮捕されたバングラデシュ国籍の会社員アフメド・ファイシャル容疑者はパキスタンの「イスラム協会(JI)」メンバーとされるが、同組織もアフガン戦争中、パキスタン軍統合情報部と義勇兵の窓口になった公党だ。

 一方で、欧米では反米、反イスラエルを訴えるイスラム教徒はテロリスト扱いされがちだ。イラクパレスチナで色濃いユダヤキリスト教連合とイスラム教という宗教対立の色合いがその傾向に拍車を掛ける。米国では「反米傾向のあるイスラム教徒」というだけで、アルカイダ系という決め付けを受けがちだ。

 「草の根でのイスラム教徒たたきこそないが、この傾向は日本でも増しつつある」と中田教授は懸念する。英国はテロ批判と同時に、祖国で弾圧された多くのイスラム急進主義者を亡命者として抱えるという高度な安全保障を図っている。

 その上で中田教授はこう指摘する。「日本政府にそこまで大人の戦略を求めるのは酷だろう。ただ、イスラム世界ではイラクへの自衛隊派遣の後、日本の評判はがた落ちしている。ここで日本側でもイスラム教徒排除の感情が高まれば、無用な衝突を生みかねない」

東京