【ねこまたぎ通信】

Σ(゜◇゜;)  たちぶく~~ Σ(゜◇゜;)

ナブルス通信 2004.5.21号 今パレスチナから目が離せないです

もし可能なようなら、20日のラファの様子もざっと後でまとめてみたいと思います。言葉が出ない状態になってきています。

     ****以下、転送を歓迎します****

     ○○○ナブルス通信 2004.5.21号○○○
      http://www.onweb.to/palestine/
        Information on Palestine


◇contents◇

◇「僕たちは殺されていく」 ムハンマド・Q

◇レイチェル・コリーの両親からのメッセージ

◇「僕たちは殺されていく」 ムハンマド・Q

これを書いている21日午前0時半、ガザ地区最南端の町、ラファから新たな悲鳴が入ってきました。「人々が家の中にいるまま、家屋破壊がなされている!」と。

国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は先ほどこのことを「イスラエル軍がラファにおいて、住民が家の中にまだいる状態で家屋を取り壊し始めたという複数の重なる目撃報告に極めて懸念」しているというプレスリリースを流しました。
(全文 日本語訳あり↓)
http://nekokabu.blogtribe.org/entry-ccfd85e4cf6345d66a1d414f2ababa0c.html

電話情報では「近所から家の中に人がいるまま、家が壊されていく音や人々の悲鳴が聞こえているが、無事に逃げられたのかどうかさえ、確かめることができない」「なぜなら、通りではスナイパーが狙っていて、撃ち続けているから。」ということがいくつも複数の場所から入ってきています。

ラファに住む高校生のアネスさんは「状況は昨日よりももっとひどい」
と語っています。

以下の文章は、この5月13〜15日に行われたラファへのイスラエル軍の侵攻のことを書いたものです。このときもミサイル攻撃等で20人ほどが殺され、100軒以上の家が破壊されて、1000人以上が家を失いました。ラファ出身のロンドン在住ムハンマド・Qさんによるレポートです。ここに書かれた悲劇がまた繰り返されています![ナブルス通信]


「僕たちは殺されていく」

Killing Us
ムハンマド
Mohammed Q
2004年5月16日
Rafah Kid Ramblesより

 ラファの人たちと家々に対するイスラエル軍の暴虐きわまりない攻撃は依然として続いている。この3日間、ラファ難民キャンプのブロックO地区とイブナ地区、それにゲシュタ地区一帯は、イスラエル占領軍の軍事行動のターゲットになり、激しい攻撃にさらされた。公表された軍事行動の理由は、先日、エジプトとの国境近くでAPC(装甲人員搬送車)もろとも爆破されたイスラエル兵の遺体を「探すため」。軍のラジオ放送によれば、この尊敬すべき無垢で純粋な兵士たちは、他の部隊とともに「ピクニック」に出かける途中だった──国境に近いブロックJ地区の数十軒のパレスチナ人の家を壊して地表から撤去するために出かけていった「だけ」だという。
 
 15人を殺し、100人以上に怪我を負わせ、100軒以上の家を壊して跡を更地にし、一帯のインフラ設備にたいへんな損傷を与え、そうして今朝早く、イスラエル軍はラファから引き上げていった。引き上げるに当たって、住民たちには、「われわれはまもなく戻ってきて、この一帯の家屋破壊作戦を再開する。日曜の夜には、絶対にこのあたりに残っていないように」と告げた。
 
 これを伝えてくれたのは、ラファに住む友人、フィーダだ。ロンドンにいる僕には、言うべき言葉もなかった。でも、今朝、僕はラファの親族からの電話で起こされ、信じられない知らせを聞かされることになった。「気をしっかり持って聞いてね。これは私たちの運命なのだから。昨夜、あなたのいとこのアシュラーフがシャヒード *1になったの」この言葉を聞いた途端、全身が震え出し、両の目から涙が溢れ出してきて、眠気は一気にどこかに行ってしまった。何が起こったのか詳しく知ろうと、僕はじっくり話を聞いた。そして、ひととおりの話が終わるころ、僕の頭の中にはいつのまにかレイチェル・コリーの記憶が浮かびあがってきていた。ラファで一緒に活動をしていたレイチェル。いっぱいに広がる陽光の中で、平和な手段で、パレスチナ人一家の家を破壊から守ろうとしていた時に、イスラエル軍のブルドーザーに平然と押しつぶされたレイチェル *2。
 
 いとこのアシュラーフは37歳。3人の子ども──12歳のハサン、8歳のムハンマド、4歳のアハマドの父親だった。昨晩、拡声器を使って大声で怒鳴りながらラファのあちこちを走りまわっていたイスラエル兵たちが、突然、アシュラーフ一家と、同じ一画に住んでいる数十の家族に対して、イスラエル軍はこれからこの通りのすべての家を破壊するので10分以内に立ち退くように、と命じた。みんな、殺されるのを恐れて、白い旗を振りながらそれぞれの家から退避していったが、アシュラーフは、妻のサハール、義妹のアズハールとともに家の前にとどまり、戦車の兵士らに、何とか家を壊さないでほしいと頼みはじめた。
 
 自分の家の戸口で、子どもたちの家を守るために、3人はむなしい交渉を続けた。兵士たちは、ヘブライ語を話そうが話すまいが、いずれにしても「情け」という言葉を知らないようだった。アシュラーフは、とうとう、こう言ってしまった。「おれの家をブルドーザーで壊すと言うのなら、まず、おれたちを押しつぶしてからにしろ」と。彼らはそうした。操縦者がブルドーザーを前進させ、アシュラーフと妻と義妹を家の中に押し込んで、そのまま、3人と家の中にいた子どもたちもろとも、家を破壊したのだ。朝になって住人たちが集まり、何とかアシュラーフ一家を助け出そうと必死に瓦礫を取り除いていった。アシュラーフはすでに死んでいた。妻のサハールは病院に運ばれたが、きわめて危険な状態にある。ただ、子どもたちだけは奇跡的に一命をとりとめた。あとでイスラエル軍が出したプレス・リリースでは、軍は、自分たちには責任はない、兵士たちには一家の姿が見えなかった──そう主張している!!!(レイチェルを殺した時と同じだ)
 
 僕は今、自分がラファにいないことが悲しくてたまらない。そして、今朝、もう少しあとになって、ラファのアネスから、もっと悲しい知らせを聞かされた。イブナ地区に住むアフマド・ラドワンという17歳の若者がイスラエル兵の銃弾数発を浴びて殺された。アフマドは、去年、トム・ハンドールが子どもたちを助けようとしていた時にイスラエル軍のスナイパーに頭を撃たれた直後 *3、トムを何とか安全な場所まで運ぼうとした僕たちに手を貸してくれた若者のひとりだった。ラファの人たちに対してなされた残虐な行為の数々……。僕には何も変えられなかった。僕には、そうしたことが起こるのを止めることができなかった。それはわかっている。ただ、せめて、銃と分厚い装甲壁の奥に隠れた殺人者たちに、2つだけ聞きたい。
 
 1)君たちにとって、僕たちはどんな存在なんだ?
 
 2)こちらが人間であることをわかってもらうには、どれくらい大声で叫ばなくてはいけないのか、どのくらいデカい必要があるのか、服に何色の目立つ色が入っていなくてはならないのか、正確に教えてほしい。これまでに同じような「偶発的な」ニアミスがあって、殺されずにすんだ人がいたのなら、君たちを前にしても大丈夫な「一線」ははっきりしているだろう?


****

翻訳:山田和子

ムハンマドQさんはISM(国際連帯運動)に参加して、ラファで活動してきました。現在はロンドン在住。ラファにいる多くの友人や親族と緊密な連絡をとって、ラファの現状をレポートしてくれています。

※Rafah Kid Ramblesは、ISM(国際連帯運動)に参加してラファで活動した経験を持つイギリスのマークさんのブログ。ナブルス通信は訳出許可を得ています。
http://www.rafahkid.net/2004_05_16_archive.html
1年前にスタートし、ラファをめぐるさまざまなレポートをアップ。(現在、トップに遺体の写真等が出ていることにご留意ください)

イスラエル軍が家屋破壊に使用している特殊ブルドーザーを販売しているキャタピラー社に対して、倫理を問う文章。
パレスチナ:ラファの危機 」エリザベス・コリー 2004.5.19
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/palestina0405b.html

[編集者註]
*1  シャヒードとは信仰、祖国、思想など何かの大義に殉じた人。英語では「martyr」、日本語では「殉教者」などと訳されるが、アラビア語のshaheedはもっと広い意味を持ち、「誠実な証人」という語源的な意味がある。パレスチナでは、英国による委任統治時代から、パレスチナ人であるがゆえに死なざるを得なかったもの──生を終わらせられたものたちを、「シャヒード」として敬意をこめて、共有の記憶とする文化が育まれた。

*2  2003年3月16日、23歳のアメリカ人女性、レイチェル・コリーさんは、家屋破壊を防ごうとしていた時に、イスラエル軍のブルドーザーに故意に轢き殺された。

レイチェル・コリー殺害に関する声明ISM(国際連帯運動) 
フーウェイダ・アラーフ
http://www.onweb.to/palestine/siryo/rachelism.html
ガザで殺されたレイチェル・コリーさんの両親より 
レイチェルさんのメール 2003年2月7日付
http://www.onweb.to/palestine/siryo/rachelparents.html
レイチェル・コリー・メモリアルサイト
http://www.distanceeddesign.com/rachel/

*3  2003年4月11日、20歳のイギリス人男性、トム・ハンドールさんは、銃撃を受けていたパレスチナ人の子どもたちを安全な場所に運ぼうとしていた時に、イスラエル軍のスナイパーに頭を撃たれ、植物状態に陥った。ロンドンで治療が続けられていたが、2004年1月13日、息を引き取った。

トムさんが撃たれた直後のレポート
http://www.onweb.to/palestine/siryo/tom.html
『こんなことは二度と』──トムさんが撃たれた現場にいたジョー・ス
ミスさんの文章
http://www.onweb.to/palestine/siryo/notagain.html
『黙って眺めているわけにはいかないのです』──トムのお姉さん、ソ
フィ・ハンドールさんのスピーチ
http://www.onweb.to/palestine/siryo/sophie17may03.html
トムさんのサイト
http://www.tomhurndall.co.uk/index.asp


◇娘のレイチェル・コリーをイスラエル軍のブルドーザーでひき殺されたコリー夫妻からラファの人々へのメッセージ

ラファの友人たちへ

 レイチェルがやったように、あなたがたの家・家族とイスラエル軍のブルドーザー・戦車の間に立つことは、今の私たちはできません。でも、私たちはこの地の友人たちと一緒に、ラファの姉妹都市であるオリンピアの市街に立ち、合衆国議会と国務省に、この残虐行為を止めるよう働きかけてほしいと訴えつづけてきました。助けを求めるあなたがたの声を、私たちは聞いています。その声に私たちの声を加えて、アメリカ合衆国イスラエル政府に対し、ラファの人々のための平和、公正、安全、尊厳、希望を求めていきます。私たちの心は、あなたがたとともにあります。

クレイグ&シンディ・コリー

http://electronicIntifada.net/v2/article2705.shtml
(ラファの姉妹都市オリンピア市で人々がラファの虐殺に抗議して行動している写真もあります)


◇この文章は以下に掲載予定
http://www.onweb.to/palestine/siryo/rafanakba21may04.html

◇どうか、イスラエルに声を届けてください

参考になる文例と送り先は
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/palestina0405.html

・マスメディアにも今、起こっていることをきちんと報道するよう、声をかけていく必要があります。
http://palestine-heiwa.org/misc/kougi.html
(一番下にテレビ局の連絡先あり)


◇これまでの状況
http://www.onweb.to/palestine/
より5月14日以降の記事を参考にしてください。

◇P-navi info  http://nekokabu.blogtribe.org/
[ほぼ毎日更新中。編集者ビーの速報、ミニ・インフォ、コラムなど]

新しく入ってくるラファの状況は可能なかぎり、こちらに掲載しています。(重たくて接続がしにくい時間帯もあります。ごめんなさい)

◇ナブルス通信の配信お申し込み、バックナンバーは以下に。
http://www.melma.com/mag/84/m00109484/

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