【ねこまたぎ通信】

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タイ人の女性海外就労者

念願の帰国後に待つ厳しい現実 一瞬の「感謝」が次第に「冷遇」へ

求められる家族の温かい受け入れ

25/02/2003


慣れぬ外国の地で、自らを犠牲にしながら一生懸命働き、手にした収入を本国で待つ家族に送る。アジアなどの発展途上国では、貧しい家計を助けるため、海外に出て働く者たちが数多くいる。タイもその一つで、特に女性たちが日本などに働きに行き、厳しい監視、時には暴力も振るわれる厳しい状況下で働きながら、送金を続け、家族の生活を支えている。しかし、こうして海外で働いた後、本国に戻った女性たちが周囲から「感謝」されるのはほんの一瞬間だけで、手持ちの金がなくなると、待ち受けているのは「冷遇」という。海外就労女性が直面する帰国後の厳しい日常生活を報告する。

バンコクIPS(チャヤニット・プーンヤラット記者)】家計を助けるため、海外で長年にわたって働くタイ人にとり、文字通り首を長くして待ちわびるのが、帰国の1日も早い実現だ。しかし、夢にまで見た帰国が必ずしも幸せをもたらしてくれるとは限らない。
「帰国はしたものの、故郷での暮らしは外国での日々と変わらぬほど苦しいものです」と、直面する現実の厳しさを語るのはドゥアンチャン・ヤスリさん(43)。ドゥアンチャンさんは1975年、わずか15歳の時にタイから日本へ働きに出た。日本では不法就労者として5年間、男性の相手などをして働き、収入を故郷の家族に送っていた。
ドゥアンチャンさんはその間に出会った日本人男性と結ばれ、長女が生まれた。その後、長女のタイ国籍を得ようと帰国したのを境に、彼女は厳しい現実に直面することになった。

▽蓄えに群がる家族、親類

「外国暮らしの中で、帰国を待ちわびる気持ちは、苦しさを忘れさせてくれる一種の麻薬のようなもの。実際、帰国してみると、だれもが温かく迎えてくれました。でも、この幸せは長続きしませんでした」。ドゥアンチャンさんは帰国後、ほどなくして訪れた厳しい現実を振り返る。
「私にお金があったうちはよかったのです。親類も、友達たちも会いによく家にきたくれ、飲み物やお菓子などを出してもてなしました。そうした人たちは私に金銭援助を求めてきました。これを断ることはどうしてもできませんでした」とドゥアンチャンさんは続けた。

▽家族崩壊の悲劇も

こうした状況について国立チュラロンコン大学海外労働者問題アジア研究所のカニカ・アンスタナソンバット研究員は「海外就労を終えて戻った者たちは厳しい現実と闘わねばなりません」と指摘する。大抵の場合、海外で働いて帰国した者たちは、収入のほとんどを本国に送金しており、自らの蓄えを持たずに帰郷する。蓄えがあったとしても、それを有効に生かす手段を知らない。また、多くの場合、海外に出ている間に家族が崩壊してしまったり、長い海外生活のため、子供たちと意思疎通ができなくなった母親たちもいるという。
ドゥアンチャンさんもその例外ではなく、帰国後の生活は苦しいものだった。そうした中、彼女は昨年、タイ北部チェンライにある非政府組織「女性海外就労者自立計画」のメンバーとなった。この組織は、海外就労を終えて故郷に戻った女性の経済援助、帰国後の日常生活への適応、精神的、法的支援、職業訓練、互助組織運営―などを実施している。
ドゥアンチャンさんの例を見るまでもなく、タイの女性たちが海外へ出るのはより多くの収入を得るためだ。彼女が日本に向けてタイを離れるにあたり、ブローカーは「日本ではウェートレスとして働いてもらう」と約束した。

▽大使館に保護求め駆け込み

人権擁護組織ヒューマン・ライツ・ウオッチの「日本に送り込まれたタイ人女性2000年版報告」によると、女性たちは1週間、たとえ病気になっても休日も休みもなく働かされる。出国時、ブローカーからしょった多額の借金を返済する必要があるためだ。接客時に失敗すれば、ブローカーや雇い主たちから暴行を受けることもある。日本側の調査によると、同国には現在、10万人を超える女性の不法就労者がおり、そのほとんどが厳しい環境の性産業界で働いている。
今年1月に東京で、女性の送り出し問題に関するセミナーが開かれ、その際、在日タイ大使館の関係者は、毎週、2、3人のタイ人女性が厳しい環境や性産業での強制労働を逃れるため、同大使館に保護を求めて駆け込んでくる、と報告した。

▽日本の夫とも音信不通

ドゥアンチャンさんの帰国後の状況に話を戻そう。彼女は日本で働いていた際、家族のためにできる限りのことはやった、と自負している。彼女は日本で生まれた長女のタイ国籍を取得しようと一時帰国し、手続きが終われば、再び日本に戻ることにしていた。ところが、事態は彼女の思い通りには進まなかった。
帰国後、家族や親類らへの金銭援助などに応じているうちに、数カ月後には手持ちの金が底をついてしまった。長女の国籍取得手続きにも手間取り、そうこうしているうちに日本にいる夫との音信が途絶えてしまった。
生計の道を探さねばならなくなったが、現実は厳しかった。「仕事がなかなか見つかりませんでした。工場が募集するのは最低でも中卒以上の若い女性たちです。私のような未熟練者は受け付けてくれません」。長女の国籍取得手続きは現在も終わっておらず、そのための借金が重なるばかりだ。資金がなければ、どうしようもない状況だ。

▽ 現実隠した便りを後悔

こうした現状についてドゥアンチャンさんは「日本でどんなに苦しい日々を送っていたかを、家族に話さなかったのがいけなかったのです。当時、故郷へ手紙を出すたびに、『元気でやっています』と書きました。本当のことを打ち明けても、家族は、私が稼ぎのない口実にしている、としか思っていません」と後悔するとともに、「家族は私がもう1度外国へ働きに出ないのを責めますが、いくら働いて送金したとしても、家族を満足させるのは難しいでしょう」、と複雑な胸の内を明かす。
帰郷後の厳しい現実を前に、アルコールや麻薬に溺れる女性たちもいる。「何度も自殺を考えました。でも、子供たちのことを思いとどまりました」と語るドゥアンチャンさんは帰国後に再婚し、3人の子供をもうけた。しかし、夫の家族は彼女を「汚れた女性」とみなし、関係はよくないという。

▽「時計の針を戻したい」

こうした事態の解決策としてカニカ研究員は海外で働く女性たちに、収入の使い方と貯蓄額、帰国後の運用などで明確な目標を立てる必要性を強調する。さらに「迎える家族にも帰国者への理解が必要。帰ってくる者に必ずしも貯蓄があるとは限りません。体をこわしていたり、時には無言の帰国をする人もいるからです」という。同研究員は続けて、「家族はこうした事態にどう対応すればいいのでしょうか。家族の一員として温かく迎え入れてあげることです」と忠告する。
最後にドゥアンチャンさんは「お金をいくら積まれても、2度と外国へは働きに行きません。時計の針を戻せるなら、故郷を出て日本へ向った以前の自分に帰りたい」と話す。


【メモ】日本でのアジア系労働者 タイ労働省の公式統計では、2002年時点における在日タイ人労働者数は4701人にすぎない。だが、実際の同数はその何倍にも上っている。日本の出入国管理当局の発表では、1999年のタイ人入国者数は6万4246人で、その後、うち3分の1弱の2万3502人が不法滞在中という。日本にはフィリピンからの女性労働者も多い。アジア諸国からの女性の多くが約1兆円規模とされる性産業関連で働いている。