【ねこまたぎ通信】

Σ(゜◇゜;)  たちぶく~~ Σ(゜◇゜;)

 我が家を離れて・・・リバーベンド

しばらく更新の途絶えていたリバーベンド,国外に逃れるという話があり,バグダッドバーニングは長きにわたり更新されず,とても心配していました.どうやら今はシリアにいるようです.
無事で何よりです.

我が家を離れて・・・

http://www.geocities.jp/riverbendblog/
http://www.freeml.com/organizer-news/1703/latest?sid=7d4fafdef12fe5b5372021049226b610
http://www.riverbendblog.blogspot.com/2007_09_01_riverbendblog_archive.html


−−−−−

我が家で過ごした最後の数時間はぼうっと霞んでいる。旅立ちの時がくると、私は部屋から部屋へと歩いてなにもかもにさよならをした。高校から大学の間ずっと使っていた机にさよならと言った。カーテンとベッドとソファにさよならと言った。子どものころ、E.と二人で壊してしまった肘掛け椅子にさよならと言った。食事の時にみんなが集まり、宿題もやった大テーブルにさよならと言った。かつて壁にかかっていた額入りの写真の幻影たちにさよならと言った。額はもうとっくに壁からはずされしまわれているからだ。でも、どの写真がどこにかかっていたか、私は知ってる。いつもみんなが夢中で遊んだくだらないボードゲームにさよならと言った。アラブ版のモノポリーで、カードもお金も欠けているけれど、誰もが捨てるにしのびなかったものだ。

いまの私にわかっているように、その時だって、どれもただの物にすぎないってことはわかっていた。人間のほうがずっと大切。だけど、一軒の家はひとつの歴史を伝える博物館のようなものだ。カップ一つ、ぬいぐるみ一つを見ても、思い出の詰まった一章が目の前に開かれる。私は突然、置いていってもいいと思えるものが自分で思っていたよりずっとわずかしかないことに気づいた。

ついに午前6時がきた。外にGMCが待つなかで、私たちは必要なものをかき集めた。熱いお茶を詰めた魔法瓶、ビスケット、ジュース、オリーブ(オリーブ?!)その他。オリーブを持って行こうと言ったのは父だ。おばとおじは悲しげに私たちを見守っていた。この表情をこれ以上何と言っていいかわからない。親戚や友人たちが国を去ろうとしているのを見て、私が目に浮かべたのと同じ表情だった。怒りを帯びた無力感と絶望感。どうしていい人たちが出て行かなくちゃいけないの?

いざ出発という時になって、私は泣いた―泣かないと約束したのに。おばも泣いた・・・おじも泣いた。両親は冷静でいようと努めていたが、さよならと言う時の声が涙で震えていた。いちばん嫌なのは、さよならを告げる時、この人たちと再び会うことができるだろうかと思うことだ。おじは、私が頭に被ったショールをしっかりとまきつけて「国境にたどり着くまではずしちゃだめだよ」ときつく忠告してくれた。車が車庫から出る時、おばが後ろから走り寄ってきて、鉢一杯の水を地面にぶちまけた。これは、古くからのしきたりで、旅人が無事に帰ってこられるようにと願って行うものだ・・・いつの日か。
−−−−−

私たちはだれもが難民だった―金持ちも貧乏人も。難民はみな同じように見えた。どの顔にも独特の表情があった。悲しみの混ざった、不安を帯びた安堵の表情。どの顔もほとんど同じように見えた。

国境を越えてから数分の間、心は極限に達した。安堵と悲しみがいちどきにどっと押し寄せて私を圧倒した・・・たった数キロ、たぶん20分くらい離れただけで、こんなにもはっきりと生と死が分かれるとは。

だれひとり見ることも触れることもできない国境が、車両爆弾や民兵や殺し屋集団と・・・平和と安全の間に横たわっているなんて。今も信じるのがむずかしい。ここでこの文を書きながら、どうして爆発音が聞こえてこないのかしらとふと思ってしまう。

飛行機が頭上を通過する時に窓がガタガタいわないのが不思議だ。黒装束の武装集団が今にもドアを破って入ってきて私たちの命を奪うのではという思いからなんとか抜け出そうとしているところだ。道路封鎖や早期警戒機[レーダーを取り付けた軍用機]やムクタダの肖像画などなどがない街路に目を慣らそうとしている。

車でほんのちょっと行った先には 、こういったものすべてがあるというのに。

人々の声を聞こう. - 【ねこまたぎ通信】


よろ↓


バグダッド・バーニング―イラク女性の占領下日記

バグダッド・バーニング―イラク女性の占領下日記