「シオニズムと対決するユダヤ人たち(Jews Against Zionism)」からの翻訳(1)
http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/257.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 5 月 13 日 23:09:23: SO0fHq1bYvRzo「シオニズムと対決するユダヤ人たち(Jews Against Zionism)」からの翻訳(1)
(写真はJews Against Zionismの街頭行動:「我々はユダヤ人であるがゆえに『イスラエル』に反対する。」というスローガンが読める。)
http://www.jewsagainstzionism.com/protests/protestpics/nyc042805/cap009.jpgご存知の方も多いでしょうが、シオニズムとイスラエルに反対するユダヤ人たちが世界中に少なからず存在しています。その中で最も活動的な団体の一つ、「シオニズムと対決するユダヤ人たち」Jews Against Zionismのホームページから、目に付いた記事を私の時間のあるときに少しずつ日本語訳を行い、訳し終わった文章は一つずつ阿修羅誌面で公表させていただきます。
http://www.jewsagainstzionism.com/index.cfm
Jews Against Zionism (Main Page)彼らは「ホロコースト(ガス室)」はあった、と固く信じています。それは、一つにはニュルンベルグ裁判の「判決」を自らの検証抜きでそのまま信じ込んでいるせいもありますが、何よりもそれが、シオニストの登場に対する神の怒りがユダヤ人全体への懲罰として向けられたものであり、そしてそれが尊敬するラビたちによる預言の成就であった、とする真摯な宗教的信念から来ているのです。
ただ私としては、彼らの宗教的信念は尊重しながらも、反対派ユダヤ人たちの目から見たシオニズムの姿を通して、様々な事実関係とともに、ユダヤとは何なのか、シオニズムとは何なのか、を別角度から深く知るための一つの資料として勉強していきたいだけです。同時にその意味で多くの皆様に役に立てていただけたら幸いです。
ただしあくまでも「暇をみて」の翻訳ですから、全く不定期になるでしょう。また目に付いた順に気まぐれに訳しますのでシリーズとしてのまとまりは無いでしょう。この点はご容赦ください。(もし誤訳や言葉の使い方のまずい点などを発見されたら、どうかご遠慮なくご指摘ください。)
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++今回翻訳しました記事は、『ホロコーストにおけるシオニズムの役割(THE ROLE OF ZIONISM IN THE HOLOCAUST)』と題されています。かなりの長文です。前半は宗教的な叙述、後半がシオニストとナチとの関係についての具体的・歴史的な記述になっています。
内容をお読みになれば明らかですが、題名とは裏腹にこれは『アウシュビッツ』『ガス室』の話ではなく、第2次世界大戦とイスラエル建国の中でシオニズムが果たした役割に関するものです。したがって戦争板に貼ることにしました。「ホロコーストは神の怒りだった」とこられたのではホロコースト板に貼っても意味がないでしょう。彼らの宗教的信念は尊重しますが。
またこれには「ユダヤ教とは何か」という宗教の問題も絡んでおり、カルト板にも深く関わるものです。(関連事項はカルト板にもいずれ投稿するつもりにしています。)***************************************
http://www.jewsagainstzionism.com/antisemitism/holocaust/gedalyaliebermann.cfm
ラビ、ゲデルヤ・リーバーマン(Gedalya Liebermann:オーストラリア)による記事
【以下、ユダヤ教では「神」の名を直接示すことは差し控えられ母音抜きで表記されるため、それを尊重して「神」と訳さずに原文通り「G-d」と表記する】
『霊的そして物質的責任』
その初めから多くのラビたちがシオニズムの潜在的な危険性を警告した。そして彼らは、すべてのユダヤ人のG-dに対する忠誠が、人が火から離れるように、それから離れているべきである、と大々的に宣言した。彼らは会衆に対しまた一般の公衆に対してその意見を明らかにした。彼らのメッセージは、シオニズムがユダヤ教とは決して相容れない好戦的・排他的な人種主義である、ということだった。彼らは、シオニズムがユダヤ人たちと異教徒たちの良い人生にとって決定的に有害であること、およびユダヤの信仰に及ぼす影響は破壊的以外の何物でもなくなるだろう、ということを公に表明した。さらに、それはユダヤ民族に対する評判を完全に汚し、そしてユダヤ人と非ユダヤ人の社会に全面的な混乱をもたらすだろう、と。ユダヤ教は人種でもなければ国籍でもない。それは昔も今もラビ達の間の合意なのだ。
我々は、妨害されることなくトーラーを学び聖なる土地の外で成し遂げることの困難な聖性のレベルを手に入れることができるように、G-dからあの聖なる土地を与えられた。我々はその恩恵を悪用しそしてそこを追い払われた。それはまさにユダヤ人のすべてがあらゆるユダヤの祭典で祈る言葉の中にある"Umipnay chatoenu golinu mayartsaynu"「我々の罪のために我々は自らの土地を追われた」ということである。
我々はG-dによって「予言される時が満ちる以前にあの聖なる土地に一団となって入ってはならない」「居住する国々に対して反乱を起こしてはならない」と禁じられ続けている。忠実な市民でありなさい、どんな国の意図にも逆らって行動してはならない、復讐、不和、賠償、補償を求めてはならない、「時が来る前に追放の身から逃れようとしてはならない」と。そうではなくて、我々は謙虚に追放のくびきを受け入れなければならない。この誓いを犯すならば、それは「あなたの肉体が藪の中の鹿やカモシカのようにいけにえにされることをもたらすだろう。」そして救済は遅らされることになるだろう。
(Talmud Tractate Ksubos p. 111a).
その誓いを犯すことは単に罪であるだけではない。それは、我々の信仰の根本に逆らうがゆえに異端なのだ。完璧な悔い改めを通してのみ、全能の存在だけが、どのような人間の努力や介入も無しに、我々を追放者の身からあがなってくれるのだ。それはG-dがすべてのユダヤ人に完全な悔い改めを起こさせる預言者エリヤ(Elijah)とモシアク(Moshiach)を遣わしてくれる後になるだろう。そのときにはすべてに平和があることだろう。
その時代のユダヤ教の指導的幹部全員が、シオニズムの結果として、人類全体、とりわけユダヤ人に、大きな苦難が降りかかるだろうと予言した。ユダヤ人であるということは、母親がユダヤ人であることか、あるいは、彼または彼女がユダヤの律法に無条件で従うという条件でこの教えに改宗することかの、どちらかである。不幸なことにあらゆるユダヤの義務に対して何の気付きも無いユダヤ人たちが数多くいる。その多くは非難されるべきではない。多くの場合ユダヤの教育としつけを受けていない。しかし中には個人的な必要性に合わせるために我々の伝統による教えを意図的にねじ曲げる者たちがいる。誰でもが哲学やある宗教の教えに従って決定を為す権利も能力も持っていない、と身勝手に理解される。特にその人物が何の資格も持たないような場合である。それならばすぐに、ユダヤ教は国籍であると「決意した」人々は無視されあるいは非難すらなれなければならない。シオニズムの創始者たちがユダヤの律法を全く学んだことがなく我々の神聖なる伝統に興味を示したことすらない、ということは秘密でもなんでもない。彼らはおおっぴらにラビたちの権威を無視し自分たちをユダヤ人の「国」のリーダーであると自己指名した。ユダヤ人の歴史の中では、このような動きは常に呪われた災厄をもたらしてきた。ユダヤ人であるのにあからさまに権威への不従順を示すことは、あるいはユダヤの霊的指導者たちが公式に指名する人たちとまず相談すること無しに「修正」あるいは「刷新」を取り入れることは、すなわちそれに見合った破局へ導く思想である。昔からの伝統や規則を「近代化する」決定を下すことは、誰一人としてできない。正統派ラビとしてよく知られる現代ユダヤ教の霊的指導者たちは、ユダヤ教信仰に関する事柄を判断し解釈する叙階を受けている。これらのラビたちはその権利と責任を与えられており、全能のG-d自身からトーラーを授かったモーゼにまでさかのぼるあらゆるユダヤの伝統の途切れることの無い鎖のつながりを形作っている。まさにこのようなラビたちが、シオニズム運動が作られた時代に、疑いもなくそれと結び付いた破滅的な結果を予想した。シオニズムに関するユダヤの姿勢を高らかに宣言する者は、傑出したユダヤの本性を所有し比類なき聖性のレベルを持つ人間である。
このカリスマを与えられた人、サトマールのラビ、ジョエル・テイテルバウム(Joel Teitelbaum)大ラビは、どのような言葉も和らげて言うことをしなかった。彼はシオニズムを「悪魔の作業」「冒涜」「聖なるものを汚す行為」と率直に指摘した。彼はシオニズムに、たとえ間接的にでも、関わるすべての事柄に参加することを禁止した。そして言った。シオニズムはユダヤ人に対するG-dの懲罰を招くことになる、と。彼は、ハンガリーにいる間からニューヨークで彼が何十万人もの集会を率いたときに至るまで、不退転の勇敢さでシオニズムの攻撃からこの姿勢を守りぬいた。テイテルバウム大ラビ、神聖なる奥儀の遺産とハシッド【18世紀中葉にポーランドで創設された神秘主義的なユダヤ教の一派:訳注】の指導者たちの若枝は、不幸なことに自分の預言を成就させてしまった。我々は6百万もの兄弟、姉妹、息子、娘たちを実に恐るべき仕方で失った。この6百万人を超す聖なる人々は、シオニストの愚かさによる懲罰を経験しなければならなかったのだ。彼は嘆いた。ホロコーストはシオニズムの直接の結果、G-dの懲罰だったのだ、と。【次の1段落は、原文ではすべて大文字で強調されている:訳注】
ヒトラーが登場した当時のヨーロッパでのあらゆる賢人と聖人たちが、ヒトラーは神の怒りのメッセンジャーであり、やがて来るメシアによる救済という信念に敵対するシオニズムの苦々しい背教によってユダヤ人たちを懲らしめるために遣わされた、と明言したことは誰でも知っている。
しかしそれだけでは終わらない。シオニストのリーダーたちにとってはこのG-dの怒りを招いただけでは十分ではなかった。彼らは、その絶滅作戦に積極的に参加しながら、常にユダヤの兄弟・姉妹たちに最悪の侮蔑をぶつけ続けたのである。シオニズムの思想だけなら、これはラビたちが彼らが大きな破壊をもたらすだろうと知らせてきたものだが、彼らにとっては十分ではなかった。彼らはすでに燃えている炎に油を注ぐ努力をしたのである。彼らはこの死の天使、アドルフ・ヒトラーをそそのかさなければならなかった。そして勝手に自分たちが世界のユダヤ人を代表している、と世間に告げた。これらの者たちを誰がユダヤ人の指導者に指名したというのだろうか? これらのいわゆる「指導者たち」がユダヤ教について無知であったことは不思議ではない。無神論者であり人種主義者であったことも。1933年にドイツに対して無責任なボイコット運動を組織した「政治家たち」がいる。このボイコットが、象を攻撃するハエ程度にはドイツを傷つけた。しかしそれはヨーロッパのユダヤ人に大災厄をもたらした。米国と英国が狂犬ヒトラーと平和な関係を持っていた当時、シオニストの「政治家たち」は見せかけだけの政治的な従順さという手段を捨てた。そして彼らのボイコットがドイツのリーダーを逆上させてしまったのだ。虐殺が始まった。しかしこの人々は、彼らは本当に人類のメンバーに分類できるのかどうか、ふんぞり返っていた。
『恥知らず』
1938年にロウズベルト大統領がユダヤ人難民問題を取り扱うために、エヴィアン会議を招集した。ゴルダ・メィアー(メィアソン)【Golda Meir (Meirson):後のイスラエル首相:訳注】に率いられたユダヤ人委員会代表団は、ユダヤ人一人につき250ドルで他の国に移住することを許すというドイツの提案を無視した。そしてシオニストたちは、ドイツとオーストリアのユダヤ人に居住の許可を与えるためにその会議に出席していた米国や他の32カ国に働きかける努力を全くしなかった。
1940年の2月1日、ユダヤ要求連合(the United Jewish Appeal)の副会長であるヘンリー・モンター(Henry Montor)は、ドナウ川で立ち往生していたユダヤ難民を乗せた船のために介入することを拒んだ。そして次のように述べた。「パレスチナは・・・、年寄りどもや望まれない者たちで、満たされてはならない。」
1941年とそして1942年に、ドイツのゲシュタポが、すべてのヨーロッパのユダヤ人に対して、もしも彼らがドイツと占領フランスにあるすべての資産を放棄するのなら、スペインへ移動させると提案したことは歴史的事実である。次のような条件である。(a)追放された者たちは誰もスペインからパレスチナに向かわないこと、(b)すべての被追放者はスペインから米国または英国植民地に行きそこに留まること:当地に住むユダヤ人によって準備された入国ビザを使用する、(c)1家族につき千ドルの代償金が当局者によって提供される:それは1日につき1千家族の割合で、スペインの国境線に到着した家族に対して支払われる。
シオニストの指導者たちはスイスとトルコでこの提案を受け取り、パレスチナが被追放者たちの行き先から除外されていることがゲシュタポとムフティ【Muftiは一般的にはイスラム学者を指すがここでは具体的に誰のことなのか不明:訳注】の間での合意の基本であったことを明らかに悟った。
シオニスト指導者たちの回答は否定的であった。それには次のようなコメントが付けられていた。(a)ただパレスチナだけが、被追放者の行き先として考えられるだろう。(b)ヨーロッパのユダヤ人たちは他の国に行くくらいなら苦しみと死を受け入れなければならない。そのほうがずっと良い。それはこの戦争が終わるときに勝利国が「ユダヤ人の国」に同意するようにである。(c)いかなる代償金も支払われない。ゲシュタポの提案に対する以上の返答は、それに代わる提案がガス室であったことを十分に知りながらなされたものであった。
これらの不忠実なシオニスト指導者たちは自らの肉体と血を裏切った。シオニズムは断じてユダヤ救済の一つのオプションでは無かった。正反対に、数多くの無法者たちが権力へと上り詰めるために野獣の爪として使用される一つの人間の公式だったのだ。背信だ! 言い表すこもできないほどの裏切りだ!
1944年、ハンガリーでの国外追放のときに、同様の提案がなされた。それですべてのハンガリーのユダヤ人たちが救われたかもしれない。そしてまたしてもあのシオニストがこの提案を拒否した。(すでにガス室が何百万人もの犠牲者を作った後なのだが。)
英国政府は、トルコを通っての避難者たちと一緒に、300名のラビとその家族にモーリシャス植民地へのビザを発給した。その計画がパレスチナに対して不忠実であると見て取った「ユダヤ機関」のリーダーたちはその計画を妨害した。そして300人のラビたちとその家族はガスで殺されなければならなかった。
1942年の12月17日に英国議会両院は危険の迫る人々に対して一時的な難民とみなす用意があることを宣言した。英国議会はドイツとの外交交渉の一部として、50万人のユダヤ人をヨーロッパから避難させ、彼らを英国植民地に住まわせるという提案を出した。この動議は2週間で合計277名の議員の署名を集めた。そして1月27日に100名以上の下院と上院の議員たちによって次のステップが踏まれようとしていたときに、シオニストのスポークスマンは、パレスチナが無視されているからユダヤ人たちはこの動議に反対する、と発表した。
1943年の2月16日には、ルーマニアがTrans-Dniestriaの7万人のユダヤ難民に一人50ドルの費用でそこから出発させるという提案をした。このことはユーヨークの新聞で報道された。テル・アヴィヴにあるシオニスト代表会議にあったユダヤ機関救出委員会の委員長イツァーク・グリーンバウム(Yitzhak Greenbaum)は、1943年2月18日に次のように言った。「彼らが私に『ユダヤ要求連合の資金からヨーロッパのユダヤ人を救うためにお金を出せないのですか』と聞かれたとき、私は『だめだ!』と、そしてもう一度『だめだ!』と言った。誰でも、シオニズムの活動を最重要ではないことに向けさせていく動きには抵抗すべきである。」1943年2月24日に、米国ユダヤ人会議議長で米国シオニストのリーダーであったステファン・ワイズ(Stephen Wise)は、この提案への公式な反対を発表しどのような資金集めも正当とは見なされないことを宣言した。1944年にユダヤ人救出緊急委員会が米国政府に戦争難民規定を確立させるように呼びかけた。ステファン・ワイズは議会の特別委員会で証言しこの提案に反対した。
上記の交渉の過程で、最初の「ユダヤ人国家元首」となるチャイム・ワイツマンは述べた。「ユダヤ人国家の最も重要な部分はすでにパレスチナにある。そしてパレスチナの外に住むユダヤ人は大して重要ではないのだ。」ワイツマンの共謀者であるグリーンバウムは、この宣言を拡大して次の所見を述べた。「パレスチナにいる1頭の牛はヨーロッパ中のユダヤ人よりも値打ちがある。」
そしてそれから、ユダヤ人の歴史で最も苦しい出来事の後で、これらのシオニスト「政治家」たちはボロボロになった難民たちをDPキャンプに誘い込んで飢えと欠乏の中に止めた。そして、彼らの国を建設する目的以外では、パレスチナ以外のどのような場所にも移動することを禁止した。
1947年に議員のウイリアム・ストレイション(William Stration)は40万人の移民が米国に入るための費用を緊急に与える議案を提出した。その議案は、シオニストのリーダーたちによって公に非難された後、議会を通過しなかった。
これらの事実は驚愕と耐えがたい恥辱をもって読まれる。この戦争の最終段階の間にこれがどうやって説明できただろうか。そのときナチスはお金と引き換えに取引を望んでいたのだ。その一つの理由は、彼らがユダヤの影響下にあると信じていた西側勢力との接触を確立したいという強い願望であった。あの自称「ユダヤ人指導者」たちが自分たちの兄弟の最後の生存者を救うために全く指一つ動かそうともしなかったことについて問うことが、どうやって可能だったろうか。
1956年2月23日J.W.ピッカースギル(Pickersgill)移民局長官がカナダ下院で「ユダヤ人難民に対してカナダのドアは開かれるだろうか」と質問を受けた。彼は「政府はこの方面に関しては何の前進もしてこなかった。なぜならイスラエル政府が、・・・、我々がそうすることを望まないからだ。」
1972年にシオニスト指導者は、米国議会が2万〜3万人のロシアからの難民が米国に入ることを許可する努力に反対してうまくそれを潰した。ユダヤ人救済組織は、HIAS(the Hebrew Immigrant Aid Society)と共に、ウイーン、ローマや他のヨーロッパの都市にいる難民たちを見捨てるように圧力をかけられていた。
そのパターンははっきりしている!!! 人間的な救助の努力は壊滅させられ偏狭なシオニストの利益に変えられたのだ。
「ユダヤの政治家たち」として知られているこれらのあさましい堕落者どもによって犯されたショッキングな犯罪行為がもっともっとある。我々は他の多くの例もリストに挙げることができるだろう。しかし当面の間は上記の事実に対する適当な言い訳を誰にでも言わせておこう。
ホロコーストに対するシオニズムの責任は3重である。
1. ホロコーストは「三つの誓約」を軽視したことに対する懲罰であった。(タルムードのTractate Kesubos p. 111aを見よ。)
2. シオニスト指導者たちは、彼らの兄弟と姉妹たちを惨い死から救うための、経済的そしてその他の援助を、あからさまに押し止めた。
3. シオニスト運動の指導者たちはヒトラーとその共謀者たちに、多くの機会に多くの方法で協力した。
シオニスト運動の指導者たちが死にかけている兄弟、姉妹たちの苦境を無視してふんぞり返っていたということが宣言されるのであれば、それは望ましいことなのだろう。彼らは公にその救出の援助を拒否しただけでなく、彼らはヒトラーとナチ政権に積極的に参加したのだ。
1935年の初期に、一つの客船がドイツの港ブレメルハーヴェン(Bremerhaven)の港からパレスチナのハイファに向けて出航した。その船尾にはヘブライ語で「テルアヴィヴ」の名前が書かれており、マストには鍵十字の旗がひらめいていた。そして、その船がシオニストの所有であるにも関わらず、その船長は国家社会主義(ナチ)のメンバーだった。何年も後になってその船の乗客の一人が、このシンボリックな連携を「形而上学的な不条理」だった、と思い出した。不条理か否かはともかく、これは歴史の中でほとんど知られていない箇所の挿絵などではないのだ。シオニズムとヒトラー第3帝国の間には幅広い協力が存在した。1941年1月の初旬、ある小さいが重要なシオニストの組織が、ベイルートでドイツの外交官たちに対して、戦時下のドイツとの政治・軍事同盟を公式な申し出を提起した。この提案はラジカルな地下組織『自由イスラエル戦闘団(Fighters for the Freedom of Israel)』によってなされたものだった。これはレヒ(the Lehi)あるいはスターン・ギャング(Stern Gang)としてより有名である。そのリーダーはアヴラハム・スターン(Avraham Stern)であり、その以前に、ラジカルなナショナリストである『国民軍事組織("National Military Organization" (Irgun Zvai Leumi - Etzel))と英国に対する態度をめぐって対立・分派したものである。英国はパレスチナへのこれ以上のユダヤ移民を上手に禁止していたのだった。スターンは英国をシオニズムの最大の敵だと見なした。
この注目すべき「ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の解決、およびこの戦争でドイツ側へのNMO(Lehi)の積極的な参加のための」提案は、ある長さで引用する値打ちがある。すなわち、
『ドイツ国内におけるシオニスト活動およびシオニストの移民計画に対するドイツ帝国政府とその首脳たちの好意に極めて精通するNMOは、以下のような見解を持つ。すなわち:1.ドイツのコンセプトに基づいたヨーロッパの新秩序と、NMOによって体現されるユダヤ人の国家的熱望との間には、共通の利益が存在する。2.新たなドイツと刷新された民族国家としてのユダヤとの間に協力が可能である。3.国民的・全体主義的な基盤に立つユダヤ国家の確立と、ドイツ帝国との条約によるつながりは、近東地域における将来のドイツの軍事的地位を維持し強化するという利益に含まれるであろう。』
『これらの認識に基づいて、そしてドイツ帝国政府が上に述べたイスラエル自由運動の国家的願望を認めるという条件に基づいて、NMOはパレスチナにおいてドイツ側に立ってこの戦争に積極的に参加することを申し出る。』
『このNMOによる提案は、パレスチナにおける軍事面、政治面、そして情報活動面を含むものであり、ある組織的な処置の後にはその外部でも行われる。これに伴って、ヨーロッパの「ユダヤの」男たちはNMOの指導と命令の元に軍事的に訓練を受け軍隊に組織化されるだろう。彼らはパレスチナ征服という目的のための戦いに参加するだろうし、そのような前線が形作られるべきである。』
『このヨーロッパ新秩序へのイスラエル自由運動の間接的な参加は、すでに準備段階に入っているのだが、上に述べたユダヤ民族の国家的願望の基盤に立ったヨーロッパ・ユダヤ問題の積極的で抜本的な解決と結び付いており、あらゆる人間の視点でこの新秩序の道徳的な基礎を大きく強化するだろう。』
『このイスラエル自由運動の協力はドイツ帝国相当による最近の演説とも一致するものであろう。その中でヒトラーは、英国を孤立させ打ち破るためにあらゆる連携と共闘を利用するであろうと強調した。』(このドイツでの原文資料はAuswertiges Amt Archiv, Bestand 47-59, E224152および E234155-58である。完全な原文テキストは次で出版された。: David Yisraeli, The Palestinian Problem in German Politics 1889-1945 (Israel: 1947) pp. 315-317)
その民族排外主義、国家主義についての類似したイデオロギーを基盤にして、国家社会主義者とシオニストたちは、各々が自分たちの国家的な利益になると信じることのために共に働いた。
これは、パレスチナの小さな土地への支配権を手に入れる目的のために、シオニスト運動が行ったヒトラーへの協力の一例に過ぎない。
そして何よりも悪いことは、洗脳である!
この信じがたいシオニストの陰謀がどれほどユダヤ人大衆を虜にしてきているか、そして他の異なる考え方が彼らの心に入っていくのがいかに困難であるか、ということは、どのような批判に対しても、ほんのわずかの評価への指摘に対してさえも、彼らが示す気違いじみた反応の中に見て取ることができる。盲目の目と閉ざされた耳をもって、我々の抵抗と告発の中で示されるいかなる声もすぐさま押さえつけられ黙らされてしまう。何千回も響くの『裏切り者』『ユダヤ人の敵』という叫びによって。
【翻訳終り】