【ねこまたぎ通信】

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 妄想してみる

ノーベル賞博士が差別発言「黒人、知能で白人に劣る」

2007.10.19 09:41
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/071019/erp0710190941000-n1.htm


DNAの二重らせん構造を発見し、1962年のノーベル医学・生理学賞を共同受賞した米コールド・スプリング・ハーバー研究所会長のジェームズ・ワトソン博士(79)が「黒人は知能で白人に劣る」と発言し、新著宣伝のため訪問していた英国内で波紋を広げている。
政治、宗教、人種問題をめぐる歯にきぬ着せぬ発言で知られる同博士は、14日付の英日曜紙サンデー・タイムズのインタビューで「アフリカの人々(黒人)の知能はわれわれと同じという前提で社会政策がつくられているが、すべての知能テストがそうではないことを示している」と発言。「今後10年内に遺伝子が人間の知能に差をもたらしていることが発見されるだろう」などと語った。
19日に同博士の講演を予定していたロンドンの科学博物館は17日、「博士の発言は科学的論争の限界を超えている」として講演会の中止を決定した。(ロンドン 木村正人)

決してワトソン先生の発言を容認するのではないけど,もし,現実に発言のようなことが客観的事実として認められることがあったとしたら,われわれは差別,あるいは,区別して良いということになるのかな.
白人は黒人よりうんこの量が多いとか,うんこの量は射精の量と比例するとか,日本人は欧米人より仮性包茎が多いとか,白人のチンコは勃起してもふにゃふにゃだとか,そういったデマや法螺や俗説のようなものが,実は客観的事実であったとしたら,馬鹿にしたり,差別したり,奴隷にしたりしてもよいということなのかな.
そもそも知能ってなんなのか.知能の様態が異なれば,社会政策も変える必要があるのか,その中には奴隷制度も含まれるのか.それは違うだろ.ダーウィニズムもねじ曲げられて解釈され,政治政策や社会的態度に反映されている部分がある.
知能とチンコ,何が違うかと云えば,私ぐらいの年齢になれば,もうチンコはそんなに重要ではないが,若いうちはやっぱりチンコの方が大切に決まっている.私はそうだった.で,若いうちはとにかく種付けに励めよとか,知能は高くても若いうちはチンコを優先しなさいとか,社会参加はその後でよいとか,政治は年寄りに任せておけ,とか.でいいか.
ワトソン先生の発言に客観性があるのかないのかという問題ははじっこにおいといて,客観的事実と社会的態度の間に多分に人間の邪な恣意性が入り込んでくる,ということの方が問題なんだろうな,と思う.要は私たちの心の中に巣くう差別根性そのものとそこにつけいる隙があるってことに問題があろう.
そうそう,知能が高くても知性が低いと云うこともあるな.
ま,よくわからんが,とりあえず日本を攻撃してみるか?(ワラ

Fury at DNA pioneer's theory: Africans are less intelligent than Westerners

"inherently gloomy about the prospect of Africa" because "all our social policies are based on the fact that their intelligence is the same as ours – whereas all the testing says not really"

James Watson - Wikipedia, the free encyclopedia

ワトソン先生は,intelligenceという言葉を使っている.一応翻訳としては,知能と知性どちらの意味合いにもとれるけど,一般的には知能は考える力で測定出来るもの,知性は知覚を素として認識を作りあげる精神的諸機能(広辞苑)と区別してみると,ワトソン先生はやっぱり知能という意味で使ったのかな.(朝日新聞は知性と翻訳して伝えている.)
こういう巧いことを云う人もいる.
知能とは1+1 の答えをすばやく出す能力,知性とは 1+1=1 を疑う能力.
( ̄ヘ ̄;)ウーン


猿子爺も馬鹿なことやってます.

ディプロ2007-9 - L'Afrique au Karcher
とりわけ聴衆に衝撃を与えたのはアフリカに関する非常識な描写である。大統領は当時の「現実の政策」だったと言って、どこにも存在せず、19世紀の庇護者然とした世界観を思わせるアフリカを描き出した。さんざん言い古された常套句や、侮蔑に満ちた偏見をまくし立てる前置きのつもりなのか、サルコジはまず、黒人文明への敬意を表してみせ、アフリカの「思想と文化」は植民者を豊かにしてくれた述べた。しかし、それに続く描写は土俗的な妄想に転じる。いわく、アフリカ文明は過去へと向いており、歴史がなく、季節のリズムにしたがって生きている。ほとんどが農村で、「人間的なチャレンジ精神の見られない」世界の中で、本能が理性より重要な役割を果たしている。ヨーロッパの優位性は事実として明らかだ。ヨーロッパは「自由、解放、正義からの呼びかけ、(・・・)理性、普遍的な良心への呼びかけ」であり、それに対してアフリカは「微動だにしない」夢を貪っていただけだ、といった具合である。