象牙問題2
私は今日一日,象牙の流通や認証・管理制度の資料などに目を通しながら,「ワシントン条約」って何だろう?と考えていました.(とはいいながら仕事はしていますよ^^;)
ワシントン条約=「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(CITES)」,これは決して野生動植物の取引を禁止する条約ではなくて,「野生動植物の保護の観点に立って」商取引を規制しようと云う各国間の取り決めなんですよね.野生動植物を商取引の商品としてはいけないとは云ってない.絶滅しないようにうまくコントロールしながら取引をしましょう,そういうことなんです.なんだか改めて人間というのは傲慢だなあと思いながら,それはさておき,そういう観点に立つと,今回の取り決めはなるほどと納得行くものです.ワシントン条約会議は,各国の思惑を調整し,妥協点を見いだすための会議であって,「日本では取引再開を望んでいるのは通産省なのに、」と云われているように,会議に各国の代表の方々が足を運ぶ以前にも国内で様々な調整が当然行われているものと推測しますし,水面下でのやり取りもたくさんあったと思います.
「別に象牙なんかなくてもいいじゃん」と純粋に経済活動から切り離して考える人たちとは取り組み方が異なるのは当然だという気がします.チリ農業相のジャミン・カンポス氏が、「今回の会議は、野生生物保護を推し進める重要な合意を達成した」「国際条約で合意された決定は、絶滅危惧種の保護、生物多様性の保存、経済的資源の持続的開発を維持するために、非常に効果的であることを世界に対して証明した」と云った意味はそういうことだったんだなぁ,と合点がいきました.「経済的資源の持続的開発を維持する」ための会議なんだ,私にはとても恐ろしい言葉に響きます.
違法合法に関係なく私が取引に関わる人間だったら,「なあんだ,まだまだ稼げるじゃん,安心したよ」というところでしょうか.「恒常性」を維持し続けようと生態系自身が持つ修復能力を超えて,そのバランスを崩してしまった現在,それを人為的にコントロールしていこうとすることが果たして可能なのかどうか私には判りません,もっと長い時がそれを明らかにすることでしょう.
ハリイ・ハリスンというSF作家の「人間がいっぱい」という小説を思い出しました.「ソイレント・グリーン」という題名で映画化もされました.地上に人間が溢れかえり,自然を食い尽くした近未来という設定です.その仮想の未来では一定年齢に達したものは安楽死させられます.そうして一定の人口を維持しないと人類文明が存続出来ないからです.もうとても古い作品なので落ちをばらしてしまいますが,安楽死させられた人間の遺体は工場に運ばれます.人類に残された唯一の有機質であるから,つまり唯一の食料だからです.
「保護施策」を念頭に置いた「経済的施策」「政治的施策」が有効に機能するかどうか,その判断が正しいかどうかは誰にも判らないですし,その判断が誤っているとは誰にも云うことは出来ません.今それが最善と考える人も大勢いて,いや,そうではない,象牙が無くても生きていけるし,コロが食べられなくても生きていけると考え,全面禁止を唱えることが正しいとは,また誰にも云えません.崩れてしまったバランスは,過剰に保護することで逆に弊害を生むことがあるかもしれません.「かもしれません」ということしか云えないのが,今の私たちの限界であるような気がしますし,それが犯した罪の重さゆえなのでしょう.
あるいは「自然界」の「大きな意志」のようなものがあって,うまく淘汰される「かもしれません」.
ワシントン条約会議が,「非常に効果的であることを世界に対して証明した」とはちっとも思いません.まだまだ私たちは考えが足りないのです.確信が持てるまで議論を重ね続けなければ.
今回のワシントン条約に対する評価は高いようです.
「ワシントン条約会議が閉幕 絶滅危惧種の保護に歴史的な前進」
中国の環境教育が注目されている.
「環境問題に取り組む小さな「監視員」子供が活動の担い手に」
JWCSのサイトに結構資料があります.
「国際取引再開が日本の象牙市場に与える影響」
Effect of Resumption of International Trade on Japanese Ivory Market
象牙の密輸について
象牙の使われ方