【ねこまたぎ通信】

Σ(゜◇゜;)  たちぶく~~ Σ(゜◇゜;)

 戦争のリアリティ

嘘っぽいですね.

リアリティって何?

リアリティって「現実」ってことですよね.みんなどういう意味で使っているんだろう.
「現実味」「現実らしさ」「迫真性」「実在」「実在性」などと辞書を引くと出てくる.

私は個人的に全ては虚構で,「自我」だけが現実と思っているのですが,そんな似非哲学的な話は別にして,マスコミ報道であっても著作物であっても,ある特定のフィルターを通してから私たちの目に入る,あるいは,耳に聞こえるリアリティっていうのは,「現実」ではなく,「現実らしさ」でしょう.

もともとそういうものだと思います.だから,「リアルな報道」=「生々しい報道」というのはあっても,現実を伝えられるというのは,幻想だと思います.「現実らしさ」は,映画や小説の中にだってある.

そうやって受動的に受け取る「現実らしさ」というのは,受け取る側においては,例えそれが嘘であっても主体が共感できるか出来ないかが重要な判断材料となる.自分の中に共感できる体験を持っているから,これは,と感じるモノがある.でも,世の中には「嘘くさい」と感じる人もいれば,「脚色」があると斜に構える人もいるでしょう.

イラクの現実が伝わらないのは当たり前で,日本の大多数の人々にとって戦争って現実感がないのですよ.死体の写真をいくら見せつけられても,「気持ち悪い」「見たくない」「ご飯時に見せるな」というのが正直な感想じゃないでしょうか.それにジャーナリストというのは,必ず「ある意図」を持って,そこにいるわけだし,自分や会社の意図にしたがって「事実」は「選択」されるわけです.彼らは,「事実」そのものより,「事実関係」が重要である,ということをよく知っているのです.

一番リアリティを感じる報道というのは,情緒に訴えるものです.そして,「判りやすい」ということ.「自己責任」というのは,日本人の情緒にとてもマッチしているし,判りやすい考え方なのですね.単純に「自己責任」があるかないか,と問われれば,「ある」と答えるだろうことを前提にしているのです.それを拡大解釈して一般化していく.これは,とても卑怯です.受け取る側に「やっぱりな」とか「なるほど」と思わせることが出来ればしてやったりです.

改憲論争もそうです.

前提条件を揃えないで議論など成立するはずがないのに,これまで言葉の定義すら恣意的に解釈し,議論を複雑にして,議論そのものを私たちから遠ざけてきた.そんなことを繰り返していると,「軍隊が必要だから,憲法を改正する」,という真っ直ぐな判りやすい考えは,多くの共感を呼ぶと思います.
だから,私たちは想起しなければいけない.

何を想起するのか?

「想起しなければいけない」というのは,伝えられていないという意味ではないし,伝えられることを期待してはいけない,リアリティは報道の責任より,私たち受け取る側の責任の方がより重いということなんです.だって,テレビのスイッチをひねって,まともな報道が見聞きできると思いますか? 彼らが「人間」を伝えようとしていると思いますか? ないものねだりをしても,前には進みません.

いつまでも甘えていちゃいけない.
判らないことを人のせいにしちゃいけない.情報の混沌という嘘っぱち.見るテレビも読む新聞も毎日決まっているんでしょ.すでに選択してしまっていることに気付かなければ.

そして,私が云っているのは,「戦争のリアリティ」なんかじゃない.

私が云っているのは,「戦争のリアリティ」でもなければ,戦争状態の中の「人間」でもない.当たり前の「人間」が重要なんです.例えばこういうこともそのひとつ.
http://www.cafeimpala.com/onasmallbridgehigh.pdf (2MB)
http://www.cafeimpala.com/onasmallbridgelow.pdf (200K)

イラクの人たちはどんなご飯を食べていますか?
イラクの子供たちはどんなことをして遊んでいますか?
イラクの子供たちはどんなことを勉強していますか?
イスラムの人たちは成人するときどんなことをしますか?
どんな本を読んでいますか?
どんな映画が好きですか?
どんなテレビ番組を見ているのですか?
休日はどんな風に過ごすのですか?
彼らが人殺しの勉強をし,人殺しのビデオを見て,
休日に人殺しの訓練をしていると思っているのですか?
あなたはイラクの何を知っていますか?

「人間」を理解しようとする想像力を衝き動かすことなしに,何も理解できないと思います.

「戦争のリアリティ」は,そのあとです.