【ねこまたぎ通信】

Σ(゜◇゜;)  たちぶく~~ Σ(゜◇゜;)

セイモア・ハーシュ記者

ベトナム戦争ソンミ村虐殺事件を報道したセイモア・ハーシュ記者が、イラク戦争でも特ダネを連発している。諜報問題に強いハーシュ記者を追ってみよう。         Fより

1968年にソンミ村の虐殺事件を報道している。この記事でピューリツア賞を受賞している。この記事が一つのきっかけとなり、米国内に戦争終結と米軍のベトナムからの撤退に向けた動きに拍車がかかったともいえる。その後、1969年に32歳でフリーの記者になる。

現在、ニューヨーカー誌での記事が多い。つい最近ではイラクアブグレイブ刑務所での虐待記事で、米国の兵隊がナチのような拷問をしていると報道した。この記事から世界的な問題になっている。きっかけは何者かが同記者にCD-ROMに収められた写真をリークしたのである。前回のソンミ虐殺事件と同様にイラク人虐待事件もまた米軍のイラク撤退を促す何らかの影響を及ぼすようだ。
最近、セイモア・ハーシュ記者が再びホワイトハウスに爆弾を投下した。ニューヨーカー誌でハーシュは、ラムズフェルド武装勢力の活発化に呼応して密かに性的虐待を含む尋問テクニックを用いることにゴーサインを出していたことを明らかにしたのである。

今までも、ホワイトハウスを直撃している。イラク大量破壊兵器の問題ではOSPが関与していることを03年5月に報道しているし、リチャード・パールを辞任に追い込んだのもセイモア・ハーシュ記者で、武器商人アドナン・カショギと食事をともにしたり、軍事産業に関係のある会社の顧問をしたりするのは、明らかなconflict of interestである。という記事からである。このため、リチャード・パールは、セイモア・ハーシュをテロリストと呼び、名誉毀損で訴えるといきまいたが、逆に国防政策委員会の委員長辞任に追い込まれている。このようにイラクアフガニスタンの戦争では多くの特ダネ記事を書いている。

1991年にはイスラエル核兵器開発を扱った「サムソンの選択」"The Samson Option"を出版している。これによりイスラエルの核開発でアメリカの2枚舌やイスラエルとイランとの関係を暴露した。

日本も、このハーシュ記者に影響を受けている。セイモアー・ハーシュ記者によれば、CIAが02年6月にまとめた極秘文書NIE(National Intelligence Estimate)は、「パキスタンからウラン濃縮用の高速遠心分離機が北朝鮮に渡っている」と指摘、ブッシュ政権はこの時点で北朝鮮の濃縮ウラン核開発の動きを掴んでいたという。この4ヵ月後の03年10月4日、ケリー国務次官補は訪朝して姜錫柱第一外務次官と会談し、これらの証拠を突きつけて追求。その結果、「同外務次官が開発計画の存在を認めた」と米側は、10月16日に発表したと。この直前に小泉首相金正日と、日朝の正常化交渉としている。

セイモア・ハーシュ記者は、諜報機関との関係があるようだ。諜報機関の情報で記事を書いている。諜報機関の情報を取り、それを公にしている。1986年に書いた大韓航空機の撃墜記事も、諜報機関からの情報が元になっている。ハーシュ記者自身もユダヤ系であるので、モサドからの情報もあるかもしれない。

ウォーターゲート事件で卓越した調査報道をしたボブ・ウッドワード記者とカール・バーンスタイン記者やジャック・アンダーソン記者、LAタイムズのジャック・ネルソン記者などと常に競争している米国辣腕記者の1人である。
詳しくはhttp://fuku41.hp.infoseek.co.jp/160601.htm
サムソン・オプション
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163461205/qid%3D1086429613/250-9216747-4958634
The Dark Side of Camelot
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米国防長官も収容者虐待を承認 米誌報道

 【ワシントン和田浩明】米誌ニューヨーカー(電子版)は15日、イラクアブグレイブ刑務所での収容者虐待事件は、反米蜂起に対抗する極秘の情報収集作戦の一環で起き、ラムズフェルド米国防長官も同作戦を承認していたと報じた。これに対し国防総省は同日、内容を「荒唐無稽(こうとうむけい)」と全面否定する異例の声明を発表した。

 記事は、虐待に関する米陸軍の機密報告書を先月報じたジャーナリスト、セイモア・ハーシュ氏が執筆。米中央情報局(CIA)高官も作戦の詳細を確認したという。

 報道によると、問題の作戦は本来、国際テロ組織アルカイダ掃討のためラムズフェルド長官が承認したものだった。昨年5月にブッシュ大統領イラクでの大規模戦闘終結を宣言した後も反米蜂起が続いたため、現地の刑務所収容者の尋問による関連情報入手にまで対象を広げた。

 拡大は情報担当のスティーブ・カンボーン国防次官が決定、アブグレイブ刑務所で収容者の尋問を担当していた米陸軍情報部も加わることになったという。

 虐待事件では、軍情報部などが看守役の米軍憲兵を奨励するなどした疑惑が持たれている。

 作戦を実行した部隊には、海軍の「シールズ」や陸軍の「デルタフォース」、CIAの準軍事部門など特殊部隊が参加。アルカイダ掃討と情報収集のため、広範な自己裁量権を与えられていたという。同誌は、部隊の存在については、ブッシュ大統領も知らされていたとしている。

 国防総省は15日の声明で「虐待事件は、国防総省からのいかなる命令にも基づいておらず、カンボーン次官はイラクやアフガンの拘束者尋問担当ではない」と述べた。

毎日新聞 2004年5月16日 19時50分

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尋問中死亡のイラク人、遺体を遺棄か・虐待で新疑惑

【ワシントン3日共同】イラク人虐待問題で、米軍が詳細な内部調査報告書をまとめていたことを報じた米誌ニューヨーカーのセイモア・ハーシュ記者が2日、CNNテレビに出演し、尋問中に死亡したイラク人の遺体を米軍が遺棄したとの新たな疑惑を指摘した。

 ハーシュ記者は、イラク人の遺体は氷詰めにされた後に「点滴をしているように偽装して担架に乗せられ、救急車でどこかに(運ばれ)捨てられた」と述べた。

 同記者によると、旧アブグレイブ刑務所に収容されているイラク人の多くは「検問所や民家から手当たり次第に連れてこられた一般市民」で、米軍の報告書でも、60%以上が反米武装勢力などとは「何のかかわりもなかった」と結論づけられているという。

 ハーシュ記者はニューヨーク・タイムズ紙記者などを長く勤め、ベトナム戦争では米軍の虐殺をすっぱ抜くなどの調査報道で知られる

日経新聞 2004.5.3

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イラク大量破壊兵器保有の情報源は疑わしい=国防総省が情報牛耳る――NY誌報道
2003 年 5月 5日

【ワシントン4日】イラク大量破壊兵器を保有しているとの米国の言い分は、現在の米外交政策を支配している国防総省の怪しげな組織からの疑わしい情報に基づいている、と米週刊誌ニューヨーカー最新号(5月12日号)が報じた。この記事は著名な外交記者セイモア・ハーシュ氏が執筆したもので、元米中央情報局(CIA)の中東担当の高官の話をもとに、ブッシュ大統領の主要な情報源になっている国防総省特別計画局(OSP)がイラクの反フセイン政権派の亡命組織イラク国民会議(INC=アハマド・チャラビ代表)からの疑わしい情報に依存していると述べている。

同記事によると、OSPはウルフォウィッツ国防副長官の着想でつくられた組織で、昨年末までに、米政府の主要情報源となり、特にイラク大量破壊兵器およびイラクとテロ組織アルカイダの関係では重要な情報源になっているという。記事の中で、CIAの元高官は「INCは政治的組織であり、情報機関ではないので、疑問をもって扱わなければならない。INCは思惑があり、これまでも情報を操作した履歴がある」と警告している。

この元高官は「私が辞職したのは、国防総省が自分の目的に合致した場合にのみCIAその他の情報機関の情報を使っているからだ。そうした情報機関からの情報が気に入らないので別の人たちにやらせている。彼らは常軌を逸している。神に与えられた使命を遂行しているかのように教条主義的だ」と述べた。〔AFP=時事〕

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■英首相も「時間かけて探す…」(東京新聞2003年5月10日)

 連合軍の一翼である英国のブレア首相は先月二十八日の記者会見で、今後のイラクでの展開を問われ(1)イラクの政治的安定化(2)人道的な措置、を挙げたが、大量破壊兵器については「時間をかけて探す」とのみ答えた。緊急ゆえ戦争以外に手はない、という戦前の主張とはかけ離れた姿勢だ。

 では、だれが脅威論をブッシュ大統領に具申したのか。戦争を牽引(けんいん)したブッシュ政権の新保守主義派(ネオコン)の頭目、国防政策委員会リチャード・パール氏を委員長辞任に追い込んだ「ニューヨーカー」誌のセイモア・ハーシュ記者は国防省内「特殊計画局(OSP)」を名指しする。

 OSPはイラク大量破壊兵器保有やアルカイダとの連携を証明するため、創設された。米国にはかねてから中央情報局(CIA)や国防総省の国防情報局(DIA)という二大対外情報機関があるが、OSPの影響力は二大機関を圧倒しているという。人員は十人程度で局長のアブラム・シュルキー氏は、パール氏がレーガン政権下で国防次官補だった当時、同氏の「子飼い」として上院情報委員会のスタッフを務めた。

 OSPの情報源はネオコン寄りの反体制組織「イラク国民会議(INC)」だが、情報には偏りが著しいという。ハーシュ記者はINCがイラク人亡命者と接触し入手した「一九九〇年代にイラク国内の秘密基地でアルカイダを育成した」という証言を例にする。

 この証言から一カ月後、CIAがあらためて同一人物と接触したが、亡命者は「アルカイダなんて言っていない」と否定。だが、この否定情報は政権内で極秘扱いにされ、INCの情報のみがリークされた。

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 ■米軍統治『イスラエル化』(東京新聞2003年12月21日)
 今月十四日のフセイン元大統領の拘束を伝える米紙「ニューヨーク・タイムズ」の片隅に、見慣れない単語が記されていた。「特殊部隊タスク・フォース121」。米陸軍第四歩兵師団とともに拘束劇を演じた。

 この特殊部隊の存在は今月初め、英紙「タイムズ」にスクープされ、一部の欧米メディアで注目された。米誌「ニューヨーカー」のシーモア・ハーシュ記者の報告を要約すると−。

 「(121は)先制的な“人狩り”戦略のため、ラムズフェルド国防長官の肝いりで、陸軍のデルタフォース、海軍のSEALSなど特殊部隊、加えて米中央情報局(CIA)の選抜メンバーで編成された。イラクバース党の地下情報網を操る中核メンバーの暗殺や拘束が主任務だ」

 ■人狩り部隊訓練を依頼
 英紙「ガーディアン」はさらにこう付け加える。

 「国防総省はこの部隊の訓練のため、イスラエル軍の対ゲリラ戦専門家をノースカロライナ州のフォート・ブラッグ訓練基地に招いた。イスラエル軍コンサルタントはすでにイラクにも入っている。『121』にはシリア国内に潜入し、イラク国境を越える前にアラブ志願兵を暗殺する任務も課せられている」

 イスラエル軍は二〇〇〇年九月の「第二次インティファーダ(対イスラエル民衆蜂起)」発生以来、パレスチナ自治区で暗殺も含む「テロリスト」掃討作戦を展開している。この経験に学べ、というのだ。

http://fuku41.hp.infoseek.co.jp/160601.htm

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2712 デイリー・ミラーの編集長解雇
非公式情報
デイリー・ミラーの編集長解雇
By StrangeLove

5月14日、イギリスの新聞『デイリー・ミラー』の編集長ピエール・モルガンが解雇された。イギリス軍によるイラク人に対する拷問の様子を写したとされた写真が偽物だったためだという。

掲載された写真はともかく、イギリス軍が収容所でイラク人を拷問していることは人権擁護団体のアムネスティなども以前から指摘、警告していた。アメリカ軍による拷問が問題になっているアブ・グレイブのケースもイギリス軍がシステム化した技術R-21に基づいている可能性も指摘されている。デイリー・ミラーの件でイギリス政府が免罪符をもらったわけではない。

ところで、デイリー・ミラーが一貫してイラク戦争に反対してきたことを筆者は興味深く見てきた。同紙の体質を考えると、不自然なものを感じたのだ。

同紙の国際問題担当編集者だったニコラス・デイビスが1970年代からモサドイスラエルの情報機関)に雇われていた事実が10年以上前に暴露されている。情報源はイスラエル国防軍の対外関係局で最高機密の情報を扱っていた人物だった。

デイビスはアンソニー・ピアソンなる人物の下で活動していたが、そのピアソンはイギリス特殊部隊出身の『民間スパイ会社』経営者。イスラエル政府の仕事をしていた。

両者が親しくしていたロバート・マクスウェルは1984年にミラー・グループ・ニューズペーパーズの会長に就任する。デイリー・ミラーの所有者になったのだ。

このマクスウェルがイスラエル情報機関の協力者だと明らかにしたのはアメリカのジャーナリスト、シーモア・ハーシュ。要するに、遅くとも1984年にデイリー・ミラーはイスラエル政府の大きな影響下に入ったと言えるだろう。

ベトナム戦争で『ソンミ事件』を明るみに出して名を売ったハーシュはイラク戦争でも活躍中だ。昨年初頭からホワイトハウスの親イスラエルリクード)派の暗躍やアブ・グレイブ刑務所で行われてきたアメリカ軍による拷問の実態暴露などをニューヨーカー誌で明らかにしている。

ところで、マクスウェルは1991年にハーシュを名誉毀損で告訴するが、その年の11月にカナリア諸島沖の洋上で変死した。

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Seymour Hersh
http://dir.salon.com/people/bc/2000/01/18/hersh/index.html
The man who broke the story of Vietnam's My Lai massacre is still the hardest-working muckraker in the journalism business.

By David Rubien

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January 18, 2000 | I nvestigative reporter Seymour Hersh must feel like he's howling into the darkness sometimes.
His eighth and latest book, "Against All Enemies," which gruesomely details the extent of Gulf War Syndrome and the government's attempts to pretend it doesn't exist, has been selling indifferently and has been ignored by a surprising number of reviewers.
His 1972 "Cover-Up," a report on the Army's cowardly investigation of the My Lai massacre -- the bloodbath Hersh had previously exposed in his blockbuster "My Lai 4" -- also sold poorly.
When he revealed in 1991's "The Samson Option" that Israel was secretly stockpiling nuclear weapons, the response was yawns.
What's the hardest-working muckraker in the journalism business to do?

Hersh's response: Soldier on. And hope that once in a while you'll hit a motherlode that catches the public's imagination.
Because one thing is certain: The journalistic glamour of Watergate sleuths Woodward and Bernstein's "All the President's Men" has long faded.
The starry-eyed kids who once flooded journalism schools to learn how to root out corruption have been replaced by a crop of college grads who have concluded government is inhabited by Martians, so why bother?
Better to go for the money. Woodward and Bernstein are pretty much out of the business, anyway, Bernstein writing biographies and Woodward authoring gossipy bestsellers, replete with made-up quotes, about government figures. Elsewhere, ownership of the media is being concentrated into fewer hands, which have been busy blurring the line between news and entertainment and squelching the venues for real journalism in favor of those for gossip and personality.


We live in a cynical time. Lucky for us, Hersh is too invested to turn away. "I think there are great stories to be written about this pretend government and this corporate world we now live in, " he told the Progressive magazine a decade ago.
Those are the stories he writes. For a recent instance, he wrote in the New Yorker that the government pretended to have evidence that the plant the United States bombed in Sudan in retaliation for supposed terrorist activity was something other than a pharmaceutical manufacturing facility.
It wasn't, and we knew it, but we killed people anyway.

It's been an up-and-down career for Hersh, but he was lucky to have a huge up early on -- his expos of the My Lai massacre in South Vietnam. To refresh: In March of 1968, a division of American troops called Charley Company, led by Lieut. William L. Calley Jr., entered the village of Son My (called My Lai 4 on the soldiers' maps) and spent a few hours killing every man, woman and child -- all unarmed civilians -- in the vicinity, about 500 all told.
Women were raped; babies were used as target practice.
Hersh brought it all out in the open, and helped end the war as a result, because Americans realized that this incomprehensible conflict far away was making their boys act like Nazis.

Hersh, in 1969 a 32-year-old freelance writer in Washington, got onto the story after he received a tip that an officer was about to be court-martialed for the murder of civilians in Vietnam.
From his sources in the Pentagon Hersh got a hint of what had happened, then he tracked down Calley, who was stockaded in Georgia. Calley spilled all and Hersh realized he had a career-maker on his hands. He wrote the story, but the magazines to whom he tried to peddle it turned him down.
They didn't want to know about it. But luckily a friend who ran a small newspaper syndicate offered to run the piece.
Thirty-six newspapers, including the Washington Post, the San Francisco Chronicle, the Boston Globe and the London Times bought the expos. Then TV picked it up, including "60 Minutes," and Hersh was in the saddle.

Others had written about random atrocities in Vietnam before Hersh -- most notably Jonathan Schell in the New Yorker -- but most reportage on the war focused on policy.
Hersh was the first to demonstrate that military brass was ordering soldiers to kill noncombatants, and once he did, Vietnam War reporting was never the same. Hersh went on to track down other members of Charley Company and reported their stories for the syndicate, all of which he collected and amplified for his 1970 book "My Lai 4: A Report on the Massacre and Its Aftermath."
He received the Pulitzer Prize for international reporting, the prestigious George Polk Award and a host of other trophies.
He was a big deal, and when he wrote a follow-up piece about the Army's prosecution of Calley, the New Yorker snapped it up.
In 1972 he turned it into "Cover-Up: The Army's Secret Investigation of the Massacre at My Lai," the lousy sales of which gave him a quick object lesson in the topsy-turvy world of book writing.
Hersh blamed the bad showing on Vietnam fatigue. "Nobody wanted to hear about Vietnam in 1972," he told the Progressive.
Apparently, in a mere two years the public's mood had gone from outrage to ennui. "We were losing the war," Hersh said.
"Until Oliver Stone's movie 'Platoon' came out, I think Vietnam was a dead issue in America."