【ねこまたぎ通信】

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 法の適用に慎重でなくなった政治

拉致問題で、NHKへの命令放送を「了承」 自民党

2006年11月02日11時33分
http://www.asahi.com/politics/update/1102/004.html


 放送で北朝鮮による拉致問題に留意するよう、NHKに命令するという菅総務相の意向を、2日午前開かれた自民党の通信・放送産業高度化小委員会(委員長・片山虎之助参院幹事長)が事実上了承した。小委員会は「了承しないというのは穏当さを欠く」との認識で一致。菅氏は8日の電波監理審議会に諮問する方針で、放送命令がおこなわれる可能性がきわめて高くなった。
 この日の会合で、菅氏はNHK短波ラジオ国際放送で拉致問題に留意するよう命令する考えを改めて説明したうえで、「拉致被害者の家族からの要望もある。番組の内容にまで立ち入るつもりはない」とした。
 これに対し片山参院幹事長が「熱意はわかる。命令を出すことに違和感はあるが、認めないとか了承しないとかいうのは大人げない。しようがないなと思う」と発言し、出席者に理解を求めた。出席議員の一人は会合後、「大臣の思いがあり、止められない。拉致問題を持ち出されては、何も言えない」と語った。
 具体的な項目をあげての放送命令について、自民党内ではこれまで「公共放送に対する介入になる」などの慎重論が相次いでいたが、菅氏は方針を変えなかった。
 菅氏は2日の閣議後の記者会見で、電波監理審の見通しを「理解は得られると思っている」と述べ、自信を示した。

しようがない,とか,止められない,とか,何も言えない,とか,この人たちは何屋さん?と問いかけたいところだが,それは,まあ,いいや.
さてさて,NHKに対する総務省による「命令」のことであるが,その法的根拠は,放送法である.

(国際放送等の実施の命令等)

  • 第33条 総務大臣は、協会に対し、放送区域、放送事項その他必要な事項を指定して国際放送を行うべきことを命じ、又は委託して放送をさせる区域、委託放送事項その他必要な事項を指定して委託協会国際放送業務を行うべきことを命ずることができる。
  • 2 協会は、前項の国際放送の放送番組の外国における送信を外国放送事業者に委託する場合において、必要と認めるときは、当該外国放送事業者との間の協定に基づきその者に係る中継国際放送を行うことができる。
  • 3 第9条第7項の規定は、前項の協定に準用する。この場合において、同条第7項中「又は変更し」とあるのは、「変更し、又は廃止し」と読み替えるものとする。

この放送法33条に従って,短波ラジオ国際放送(外国において受信されることを目的とする放送であつて、中継国際放送及び受託協会国際放送以外のもの)の内容に関して毎年総務省から命令が出されているのだが,その内容は,

  • 時事
  • 国の重要な政策
  • 国際問題に関する政府の見解

の3項目のみであり,今回のように「拉致問題に留意する」という個別の問題に関する「命令」は前例のないことである.巷間では報道への介入の恐れがあるという事が言われているが,この規定を字義通り読む限りは適法であり,これまで行政サイドは33条の適用に慎重であったといえる.一方で,33条は国際放送についてはあらかじめ介入する余地があることを規定していたとも解釈されるのである.そのため,35条に国費による負担が規定されている.
しかし,放送法の第44条(放送番組の編集等)の4の規定にこういうのがある.読んでみるとちょっと待てよ,という感じである.

(放送番組の編集等)
第44条
4 協会は、国際放送の放送番組の編集及び放送若しくは受託協会国際放送の放送番組の編集及び放送の委託又は外国放送事業者若しくは外国有線放送事業者に提供する放送番組の編集に当たつては、我が国の文化、産業その他の事情を紹介して我が国に対する正しい認識を培い、及び普及すること等によつて国際親善の増進及び外国との経済交流の発展に資するとともに、海外同胞に適切な慰安を与えるようにしなければならない。

「海外同胞に適切な慰安を与える」はまったく関係ないですが,「国際親善の増進及び外国との経済交流の発展」という目的を拡大解釈しなければ,政治政策的な内容の国際放送については,放送法では想定していないと考えていいでしょう.したがって,NHKは政治政策上の意図を持った「命令」に従って番組を編集してはならないことは当然ながら,翻って33条には政治政策的意図を持った「命令」は含まないと考えていいでしょう.両条文が整合性あるものなら,いや,整合性がなくてはならないので,33条のいう「命令」には,今回のような政策的意図を持った「命令」は含まれないことになり,今回の「命令」については必ずしも適法であるとは言い難い.


法は現実社会の中の揺らぎをある程度カバーできるように緩やかな幅を持って作られていますが,法文解釈において言葉を抽象的に捉えたり,内容を拡大解釈をしたりするのを一度許してしまうと,そこにつけ込んで運用する者の恣意性がどんどん入り込んでくることになります.ですから,法を適用しようとするならもう少し慎重に,そして,適正に解釈・運用してほしいものです.
特に,憲法は為政者に対するしばりですから,国民の安全側に立って拡大解釈はもちろんのこと,下位法や政治政策との整合性のために改訂されることがあってはなりません.「時代」に即したとか,現実に適応したとか,よく云われますが,時代や社会の雰囲気で理念を易々と変えていくようでは,為政者につけ込まれるばかりです.
近頃はどうも法というものが安易に扱われているような気がしてなりません.特別立法で作ればいいじゃん,臨時法で付け足せばいいじゃん,書き換えたらいいじゃん,どんどん煩雑で複雑にしていってますが,そもそも立法者というのは何をするのか,行政側の意図するままに,さしたる理念もないままに立法者は動いていないか.いつから行政が三権分立の最上位に立ったんでしょう.
はじめに自衛隊派遣ありきで決められたイラク特措法もそうだし,最近では集団的自衛権違憲例研究もそう.違憲例を研究すると云うことは,集団的自衛権行使を認めることを前提に議論を始めると云うことであって,そんなのは議論でも何でもない.教育基本法憲法の改正の議論も同じ事です.なんでもかんでも行政側の「○○ありき」で進められたらたまったものではない.
法の適用に慎重でなくなった政治は,立法においてもである.


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