【ねこまたぎ通信】

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パレスチナから-中東動乱・母親の涙と絶望を知って

中東動乱  母親の涙と絶望を知って

    ジューリー・シャワ
アトファルナろう学校校長(パレスチナ・ガサ地区在住)

一筋の望みを断ち切り、米英軍によるイラク攻撃が始まった。遠く離れたこのガザ地区でもまた、人々は食料品を可能な限り買いためている。世界中の目がイラクにくぎ付けになっている間に、パレスチナ人に対して予想される攻撃に備えようとしているのだ。
ガザの人々は、独裁の下で苦しんできたイラクの市民が、今度は米国の軍隊によって犠牲になっている痛みを我がことのように感じている。ガザもまた、何十年にもわたってイスラエルパレスチナの土地を不法に占領することを許してきた国際杜会、特に米国に対する完全な絶望と失望を感じているからだ。
米国生まれの私がこの地に住んで32年。経験を通して、占領とは他者によって土地を取り上げられ、管理されるだけでなく、日常生活のすべてを他者に制御されることだと知った。
多くのパレスチナ人にとって、占領とは民族を消し去ること、その文化、生活の糧、そして誇りを破壊することを意味する。人間は常に自由を希求する。他者を支配するために使われる暴力は、子どもを殺し、女性や男性を殺すだけではない。精神を殺し、理性をむしばみ、他者を制限し、はずかしめ、抑圧し、侮辱し、そして犠牲にする。
世界で最も人口密度の高い地区の一つであるガザ。村でも町でも、人々はイスラエル軍侵攻におびえきっている。その後には、恐ろしい破壊と死だけが残される。トうウマを抱えた子どもたちは、閉じこめられた家の中で抱き合い、泣き叫ぶ。大人たちにはもはや子どもを守ることも慰めてやることもできない。
イスラエル軍は例によって「軍事作戦の結果、テロリストを根絶した」と発表する。しかし、軍事行動によって子どもを合む何十人もの民間人が犠牲になっているのだ。イスラエル軍が民間人の生命にまったく頓着しないさまに、世界はショツクを受けているのだろうか。それともパレスチナ人の命などものの数に入らないのだろうか。私たちには何も聞こえてこない。
そんな国際杜会がガザに目を向けたのは、先月中旬に米国人女性の平和活動家が亡くなた時だった。23歳の大学生レイチェルは、民間人の家を破壊しようとした巨大なブルドーザーの前に「人間の盾」として立ちはだかり、押しつぶされた。彼女は、祖国の政府、政治家、評論家、そして大統領よりも深く、人間の痛みの何たるかを理解し、世界が無視し続ける人々の嘆きを聴いたのである。
夜の闇が下りたガザで、人々ほ身を寄せ合い、貧困と絶望にうなだれながら、明朝のニュースでは、新たな犠牲者が何人報じられるかを心配している。
米国の多くの人々は、戦争の実際を知らない。爆弾が落ちてくることの恐怖を知らない。しかし、日本でも、ヨーロッパでも、それ以外の国でも、人々は自分自身の経験として、また共通の記憶として戦争の恐ろしさを知っているはずだ。
先月21日はアラブ世界の「母の日」だった。ガサで、そしてイラクで、母親たちは、子どもたちが戦争の恐怖と国際杜会に対する絶望の中で成長せざるを得ないことに心の中で泣きながら、それでも彼ら彼女らを静め、慰めようと、顔には精いっぱいの笑みを浮かべている。210人の生徒が通うろう学校の校長であり、4人の子どもの母親である私もまたその一人なのだ。
(原文は英語)
  朝日新聞朝刊2003/4/4 私の視点-投稿記事