【ねこまたぎ通信】

Σ(゜◇゜;)  たちぶく~~ Σ(゜◇゜;)

 論点からの逃避

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ■ 『from 911/USAレポート』 第184回
 ■ 冷泉彰彦   :作家(米国ニュージャージー州在住)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「論点から逃避する政治」

1月30日のイラク暫定国民議会選挙については、アメリカ国内の報道は冷静さを欠いていました。特に投票の翌日、31日の月曜日には、一旦ですが「投票率72%」という数字が一人歩きすると、各メディアはまるで「イラク民主化」が実現したと言わんばかりに、祝賀ムードの報道となり、批判は許されないような雰囲気が漂いました。これに乗じてブッシュ大統領は間髪を入れずに「勝利宣言」していました。
投票日当日、30日の朝のNBCでは、毎週日曜日恒例の政治討論番組『ミート・ザ・プレス』に「敗軍の将」ジョン・ケリー上院議員が出演していて、「あの程度の成功は予想されていたこと」として、盟友テッド・ケネディ議員同様に「一刻も早い米軍撤退」と「国際社会との対話の復活」を訴えていました。ですが、それも全部吹き飛んでしまった感じです。
31日の時点になると、この問題に関しては、アメリカでは誰も「ブッシュの成功」に疑問を呈することはできなくなっていたのです。翌日の1日になると、投票率は60%ぐらいらしいという「下方修正」が入りましたが、三大ネットワーク各局は翼賛報道を続けるのに嫌気がさしたのか、各局共にトップニュースは「マイケル・ジャクソン裁判」に移っていました。
ということで、世論には「72%の投票率」とか「イラク民主化へ向けて選挙は大成功」というイメージだけが植え付けられて行きました。今回の選挙に関する最大の問題、つまり部族宗派別に極端に投票率が違った場合の危険、というようなことは、まともには報道されていません。勿論『NYタイムス』のような「高級紙」では、一応「国家分断の危険」であるとか「スンニー派指導者への和解工作続く」というような記事も出るのですが、それも2日ごろになって、人々が「良かった良かった」といって、関心を他へ向けてからでした。
報道姿勢のいい加減さということでは、この『NYタイムス』の場合、2月1日の一面トップのカラー写真が良い例でしょう。「治安の確保されたクルド地区では安心して開票作業が進む」というキャプションつきで、女性達が開票作業をしている写真なのですが、様々な報道で見慣れたはずの青い投票用紙が妙に小さいのです。良く見ると111の比例代表グループを大判の紙に印刷したものではなく、色は同じでも選択肢は14しかありません。これは国政選挙である暫定国民議会議員選挙ではなくて、同時に行われたクルド自治区の評議員選挙の投票用紙に違いありません。
ですが、何の断りもなく「開票進む」という説明つきで紹介されているのです。仮にアメリカの大統領選の報道をするのだったら、同時に行われた州議会議員選挙の投票用紙を数えている写真を使うなどということはあり得ません。要するに、どうでも良いのです。「イラクで選挙があった。予定通り行われた」ということにしか関心がないのです。その程度の認識で、祝賀ムードにひたっているのですから、本気でイラクに民主主義を導入するということになど関心はないと言って良いでしょう。
実際問題としては、開票が進むにつれて日一日とスンニー派居住地区の投票率が低かった、いや投票所自体が設置でき(され?)なかったところもある、という実態が明らかになり、「シーア派クルド人連合(?)」と「スンニー派」の対立という図式が色濃くなってきているのですが、アメリカ全体としては関心を呼んでいないのです。そう申し上げると、それは政府がメディアと一緒になって報道統制をしているのだろう、そう考える方もあるでしょう。確かにそうした統制あるいは、自主規制というような要素はあると思います。
ですが、それ以上に「イラクの話は、とにかく良かったことにしたい」という世論の感情があるのだと思います。そうした漠然とした感情が「72%」という数字を見て、「良かったじゃないか」と思考停止してしまう、これは、とにもかくにも2005年2月のアメリカの雰囲気のなせる業なのでしょう。仮に「良かった」と思うことが悪くないとしても、その「良かった」というのは、「これで可哀相な米兵を帰国させることができる」という意味だけなのです。「イラクが平和になる」という文脈で、ニュースを追っている人はほとんどいないと思います。
こうした漠然とした「祝賀ムード」の中で、ブッシュ大統領は再選後初の「ステート・オブ・ユニオン・アドレス(年頭一般教書演説)」に臨みました。慣例にしたがって下院議場に多くの座席を持ち込み、上下両院議員、連邦最高裁判事、統合参謀本部の幹部も列席していました。そして「大統領の閣僚の入場です」という議場職員のかけ声に続いて、ライス国務長官をはじめとする閣僚が入場、そしてこれまた例によって相撲の呼び出しのように「ミスター・スピーカー(下院議長殿)、プレジデント・オブ・ザ・ユナイテッド・オブ・アメリカ(合衆国大統領の入場です)」の声と共に、真っ赤なネクタイも鮮やかなブッシュ大統領自身が入場してきました。
下院議場の真ん中にしつらえた「花道」を通って、その間は両側に並んだ議員や支持者たちと握手をしながら行くので、大統領はなかなか演壇に近づきません、いつもの光景ですが、さすがに再選を果たした直後とあって、ブッシュ大統領は得意満面という感じでした。
さて、その「一般教書」ですが、この大統領にしては珍しく古典的なレトリックと構成を貫いたもので、なかなか押し出しの強い演説だったと思います。数日前から、ホワイトハウスの会議室にプロンプターを持ち込んで「練習」する大統領の静止写真が出回っていましたが、本当に相当練習ようで、スピーチ自体も淀みのない、物理的な効果は相当なものだったと思います。
冒頭では、全く「イラクの選挙」には全く触れずに始まりました。その代わり、ブッシュ大統領が持ち出したのは「子供達の世代に何を残すのか」という問いかけでした。これが、この日の全体を貫くテーマということのようでした。見方によっては、長期的な内政のビジョンを描こうとも取れる、あるいは「歴史の審判を待つ」ための具体的な成果を挙げたい、そんな雰囲気のスタートでした。
「子供達に灰色の未来を残してはいけない」という美しい文句と共に、大統領は政策(?)を次々と並べて行きます。「財政赤字を2009年までに現行の半分に」「健康保険制度の拡充」「エタノール車の普及」「外国のエネルギーに依存しない体質」「課税項目の簡素化」「移民法の見直し」と、本当にズラズラと並べていきました。ここまではいずれにしても、中道的な政策がほとんどでした。中でも中南米からなどの移民の門戸を広げる意味合いの入っている移民法改革などは、共和党内にも多くの反対派を出しているような問題です。
本論とは外れますが、エタノール車の問題については注目しておく必要があるでしょう。エタノールとは、アルコールの一種で、トウモロコシを主原料としたいわば植物性の燃料です。ですから、農業国アメリカの強みを生かして農業を活性化しながらエネルギーの自給に持ってゆく、これを官民を挙げて推進しようというのです。この場合のトウモロコシについては、人の口には入りませんから遺伝子組み換えなどがドンドン進み、生態系の問題でヨーロッパや日本などと文化摩擦を起こすかも知れません。そのあたりの議論はちゃんとやっておく必要があると思います。
ここで、急にブッシュ大統領は年末から言い始めている「年金改革問題」を取り上げました。「このままでは公的年金(ソーシャル・セキュリティー)は2042年に破産する」そう宣言したのです。その瞬間、演壇から見て議場の右半分(弱)を占めている民主党の議員席からは「ノー」という野次がコーラスで響き渡りました。何でも、大統領の演説中に野次が飛び出したのは、「近代になって以来聞いたことがないですね。まるで英国国会のようです(翌朝のNBCのマット・ラウアー)」ということだそうです。
今回も「公的年金の民営移管」つまり個人別の年金口座、いわば官製の401Kを作らせる代わりに、その分に関しては国庫による年金支払い負担を減らそうという持論を徹底的に説明していました。この部分では、立って拍手している議員は、演壇から見て左側の共和党陣営でも半分ぐらいでしたから、相当な反対が予想され今後の議会は大荒れになるという見通しもあるのですが、大統領はあくまで強硬です。
この話題の次は、同性愛婚を禁止する憲法改正を訴えたかと思うと、亡くなった俳優、クリストファー・リーブの奥さんをゲストして議場に招いて、生命医療に関する研究について、国庫補助を増やすと声明、露骨なまでに「右」と「中道」の政策を混ぜて、バランスを取っていました。
演説が始まってから30分の間は、「イラク」の「イ」の字もなかったのですが、一旦こちらの話題に踏み込むと、数日前の「選挙実施の成功」というムードが後押しした形で、大統領は更に調子に乗っていきました。イラクの復興には、NATO、EU、国連の協力が必要と言ってみたり、北朝鮮の核問題はアジア各国との協調で進めるとか、パレスチナ和平に積極的な姿勢を見せるなど、ソフトな言い方も入っていましたが、シリアとイランに関しては強硬姿勢を見せるなど、軍事外交の面では「二期目」に何をするかは、まだ不気味な様子を残していました。
演説開始から45分たったこのあたりから、話題はイラクの「勝利」を再確認する流れになっていきました。大統領夫人の「ゲスト」として傍聴席に招待されていた、一人の女性が紹介されました。この人は、ソフィア・アルスファルというイラク女性で、父親がサダム・フセインの秘密警察に暗殺されているのだというのです。この女性を「日曜日に一票を投じたイラク市民の代表」として演説の中で紹介、そして「アメリカの貴い犠牲に感謝」しているというこの女性からの書簡も読み上げられました。
その次は、その「犠牲」にスポットが当てられました。ファルージャの市街戦で、海兵隊員の息子を失ったジャネット・ノーウッドというアメリカ人女性が紹介されたのです。このノーウッド夫人も、ローラ夫人の「ゲスト」ということで、ちょうど、アルスファルさんの後ろに座っていたのですが、紹介がされると、アルスファルさんはノーウッド夫人の方に向かい、二人の女性は涙を流して抱き合っていました。
ノーウッドさんは戦死した息子さんの「識別票」を持ってきていたのですが、正に息子さんの「死」を象徴する首から下げるメタルの名札を、アルスファルさんが撫でている様子までTVには映し出されました。満場の議員や要人、支持者達は立ち上がって拍手し、大統領は演壇の上で「ほほえましげ」な表情で見守っていました。そう言えば、あれほどアメリカ中が騒いだ津波被害への「超党派募金ブーム」の話題には、全く一言も触れずじまいでした。
これが2005年の「年頭一般教書」でした。スピーチとしては、演出過剰なほどに工夫がされ、大統領の話し方もいつになく淀みのないものでしたが、結局のところ要点は「年金」と「イラク」だけでした。メディアの反応もその二点が紹介されただけ、そんな扱いが多かったようです。
一番のハイライトだった、イラク人女性とアメリカ人女性の抱擁シーンは、翌朝の各局のニュースが扱っていましたが、アルスファルさんの名前や、父親がサダム一派に殺されたというエピソードは紹介されていませんでした。大統領にとっては自信満々の演説だったようですが、世論に与えたインパクトとしてはそれほど大きくなかった、要するにそう言うことです。
では、民主党側が攻勢を強めているか、というとこちらもそうではないのです。ブッシュ大統領の演説が終わると慣例にしたがって、民主党側の「公式見解」がTV中継されました。今年は、上下両院の院内総務が二人で担当していたのですが、勿論、今の両党の関係からして、基本的にブッシュの政策には「絶対反対」というトーンでした。ですが、その中身は内容的に乏しいものと言わざるをえませんでした
まず何と言っても社会保険問題ですが、基本的に民主党の姿勢は「危機というのはウソである。人々のセーフティ・ネットである公的年金の最低支給額まで政府が保障しなくなっては困る。だから個人年金勘定にも絶対反対」というだけです。ブッシュが年金を持ち出す背景にある「財政再建は難しい」という認識を徹底的に突く迫力はありません。
イラク問題に関しては、先週のテッド・ケネディ、30日のケリーと続いた発言ではありませんが、民主党としては、あくまで米軍の撤退を具体的な日程にせよ、という主張を繰り返すばかりです。下院院内総務のナンシー・ペロシ議員の言い方としては、とにかくイラクにおける米軍のプレゼンスを小さく、という主張でした。主張としては間違っているとは思いませんが、イラク復興への、あるいは中東の戦火拡大を防止する意味で、何か分かってモノを言っているというムードは感じられませんでした。
現在の政局を概観しますと、大統領選以来の対立はまだ続いていて両党の歩み寄りの雰囲気は全くありません。その一方で選挙戦の時のような対立エネルギーそのものは雲散霧消してしまっています。頻繁に意見のキャッチボールをし続けるエネルギーはどこかへ行ってしまったようです。一方で再選を果たしたブッシュは、自信満々のように見えます。
ですが、そのブッシュの政治力は「財政再建」や「一気に国際協調」へと踏み込むような力には至っていないのです。そこで、年金とイラクという「目に見える」そして「賛否の決めやすい」問題だけを世論に投げかけて、「ワンフレーズ」的に執拗に持論を展開して来るのです。これ自体が一種の政治的逃避と言わざるを得ません。
それに対して、民主党は何もかも絶対反対の野党根性が染みついてしまったようですし、共和党の伝統的保守も正面切った批判はできずにいます。結果的に、ブッシュがフリーハンドの権力を持っているのでもない、反対派が勢いづいたのでも全くない、結果的に左右揃って本当の政治課題から逃避しているようです。
911からアフガンとイラクの戦争、そして昨年の選挙と、結果はともかくアメリカ社会はある種の活力を持って、物事への賛成反対を問うてきました。ですが、今年の年初にある雰囲気は違います。今週のアメリカで、人々の最も関心を呼んでいる話題は、実は大統領演説でも、イラクの選挙でもありません。来週の日曜日に迫った、スーパーボウルと、始まったばかりのマイケル・ジャクソン裁判が話題の中心なのです。
要するに国内は平和ムードになってきているのです。911以来の「戦時ムード」それ自体が何か良いものを生み出したとは思えませんが、ようやく社会に安堵感が広がったことで健全な活力が生まれてきているかというとそうでもないのです。決めなくてはならないこと、正面切って向かい合わなくてはならないことに、向かい合えない、これは逃避に他なりません。アメリカは「戦時」を続ける力も、新たな平和を創出する力も失ったように見えます。