【ねこまたぎ通信】

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反米政権転覆またも

 米国は過去、強大な軍事・政治・経済力を背景に、他国の内政に介入し、政権を崩壊させてきた。指導者の追放、亡命は数あまた。殺害を試みた例もある。介入の結果、民主化に成功した国も、内政・地域の安定につながらなかった国も。米国が関与した政権交代の歴史を振り返ってみた。

 (ワシントン・沢木範久)
◆殺害を狙う

 一九六一年、ケネディ政権は親ソ革命で誕生したキューバカストロ政権打倒のため、反革命部隊の武力侵攻を支援したが、失敗した(ピッグズ湾事件)。

 カストロ氏は四十二年後の今も指導者の地位にいる。

 八六年にはレーガン政権がリビア空爆で最高指導者カダフィ大佐の殺害を狙った。これも失敗。大佐は今も健在だ。

 二〇〇一年、米中枢同時テロの衝撃を受けたブッシュ政権は、アフガニスタン空爆し、テロ組織アルカイダをかくまっていたタリバン政権を消滅させた。

 だが、「生死にかかわらず」懸賞金を出すとして行方を追っているアルカイダ指導者ウサマ・ビンラディン氏や、タリバンの指導者オマル師は見つかっていない。

 これらはいずれも、米国が自分に敵対的な政権指導者の殺害を狙った例だ。

◆軍事侵攻

 他国の内政に直接軍事介入した例として、一九八三年の中米グレナダ侵攻がある。親ソ派のオースチン司令官がクーデターで実権を握ると、レーガン政権は軍事侵攻。同司令官を逮捕した。同司令官は後に死刑判決を受けている。

 八九年には、次のブッシュ共和党政権がパナマに侵攻し、最高実力者ノリエガ将軍を逮捕、米国へ連行するという荒業に出ている。

 前年、米連邦大陪審はノリエガ将軍を麻薬取引罪などで起訴し、両国の対立が深まっていた。同将軍は九二年、マイアミ連邦地裁で禁固四十年の判決を受けた。

◆秘密工作

 米中央情報局(CIA)の秘密工作によって仕掛けた政権交代も多い。

 五三年、CIAはイランのモサデク政権に対してクーデターを仕掛け、親米的なパーレビ国王を実権に復帰させた。国王は脱イスラム化を進めて反対派を弾圧し、七九年のイラン革命で打倒されることになる。

 七三年、CIAはチリのアジェンデ社会主義政権の打倒クーデターに資金を供与。アジェンデ氏は殺害され、ピノチェト陸軍司令官が指導者となった。

 ピノチェト政権はその後十七年、独裁政治を敷き、三千人を超える死者・行方不明者を生んだ。

◆危機回避

 一方、米国の軍事的圧力で危機を回避した例として、九四年のハイチの政権交代がある。

 同国では九〇年、民主的選挙でアリスティド元神父が大統領に当選。翌年、セドラ陸軍司令官のクーデターで国外追放された。

 九三年に発足したクリントン政権は、ハイチの「民主主義復活」を掲げて外交圧力を強め、九四年、国連安全保障理事会多国籍軍武力行使容認を決議した。

 しかし、米軍が侵攻の構えを見せる中、カーター元大統領やパウエル前統合参謀本部議長(現国務長官)らの特使団が派遣され、土壇場で政権側との合意にこぎつける。

 セドラ司令官は恩赦を受けてパナマに亡命。アリスティド大統領はクリストファー国務長官に伴われて帰国を果たした。

◆引導を渡す

 かつての盟友を切り捨てた例が、八六年、フィリピンの「ピープル・パワー革命」によるマルコス大統領の亡命だ。

 同国は独裁のひずみから経済危機に陥り、繰り上げ大統領選でマルコス氏と、民主化の象徴アキノ氏が大接戦。マルコス陣営による開票の不正が明らかになって、国軍の一部がアキノ氏側へ離反し、これを支持する民衆デモが大通りを埋めた。

 混乱の中、マルコス大統領はワシントンに電話。米高官から「レーガン大統領はもうあなたを支持していない」と伝えられ、失意のマルコス一家は用意された米軍機でハワイへ亡命した。

東京新聞