【ねこまたぎ通信】

Σ(゜◇゜;)  たちぶく~~ Σ(゜◇゜;)

 レバノンは今

再びくすぶる 世界の『火薬庫』

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050516/mng_____tokuho__000.shtml

 レバノンでは、四月末にシリア軍、情報機関が撤退した後、きな臭さが漂い始めた。米国は「テロ支援国家」シリアの包囲網確立を狙い、レバノン民主化の名の下、シリア軍撤退を強いた。しかし、シリアという重しをはずした結果、民主化とは裏腹に、一九九〇年まで十五年続いた内戦の温床「宗派政治」が息を吹き返しつつある。(ベイルートで、田原拓治)
 突然、霧が立ちこめてきた。シリアとの国境に近いベカー高原のシュトゥーラは、車で約三時間のベイルート−ダマスカスの中間点だ。五月初め、この町のシリア軍検問所にレバノン兵が立っていた。シリア軍駐留の痕跡は消えていた。
 「追い出されたのは『子猫(内戦仲裁したシリア)が肉(利権)の味を知り、ライオン(アラビア語でシリア大統領の名と同じアサド)になった』からだ」
 レバノン人の乗り合いタクシー運転手がことわざでシリア軍撤退を評した。
 約五十万人いたシリア人の出稼ぎ労働者は日々、レバノン内のシリア秘密警察に告げ口した。「あのレバノン人はシリアの悪口を言っていた」−。報酬はより良い職の周旋だった。
 「『弱った牛には解体屋が群がる』。自分はそんな解体屋にはなりたくない」
 レバノン人の客が応酬する。確かにシリア軍の蛮行はあった。レバノン再建に伴う利権にも介入した。だが、シリアなくして内戦の終結はなかった。撤退にも礼節が必要というのだ。
 首都ベイルートでは、怖い隣国の秘密警察が去ったいま、人々は自由に酔っていた。カフェで本屋で、政治を大声で論じる。
 「毎日、政治の話でうんざり」とホテルの女性従業員は嘆いた。でも、すぐさまこう聞いてきた。「だれがハリリ(暗殺された前首相)を殺したの?」
 証拠はないが、国際世論は「シリア黒幕」説に染められ、シリア軍撤退に結果した。現在、流布する珍説は「米国がシリアを使って殺した」だ。この国で暗殺は日常茶飯事。そして「下手人は不明」が常だ。
 首都の殉教者広場に前首相の弔問所がある。壁には「ホリーヤ(自由)、シヤーダ(主権)、ワヘダ・ワタニーヤ(一つの祖国)」と記されていた。暗殺事件と引き換えに、少なくとも前の二つは手にした。人々の関心事は、すでに今月末の国会選挙に移っている。
 レバノン岐阜県の面積に横浜市より少し多い人口で、国会は規模だけをみるなら横浜市議会ほどだ。

■シリア抜きに成立せぬ経済
 「反シリア」「親シリア」の色分けもあいまいになり、人々のシリア評には変化がうかがえる。レバノンの銀行はシリア人の預金と商取引で成り立つ。安い農産物や建設、ゴミ収集など単純労働力もシリア頼みだ。工事がストップした建設現場を横目に、切り離せない両国関係を市民は痛感し始めている。
 十四年前、再開された直後のベイルート空港は野良犬天国だった。いまは「動く歩道付き」の近代空港に変わっている。高層ビルが立ち並び、内戦の傷あとは探さなくては見えない。
 外資なくしてレバノンの再生はなかった。そして、スポンサーの外資は各宗派で異なる。イスラム系でもスンニ派がサウジアラビアシーア派ヒズボラ(神の党)がイラン…。外国の介入にも映るが、実相は各宗派、党派が外国勢力を引き込むのだ。「われわれは(古代地中海交易で繁栄を極めた)フェニキア商人の末裔(まつえい)」と書店経営者イーシー・ハフウシュ氏は話す。


■テレビ局まで宗・党派別に
 レバノンは内戦中、世界の「火薬庫」だった。多宗教のモザイク国家で、テレビ局も宗派、党派別に七つもある。だが、各宗派内は一色ではない。親イスラエルとみられがちなキリスト教マロン派では、ラフード大統領らは親シリア。アウン元首相派とジャジャ元司令官派は反シリアだが、宿敵関係にある。
 街では、シリアが拘束した疑いのある約四百人の行方不明者の家族たちが解放を求めていた。釈放された一人の青年が訴えた。「悪いのはシリアだけじゃない。まず、レバノン人が自分を連れ去ったのだ」
 だれがさらったのか。答えは難しい。というのも、各宗派、その中の各派が宗派の大枠を超え、さらに外国勢力も交え、合従連衡を繰り返すからだ。それは内戦中も現在も変わらない。
 最近の反シリア・デモを組織したのは、右派キリスト勢力の二派に加え、従来は親シリアだったドルーズ派の進歩社会党とスンニ派のハリリ前首相が率いたグループ。だが、シリア軍撤退後、国会選挙法をめぐり、進歩社会党とハリリ派は親シリアのシーア派勢力と歩調を合わせ、キリスト教勢力を攻撃。親シリアのラフード大統領は、敵だった右派キリスト勢力を援護する−という具合だ。
 シリアという重しがなくなり、自派の利害を最優先する旧来政治に回帰しつつあるのだ。地元紙は内戦を誘発しかねないこの宗派(ターイフィーヤ)政治の終わりと、新しい民主政治の構築を訴えている。
 願いとは別に、シリア軍撤退の音頭を取った米国の戦略は明白だ。この地域を「親イスラエル」化することだ。最難関のシリア対策では、シリア包囲網の一環として、レバノンをシリアから切り離した。
 その先にレバノンの対イスラエル和平をみるが、最大の障害は、レバノンで唯一の民兵勢力、反イスラエルヒズボラだ。このためシリア軍撤退の「武器」となった国連安保理決議一五五九号には、ヒズボラ武装解除もうたってある。
 だが、独立系左派のナジャハ・ワキーム前国会議員は「ヒズボラの強制武装解除は危険極まりない。内戦の導火線になりかねない」と憂慮する。実際、反ヒズボラのジャジャ元司令官派の学生、エディ・アスディフ君は「ヒズボラが武器を離さないのなら、われわれも過去のように武装し、強制しなくては」と言う。
 そのヒズボラの中堅幹部アタッラー・ムハンマド氏は「(われわれの)武装解除レバノン国民が決めることで、国連に干渉される筋合いはない」と前置きし、「いまでも毎日、イスラエルの戦闘機が領空侵犯している。武装解除は絶対にできない」と断言する。
 ヒズボラはイランと一体で、米国とイランが和解しない限り、ヒズボラ武装解除はない。だから外圧が高まり、それにレバノン国内の親イスラエル勢力が乗れば、暴発しかねない。


■明日に不安?市民買い控え
 内戦終結後、鳴りを潜めていた爆弾テロもキリスト教徒地区、ヒズボラの拠点双方で起きている。明日への不安からか、市民は買い控え、商店は季節はずれのバーゲンを続けている。
 喫茶店で隣に座った教師が傍らの水たばこを見つめつつ、こうつぶやいた。
 「今のレバノンはこれと同じだ。灰をかぶって一見静かに見えるが、その下では炎がくすぶっている」


レバノンの30年略史 

1975・2 右派キリスト教民兵パレスチナ人襲撃を機に内戦ぼっ発

 76・11 アラブ連盟と米、イスラエルの支持の下、シリア軍が駐留開始。右派キリスト教勢力を防衛

 78   イスラエル軍の南部侵攻。エジプトの対イスラエル和平路線も相まって、シリアは左派イスラム勢力やパレスチナ解放機構(PLO)支援に転換

 82・6 イスラエル軍が首都に侵攻。PLO本部が撤退、右派キリスト教勢力を核とした親イスラエル政権の樹立

 83・10 ベイルートの米海兵隊司令部ビル、フランス軍師団兵舎に反イスラエル勢力が自爆テロ(計300人以上死亡)。欧米駐留軍は、84年に相次ぎ撤退

 89・10 内戦終結で各派がタイフ合意

 90・10 右派キリスト教勢力のアウン首相(当時)が反シリア決起に失敗し亡命。内戦(約15万人が死亡)が終結

2000・5 イスラエル軍が一方的に撤退

 04・9 憲法改正で、親シリアのラフード大統領の任期延長。国連安保理はシリア軍撤退など求める決議1559を採択。10月にハリリ首相が辞任

 05・2 ハリリ前首相爆殺。空前の反シリアデモ

 05・4 シリア軍が全面撤退。5月29日に国会選挙(予定)