【ねこまたぎ通信】

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パレスチナ難民:イラクで優遇政策なくなり「再難民化」

 【バグダッド杉尾直哉】イラクフセイン政権崩壊後、住む家を追われ、難民キャンプでの生活を強いられているパレスチナ系住民が増えている。旧政権のパレスチナ優遇政策がなくなったのが発端だが、「再難民化」ともいえる問題はイラク戦後復興の影に隠れて注目されず、住民は危機感を募らせている。

 バグダッド市街地から南東へ約10キロのバレディアト地区のパレスチナ難民キャンプ。もともとパレスチナ系住民が集中しテント村があったが、4月中旬以降、約300世帯が新たに加わり、26日現在、1200世帯、約1万人に膨れ上がっていた。

 40度を超える猛暑の下、ほこりをかぶった分厚いテントの中は蒸せ返るような暑さだった。フセイン政権崩壊後の2カ月半、一つのテントに9人家族で暮らすユセフ・アブドゥラさん(53)は「こんな動物以下の生活はもう限界だ。アメリカでは動物にも権利があるというが、占領軍は我々を見捨てている」とまくし立てた。

 各テントの広さは6畳程度で、住民はベッド1個と毛布などの最低限の物しか持ち込んでいない。エレベーター技師のワリド・ノアさん(35)は「市内のアパートから移り住んだ直後の今月初旬、臨月の妻(31)が流産した。暑さで体調を壊したからだ」と話した。

 フセイン政権は反イスラエルの立場からパレスチナを支持し、国内でも主に古いパレスチナ難民に、アパート家賃の肩代わりや住居提供などの優遇政策を施した。

 だが政権崩壊後、イラク人の家主は、政府からの家賃補助収入がなくなったことを理由に、次々とパレスチナ住民に退去を言い渡した。だがナビール・ユセフさん(59)は「家賃を自分で払うといっても拒否された。米軍占領のもと、(家主が)親パレスチナと見られたくなかったのが本音だ」と指摘した。

 同地区のパレスチナ住民相互援助組織「ハイファ・クラブ」によると、イラク戦争開始後、隣国のヨルダンへ脱出を図ろうとしたパレスチナ人は約1200人いたが、越境できた者はおらず、これまでに約300人がバグダッドに戻った。残りは現在も国境付近で難民となっており、戻って来る可能性が高いという。

毎日新聞6月29日] ( 2003-06-29-20:18 )