【ねこまたぎ通信】

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兵士はどこへ行った

美濃口 坦
ミノクチ・タン
1970年から京都ドイツ文化センター勤務。1974年ミュンヘンに移住。1980年から1991年まで書籍販売業。人生の大部分を通訳、翻訳、教師等で日銭を稼いで生きてきた「フリーター」先駆者。この数年来、日独のメディアに寄稿。訳書「比較行動学」(アイブル=アイベスフェルト)

少し前インターネットで調べものをして、行ったり来たりしているうちに、何かの拍子で米国の新聞記事が眼にとまる。それはオハイオ州シンシナティという町の話題であった。

おもしろい写真がついていて、アーリントン国立墓地にあるような戦没米軍兵士の白い墓石が、芝生の上にたくさん並んでうつっている。ところが、背景の自動車や歩行者の大きさから墓石が本物でなくミニチュアであることがわかる。
http://www.enquirer.com/editions/2004/08/31/loc_walnuthills31.html

この町のハイスクールの生徒が早起きして、校門近くの芝生の上に974個の墓石ミニチュアを並べたとのことで、そうしたのは、その前日8月30日までに974名の米軍兵士がイラクで戦死したからである。

米国は自国兵士をあまり犠牲にできないといわれ、ベトナム戦争がその例として挙げられる。戦死する兵士の数が今後増えると、米国で当時と同じような反戦運動が起こると期待するむきがあるが、私にはそうならないような気がする。

この国が自国兵士の犠牲をいやがったのは、自国を防衛するのでなく、よその国へ出かけて、「自由」とかいったはっきりしない理由で戦争をしたからである。米国民は9.11以来、自国の安全を守る戦争をしているつもりである。これはこの国が「普通の国」になったことになる。とすると、ようすが今までと異なるのではないのか。

次の理由は、ベトナム戦争の頃とくらべて戦死兵士数が不透明になったことである。そのため反戦ということになりにくいのではないのか。今から不透明な事情を説明する。

一年以上前にAICコラム「母の心配」の中で指摘したことであるが、現在の米軍には外国人が多い。これは米国滞在外国人にとって、兵士になることがグリーンカード取得の早道であるためで、戦争開始後、最初に戦死した10人の兵士のうち5人は米国国籍をもたない外国人であった。外国人戦死者を除外したら、イラクで戦死した兵士数は半分になるのではないのだろうか。

私と同じような疑問をもっている人が世の中にいるのはうれしい。というのは、公式の戦死者数が900を超えた今年の7月頃、インドの「ザ・ヒンドゥー」誌のモスクワ駐在特派員が「米の公表兵士戦死者数はグリーカード欲しさに兵士になって死んだ外国人を含んでいない」というロシアの軍事専門家の意見を紹介していたからである。このロシア人は戦死者を900人でなく2000人と推定する。
http://www.hindu.com/2004/07/24/stories/2004072402401400.htm

米軍兵士の戦死については二つの情報源がある。一つはフロリダ州タンパの米軍中央司令部のニュースリリースである(http://www.centcom.mil/)。これは戦死を事件として発表し、戦死者の名前を出さない。二つ目のソースは名前などのパーソナルデータが表示される国防省の戦死発表である(http://www.defenselink.mil/releases/)。

二つソースからの情報は本来対応しているはずである。例えば2004年4月7日の米軍中央司令部の発表では、12名の海兵隊員が前日アンバール県ラマディで戦死したとある。
http://www.globalsecurity.org/military/library/news/2004/04/04-04-12c.htm
国防省の発表に彼ら12名を全部見つけるのはかんたんでない。974件全部を調べたわけでないので正確でないかもしれないが、国防省のほうの戦死者は少なくなっているような気がする。

次は「アウトソーシング」で、軍隊が民間に仕事を委託している問題である。米軍から委託された警備会社で働き、1000ドルの日当をもらう警備員は米軍兵士ではないので、死んでも戦死者にならないのではないのか。今年の4月はじめ頃80名の警備員、昔風にいえば傭兵が死んだといわれている。

ベトナム戦争の頃、米国人女性歌手・ジョーン・バエズ反戦歌「花はどこへ行った」をうたった。歌がすすむにつれて花が少女になり、少女が若者になり、若者が兵士になって、歌詞が「兵士はどこへ行った」になる。

今や私のほうこそ「兵士はどこへ行った」とたずねたい。というのは、若者たちがかならずしも兵士にならず、警備会社に勤務する時代になってしまったからだ。こうなると、彼らが死のうが、また彼らのお墓がどうなろうが、どうでもよいことになるので、この有名な反戦歌はあとが続かなくなる。ベトナム戦争とは米国が国家としてまじめに戦った最後の戦争だった。

時代が変わったのである。「見えない敵」という新しい問題に対して、「国家間戦争」という慣れ親しんだ図式で反応したのが、9.11以来の米国の対テロ戦争である。この時代錯誤的反応に反対するのなら、まず時代が変わったことに眼を向けるべきではないのだろうか。

朝日
http://www.asahi.com/column/aic/Tue/d_tan/20040907.html