【ねこまたぎ通信】

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米英楽勝ムードに冷水 南部戦線でつまずき

 快進撃を続けていた米英軍が、イラク南部戦線で思わぬつまずきを見せている。22日に制圧が伝えられたナシリヤでは23日、米軍がイラク兵の待ち伏せを受け9人が死亡、12人が行方不明になった。またバスラも22日、「米英軍がほぼ掌握した」と伝えられたが、実際にはイラク兵のゲリラ戦の前に今も立ち往生している。

 二つの出来事に共通しているのは、米英軍がイラクの戦力を過小評価していた事実だ。どちらにもフセイン大統領の長男ウダイ氏が率いるゲリラ部隊「フェダイン・サダム」が関与しているとみられる。イラクのゲリラ戦術は、今後も米英軍を苦しめそうだ。

 米国では24日、イラク南部ナシリヤの戦闘で捕虜となった米兵の家族のインタビューがテレビで繰り返し紹介され、開戦当初の楽勝ムードに冷水を浴びせている。米兵9人が死亡、12人が行方不明となった戦闘は、米軍の車列を待ち伏せするイラク軍の計画的な電撃作戦の可能性が強まっている。

 カタールの米中東軍司令部によると、戦闘が起きたのはバグダッド南東375キロのナシリヤの近郊。ナシリヤユーフラテス川をまたぐ二つの橋がかかる交通の要所だ。米軍はその町を迂回する国道1号線を確保していたに過ぎなかった。

 戦闘に巻き込まれたのは米陸軍第三歩兵師団で整備補修を担当する「507歩兵中隊」。23日夜明け前、ナシリヤ南方から軍用車両15台で国道1号線を北上していた。先行の部隊に対空砲などを届けるのが任務だった。

 中東軍の情報や米ニューヨーク・タイムズ紙によると、15台はナシリヤの町を西に大きく迂回する辺りで道を間違え、国道を東に外れて街の方向に迷い込んだ。15キロほど迷い込んだ辺りで中隊の指揮官(大尉)が間違いに気づき、車をUターンをさせた直後、異変が起きた。

 引き返そうとした道路にバス2台が横づけされ、道を塞いでいた。その直後、道の脇からイラク軍のT55型戦車2台が現れ、一緒にいたイラク兵と共に15台の車両に一斉砲撃を浴びせた。

 指揮官が運転する車両など2台は銃撃戦をくぐり抜けて往路を何とか逃げ切ったが、13台はその場に残された。軍用車両といっても大半はやや大型のジープの車で、部隊も重武装はしていなかった。米軍車両は戦車の砲撃だけでなく、迫撃砲の直撃を受け大破したという情報もある。

 パトロール中の米海兵隊が現場を発見。医療救援ヘリが現場上空に着いた時には、銃弾で大破し炎上した車両4台が転がり、米兵の負傷者、遺体が散乱していたという。戦闘での死者は9人に上った。

 残る車両9台は米兵12人と共にイラク側に運び去られた。米兵12人のうち負傷した女性1人を含む5人の映像と身元不明の4人の遺体を国営イラクテレビが23日放映し、カタールの衛星テレビ「アルジャジーラ」を通じて米国にもたらされた。捕虜となった5人に米兵の1人、ハドソン中尉(23)は不安げながら鋭い視線でテレビカメラ見つめていた。フィリピン系の中尉の母親は米CNNテレビのインタビューで「息子は脅えた悲しい目をしている。何とか帰ってほしい」と涙ながらに訴えた。

 部隊はなぜ戦闘に巻き込まれたのか。国道を外れたのは、民兵イラク軍が依然残る市街地におびき寄せられた可能性がある。バス2台と戦車2台が待ち受けていた点から「イラク軍による計画的な待ち伏せ」との見方を強める米軍関係者は多い。「夜明け前、国道の三叉路に何らかの障害物を置き、15台をうまく市街に誘導し待ち伏せしたのではないか」と米国の軍事関係者はみる。

 逃げた指揮官は現場から約6キロの地点で車のタイヤがパンクし、医療救援ヘリに助けられた。この指揮官らの報告を受けた米中東軍によると、イラク軍側の歩兵の大半は制服を着ていないフセイン政権のゲリラ部隊「フェダイン・サダム」だった可能性が高い。

 英国に軍事アナリストによると、このゲリラ部隊は開戦前からイラク軍の手薄な南方に、民兵や一般市民を指導する立場で派遣されていたという。米軍はこうした情報を事前に入手しながら、後方部隊の車列を軽い武装で行軍させていた。米国では部下を置いて指揮官だけが逃げ出した事態に対しても批判が広がり始めている。

【ワシントン藤原章生、ドーハ(カタール)田中洋之】

毎日新聞3月26日] ( 2003-03-26-00:43 )