泣けてきた
ゴジラはどこに眠るのか
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20041128/col_____sha_____001.shtml
日本映画最大の国際スターが、シリーズ二十八作目を区切りに銀幕を退くことになりました。ゴジラはどこからやって来て、どこへ帰って行くのでしょうか。
なだらかな尾根の向こうから突然頭を持ち上げたその異様な生き物は、不ぞろいの牙をむきだして耳障りな雄たけびを上げました。
白黒の薄暗い画面の中で目だけが強い光を放ち、荒れ狂う姿はまるで巨大な「怒り」の塊でした。
一九五四年十一月、映画「ゴジラ」が公開されました。ハリウッドの殿堂入りも決まった怪獣王のデビューです。■恐怖と怒りの世相
この年三月、南太平洋のビキニ環礁で米国が行った水爆実験の「死の灰」が、危険区域の外で操業中だった日本のマグロ漁船第五福竜丸に降り注ぎ、被ばくした乗組員一人が亡くなりました。
超大国の巨大なエゴと暴力と、「死の灰」という未知の存在が、日本中を震撼(しんかん)させました。
広島、長崎に続いて三たび、この国が、世界中でこの国だけが核兵器の犠牲者を出しながら、時の政府も今と同様「米国の核実験阻止は日本としてすべきでない」と“日米協調”にしがみつき、抗議に消極的でした。
理不尽な力を前にして、民衆はやり場のない怒りにさいなまれ、深いむなしさに襲われました。この「第五福竜丸事件」とそれを取り巻く恐怖と怒りの世相こそ、ゴジラ誕生のきっかけでした。
水爆実験の衝撃で長い眠りから目覚め、放射能をまき散らして荒れ狂い、破壊の限りを尽くすジュラ紀の恐竜の生き残り−。
「ゴジラこそわれわれ日本人の上に今も覆いかぶさっている水爆そのものではありませんか」という水難救済会所長(宝田明)の言葉の通り、ゴジラは、大戦の陰を引きずる世相の申し子だったのです。■人間の方がよっぽど…
そういえば、国会議事堂がゴジラに破壊されるシーンでは、観客から「ゴジラ、よくやった」の歓声と拍手がわいたそうですが。
それからちょうど半世紀、怪獣王は時代を背負い、世相を映して戦い続けてきたようです。まるでそうすることでしか、戦うことの悲しさを表せないというように。
ゴジラ誕生の年に始まった神武景気は、人々を大量消費時代へいざない、ゴジラも破壊の権化から人類の友へと変貌(へんぼう)していきます。
「ゴジラの息子」(六七年)ではマイホームパパよろしく息子ミニラの教育にも励み、「ゴジラ対へドラ」(七一年)では、公害問題に取り組みました。高度経済成長から飽食の時代を迎えて体形はすっかり丸くなり、顔つきも穏やかになっていました。
八四年、九年間の休眠を経て制作されたシリーズ第十六作、一作目と同名の「ゴジラ」では、原点回帰、怖いゴジラの復活が図られました。しかし、このときすでに当のゴジラと、そのよって立つ世相の間には回復不能のずれが生まれていたようです。
強大であるべき怪獣王は、超高層ビルの谷間で何やら小さく、寂しげにも見えました。そのずれの正体は、劇中で生物学者(夏木陽介)が語る次の言葉に表れます。「化け物(ゴジラ)をつくり出したのは人間だ。人間の方がよっぽど化け物だよ」
窓外に目をやれば、錦繍(きんしゅう)という美しい言葉はどこへやら、紅葉の姿を見せず散り敷く街路樹が、忍び寄る地球温暖化の気配を告げています。無色透明の脅威です。
ゴジラ映画に幕を引くことにした理由を制作側は「着ぐるみの限界」と説明します。娯楽への志向が多様化し、大きくて、強くて、怖いものより、小さくて、柔らかくて、かわいらしいものが好まれる時代になったとも。
観客は怒りや疑問に顔をそむけて表層の美を追い求め、CG(コンピューター画像)が自在につくり出す超現実は、真実の世相を映しません。
戦争すら茶の間の娯楽に供し、せつなの気持ちの赴くままに生命を人形のようにもてあそぶ、冷ややかな人の心の“魔”を前に、ゴジラの巨大さはもう意味をなしません。
“もののけ”が森を追われたように、ゴジラもまた人々の心から追い立てられていくのでしょうか。
最終作という「ゴジラ ファイナルウォーズ(最後の戦い)」にも「力だけに頼るものは、より強い力によって滅びる」という、メッセージが込められているようです。■咆哮は届かない
しかし、落日を背にしたゴジラ最後の咆哮(ほうこう)も、折から来日した韓国の人気スターに注ぐ黄色い声にかき消され、遠くへは届きません。
ゴジラはどこに帰るのでしょう。いつものように極地の氷に閉ざされて永い眠りにつくのでしょうか。
でも南極の氷さえ、温暖化で激しく解けだすこのごろです。いつまでも安眠が続くわけではありますまいが。
ゴジラ on the web http://www.godzillamovies.org/index/
うひょひょ