【ねこまたぎ通信】

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街の惨状 伝えたかった  安田さん胸中を語る

 イラクバグダッド郊外で武装グループに拉致され、解放されたフリージャーナリストの安田純平さん(30)は十九日未明、本紙のアンマンへの国際電話で「米国の激しい掃討作戦で焼き出され、バグダッドに逃げてくるファルージャの人々を取材するうちに、このままでは街が全滅すると思った。ジャーナリストとして何とか現状を伝えたかった」と、武力衝突が続くファルージャに近づこうとした理由を語った。

 拘束された理由について安田さんは「スパイ容疑をかけられたようだ。『おまえたちは米国のスパイだ。米軍がこの辺りを襲撃できるよう伝えるのだろう』と脅された」と語り、「初めは、どのように説得したらいいのか分からないほどの憎悪を感じた。カラシニコフの銃口を突きつけられ、いつ撃たれてもおかしくない状態だった」と述べた。

 一緒に拉致された反戦活動家の渡辺修孝さん(36)とともに、「米軍はファルージャで何をしているのか。その惨状を取材して、伝えることが目的だった」と繰り返し説明し、またイラクで活動している日本人のことなどを話しているうちに、誤解が解け、容疑が晴れていったという。

 それからは、「ゲスト(客)」としてのもてなしを受け、よい食事と丁重な扱いを受けた。何カ所も居場所を移される間に、武装グループのメンバーと、日本のことも話題にした。原爆被害を受けた「ヒロシマナガサキ」のことなどを話す中で、「日本はよい国か」と尋ねられたこともあったという。何度も「ファルージャの現状を見せてほしい。連れて行ってくれ」と訴えたが、その要望は聞き入れられなかった。

 解放される直前、武装グループから「おまえたちは、いつここ(ファルージャ周辺)に戻ってくるのか」と聞かれた。「今は分からない。数カ月先になってしまうかもしれない」と答えると、「そのころ、この辺りには(米軍の虐殺によって)誰もいなくなっているだろう」と言われたという。

 安田さんは「彼らの中にまだ残っている、日本に対するいいイメージに助けられたと思う。準備不足で、無謀な取材の仕方だったことは本当に反省している。ただ、封鎖されて入れないファルージャの現状を、誰かが伝えなくてはこのまま全滅してしまう」と話した。