【ねこまたぎ通信】

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チェチェンニュース Vol.04 No.39 2004.11.10

INDEX: ファルージャ攻撃に反対の声を

ポリトコフスカヤ:すべては忘れられてしまう

ファルージャ攻撃に反対の声を
 今日、イラクの都市ファルージャが米軍に包囲され、病院が破壊されるなど、すさまじい被害が出ています。当然ですが、チェチェンでしてはならないことは、イラクでも、してはならないことです。
 最新情報: http://teanotwar.blogtribe.org/
 95年4月、チェチェンのサマーシキ村を包囲していたロシア軍が、この村にテロリストがいるとして攻撃を開始し、人口1万5千人のうち、数百人から千人の村人が殺害されました。どこまでも似通った状況。
 この掃討作戦の発端から追う良書「ファルージャ2004年4月」:  
 http://books.rakuten.co.jp/afvc/NS/CSfLastGenGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=1683860&rbx=X
 ほかにも米国防総省への抗議: 
 http://humphrey.blogtribe.org/entry-37372d1ddd8cb6807a78fa8e0e676512.html
 街頭での緊急行動: http://www.worldpeacenow.jp/
 これが、ジョージの選出にともなう世界への祝福、最初の一撃。(富)


■すべては忘れられてしまう
9月18日/ラジオ・リバティ(米国系放送局)の番組「今週のテーマ」より

<記事について>ポリトコフスカヤの最近の記事の続き。ラジオ番組で、視聴者の質問に答えるかたちで、北オセチアの事件についての彼女の考えを述べている。


ドミトリー・ヴォルチェク(司会) :これまでにプーチン大統領が提案した選挙制度の改正に対する反応と、ベスランのテロ事件の犠牲者の遺体確認について語ってきました。ここからは、「ノーヴァヤ・ガゼータ」紙のアンナ・ポリトコフスカヤ評論員とともに続けたいと思います。

アンナ・ポリトコフスカヤ:こんばんは。

<司会>:あなたの新聞は独自の調査をおこなっていることで有名ですが、ことに、モスクワでの数々の爆破事件や「ノルド・オスト」(2002年のモスクワ劇場占拠事件/訳注)で、一般の捜査が隠してきた多くのディテールが、まさにあなたがたの新聞のおかげで明らかにされました。今はもちろん、ベスランのテロ事件の状況を独自に調査しておられるのでしょう。まず伺いたいのは、検察が公表した事実についてと、バザーエフが声明に述べた事実です。それぞれ矛盾しており、ことにテロリストの頭目「大佐」の名前が合っていません。どちらを信じるべきなんでしょうか?

 あなたはどんなデータを持っていますか?あなたのジャーナリストとしての調査はどういう方向に向けられているのでしょうか?テロ事件のどの部分に注目すべきなんでしょうか?あなたの判断では、コレスニコフ副検事総長が隠しているのは何でしょうか?
<アンナ>:今のところ副検事総長はなににも注目していないようです。もしかするとこれは捜査上の秘密かもしれませんが。しかし、それでもわたしたち「ノーヴァヤ・ガゼータ」の記者たちにとってばかりでなく、他のジャーナリストにとっても最大の問題は、いまだに自分の身内を見つけ出せない家族を、どう支援するかと言うことです。

 つまり、いまだに行方不明になっている人たちの家族に支援し、不明の人たちはどこに今いるのか、明らかにさせることです。ご存じのとおり、そういう身内の人たちは あの突入の後でもすでに無事なところを見ていたり、直接抱いて運んだりして、誰かに手渡した、それっきり誰も見た者がいないんです。これが一番おおきな問題です。(事件の解決直後には無事の姿がビデオなどに写っているのに、その後行方不明になってしまった人々がいる/訳注)

 第二に、調査をおこなっている報道関係者が抱える課題というのは、どうして政府が嘘をついたのか(人質の人数を意図的に少なく発表した/訳注)、その説明を見つけることです。それが人質の家族の不信感を極限追いやり、結局その父親、夫、兄弟などがみずから武器を手にして突入してしまい、結果として余分な悲劇を引き起こしました。

 結局、9月3日(突入の日)に起きたことについての責任は誰にあるのでしょうか? いくつかの事情が偶然にかさなりあったと言う説はあまり信じられません。連邦保安局 (FSB)のパトルシェフ局長や、その他参謀本部にいた人々はどう関わっていたのか?これはとても重要な課題です。誰も、こんな事件が繰り返されることを望んでいませんし、もっとひどいことが起きてしまうことをおそれていて、だれもカサンドラギリシャ神話の人物。将来を見る能力を持つが、呪いにより、誰もその予言に耳を傾けない/訳注)になりたくないのは間違いないからです。「ノルド・オスト」やベスランでいやというほど苦い思いを味わっている人たちは、政府や国の代表が何かする能力があるとは思っていない。人々は自分で人質の解放作戦を行い、私刑を行うでしょう。真実を見つけることがどうしても大事です。検察庁にとってだってそうでしょう。さもなければ混乱するばかりです。

<司会>:あなたが触れた第一の問題、突入のあとで消えた子どもたちのことです。どこにいるか、全然わからないのですか。あなたの意見は? オセチアでは、武装勢力の多くが逃げおおせていて、子どもたちを人質として連れ去ったという噂が広がっています。そういうこともあり得ますか?

<アンナ>:もちろんそんなことは恐ろしいことですが、あり得ると思います。まず第一に、いろいろなディテールから見ると、武装勢力の一部は逃げおおせています。遺体がなければ、その人たちはどこかへ行ったということです。そして、まだ人質になっている子たちがいるのかもしれない、そして恐ろしい結末を知ることになるのかも。これまで人質になった人たちを探したのと同じように、今行方不明の人たちを探すべきです。

 今、ジャーナリストたちの課題は、行方不明者を人質とみなして、第一次、第二次チェチェン戦争のあいだチェチェンやダゲスタンで仕事をしてきた者は、みなそれぞれが知っているルートを伝って、その人たちを探すことです。いま行方不明となっている人たちの全員ではないかもしれないけれど、誰かは見つかる、その人たちを救い、身内の人たちのもとに返してあげる希望はあるんです。

<視聴者>:こんばんは。まず、ポリトコフスカヤの勇気、豪胆さ、美しさに感激していることを伝えたい。わが国全体の報道が彼女のそれにほんのわずかでも近付いていれば、事態はもっと違ったものになったでしょう。将来の検事総長は、今の検事総長プーチン大統領を追及すべきだと思いませんか?これは世界にとっても、ことにわが国の世論にとっても、有益だと思いますが。オセチアで起きたことは再び起きうる、そういう政策なんです。自業自得なんですから。

<アンナ>:もちろんそれは極めて正義にかなった、そして必要な考えだと思います。今はそんなことは夢のまた夢ですけど。というのも、わが国の大統領はますます皇帝のようになってきているし、検察が手をあげられない、特別の神が使わした皇帝のようになってきていて、ますます治安機構の管理からはずれてきている。しかし、もちろん、そういう問題提起は必要です。まさにそこに鍵があると思います。

<司会>:今週マスコミ各社が、バサーエフ(チェチェンの強硬派野戦司令官/訳注)の犯行声明を伝えていました。バサーエフはどうしてあんなに詳細に、かなり乏しい財政状態まで含めて、テロ活動の準備を書き記す必要があったのか、どう考えますか?

<アンナ>:まったくわかりません。だいたいあの声明について、わたしは極めて懐疑的です。もうこのあと、バサーエフは首をくくるしかないと思います。彼があれを書いたと言うことが確認されたなら、それしかしかたないでしょ? 以前にはそう思っていなかった人にとってすら、彼は嫌われ者なのです。第二にあの声明が発表されたサイト(カフカスセンター)です。わたしが取材してきた経験でも、このサイトで発表されたマスハードフの声明が本当にマスハードフのものかと、証明を求めざるを得なかったことが何度かあり、結局作り物だと分かった例があるんです。

 私自身がチェチェンで調べた二つの事件にも関わっていました。2002年と03年に起きた二つの悲劇に対しても、カフカスセンターは嘘を発表していた。だから、あれが発表されたとき、本当にバサーエフの声明なのかどうか確かめる必要があった。何かとバサーエフにこだわる、私たちだけでなく、検事総局も、プーチンも同じで、何か非常にたちの悪いゲームです。(野戦司令官は)バサーエフの他にもたくさんいて、その名前があまり知られていないのけれど、だからといって残虐性が減るわけではないのです。

 エヴローエフの名はどこへ行ってしまったんです? 最も残虐な野戦司令官の一人ですが。エヴローエフがまったく話題にならないということは実にけしからんと思います。わたしも、他のジャーナリストも、エヴローエフが今回のベスラン事件やイングーシでの6月21日、22日の事件に積極的に関与していたという間接的な情報を得ています。バサーエフ捜しはわが国の治安体勢の慢性的な癌のようになっています。この癌がチェチェンで起きているすべての隠れ蓑になっているんです。すでに5年になる第二次チェチェン戦争、あるいはいわゆる対テロ作戦の結果、新たな名前(人物たち)が生まれつつあるのに。その人物はバサーエフより数倍恐ろしいのに。

<司会>:カフカス・センターで公表されたマスハードフの声明の偽物のことですが、ラジオ・スヴォボダにマスハードフ自身の声の録音テープが届きました。ここではベスランの事件への関わりを否定しています。聴いてみましょう。

マスハドフ(独立派・チェチェン大統領)>:ロシアの特務機関とマスコミは、最近ベスラン事件の首謀者が、マスハードフを初めとする、チェチェンレジスタンスの直接のリーダーたちだと主張している。これに関して以下のことを言いたい。このような主張はこれまでもなされていたし、いまさら驚くことではない。「ノルド・オスト」を思い出して欲しい。レフォルトヴォ監獄(モスクワにある、KGB時代からの監獄)やチェルノコソヴォの収容所(チェチェン北西部の選別収容所)で、どんな方法によって人々が自白を強要されてきたかを、われわれはよく知っている。

 一週間前、ロシアの特務機関はその手の芝居を打ってきた。私の親族を女子どもを含めて片端から人質に取り、テレビの前に据えてこう言わせようとした、マスハードフに向かって、ベスランの子どもたちを解放するよう訴えると。これを見た一般の人たちに、これらのことのすべてはマスハードフがやらせていること、彼の命令によって行われているのだと思いこませるためだ。事実はそうではない。

 もし、ロシアの指導者たちが、私があの類のテロ活動の指導をしていることを強く望んでも、残念ながらその願いは叶わない。わたしにはそんなことはできない。われわれはプーチンの譲歩など必要としていないし、幼い子どもたちの命とひきかえにプーチンに戦争をやめさせる必要もない。われわれはロシアに戦争をやめさせるのに、十分な方法も手段も力も持っている。

 われわれは外交によって、国際社会と、国際機関の眼をひらかせ、チェチェンでおきていることを見せたいのだ。ロシアの特務機関や軍がチェチェンで行っている獣のような残虐行為を、ロシアの虚偽を明らかにしたいのだ。そして世界に納得して貰いたい、われわれはテロリストでも過激派でもなく、国際テロリズムとは何ら関係がなく、この戦いはまったく別のものであることを。

 国内政策として、われわれはプーチンやその配下の特務機関に、内戦を挑発されないように努力している。チェチェンレジスタンスの軍事政策としては、ロシア連邦軍に対して組織的に、近代的な、通常許される方法によって闘うということであって、われわれの敵がそこに引き込もうとしているような方法に移行するまいとしているのだ。(テープここまで)

<視聴者>:こんばんは。いろいろなテロ事件のすべてに、とても憤激を憶える。なぜか、テロ活動の目標にされるのがいつも一般市民で、死ぬことは大した意味がないような人たちが選ばれてきた。ロシア革命の前のテロ事件を見れば、その標的はつねにロシア帝国の指導部であり、そのもくろみは成功してきた。なぜ、今おきるテロはロシア下院も、政府のメンバーも、プーチンもその身内も狙わないのか?こういうことすべてに疑念を持っている。

<アンナ>:高官だろうと普通の人だろうと、テロの犠牲にはなってほしくありません。でもあなたの気持ちは分かります。わたしもレジスタンスの人たちと話しました。あなたがたは同じ仲間の、自分の共和国の中で連邦の協力者を敵に回している、カディロフ(親ロシア・傀儡政権の大統領。2004年5月に暗殺された/訳注) を憎み、そのあとはラムザン・カディロフ(前者の息子で、武装勢力を率いて住民の人権を抑圧している。現在同政権の副首相/訳注)を憎み、アル・アルハーノフ(現在の傀儡政権の大統領/訳注)を憎んでいる

 そう言う人たちとは好きなように闘えばいいわ。それによって、何も変わらず、チェチェンはこれまでどおり、真空地帯のまま(混乱して権力の所在がはっきりしない状態/訳注)でいくんだから。それがチェチェンレジスタンスだし、ラムザン・カディロフなわけ。カディロフの死でツエントロエ村 (カディロフの生地)が喪に伏しているとき、大統領代行のセルゲイ・アブラーモフの息子誕生を祝って騎馬武者が集まってきた。あの人たちにとってはこんなテロ事件なんかどうでもいいということです。そういうお祝いの一方で子どもたちが命を落としている。

 今、マスハードフの声明を聞いて、私たちはこれには関わりがないという彼の立場は理解した。でもベスランに行った人たち(ゲリラたち)はその行動を第二次チェチェン戦争をやめさせるためだと説明している。だから、チェチェンレジスタンスがこれに関わりがあったのだろうと、わたしたちはどうしても思ってしまう。もしかしたら、マスハードフ派ではないかもしれない。そう言わざるを得ない。だから、どうぞクレムリンの協力者をねらって闘うならそれも結構、ただ、あの子どもたちはもう学校からどこへも出ていけないのに、ラムザン・カディロフはお祝いの騎馬隊に参加しているなんて、どうしても気に入らない。(8月末に行われた親ロシア派の大統領選挙の結果、わずか27歳のラムザンは副首相に任命された。その祝いを指すのかも知れない/訳注)

<司会>:でも彼の父親は爆殺された。そのことを、ベスランの作戦本部にいたニコライ・モシンツエフ・アゼランスキーが語っています。プーチンは人質事件の二日目には、テロリストのあらゆる要求を受け入れ、チェチェンからの軍の撤退にサインする覚悟だったと。あなたがもっているデータから、この話は信じられますか?

<アンナ>:わたしは信じられません。その人を信じられないからではありません。わたしが持っている情報では、プーチンがその用意があったのは9月1日の17時までで、それからは違います。一方、わたしたちは大統領府の異なる人々から球を投げられ、内容はそれぞれに異なるものでした。

<視聴者>:こんばんは。アンナの声が聞こえて嬉しい。彼女が元気になったので嬉しい。テロ事件というものが起きるようになったのがいつか、と訊きたい。わたしの記憶が確かなら(わたしは年寄りだから)初めてのテロ事件は99年のマネージナヤ広場だった。エリツイン大統領が戦争をしていたころにテロはありませんでした。プーチンがはっきりと浮上してきた時からテロ事件が起き始めた。初めて住宅が爆破されたとき、「地下室、天井裏をふさぎなさい」と言われた。家(集合アパートを指す)の地下室はまさに誰でも入れた。うちの建物は特別の人たちが住んでいました。わたしは隣人に言ったんです「ここの地下室はどうしてきちんと閉めてしまわないの?」その答えは「心配ないわ。FSBは誰の家を爆破すべきか間違えないから。都心から離れた普通の人の住宅しか狙わないわ」これは一般のひとでなく、ある大学の学長が言った言葉です。

 でも彼女はもう亡くなりました。それから次々にテロ事件が始まりました。「ノルド・オスト」、あれは私に言わせればFSBが実に上手に仕組んだ作戦だったのだと思います。テロリストは全員殺され、誰も処罰されず、逆に報奨され、首尾良くいった作戦をたたえられて、連邦保安局のパトルシェフ長官はロシア連邦英雄の称号を受け取ったのです。129人の人たちは、テロリストの弾丸でではなく、毒ガスで殺されたのですよ。中毒性ガスの実験が行われたのです。アメリカはいったいこのガスはなんだったのだ?と警戒心を強めました。何だったのかつきとめられたのかどうか・・・、

<司会>;アンナ、ノルドオストが連邦保安局の挑発だったという意見に賛成ですか?あなたはこの事件の調査をしていますね。

<アンナ>:いいえ、あれはFSBの挑発ではなかった、あれはFSBによって化学兵器が使われ一部の市民を殺戮したということです。使用した化学物質によって死がもたらされることを、意識して行ったのです。でも、私もタチヤーナさん(視聴者)の意見に同意しないわけにはいきませんが、ジャーナリストとして求められる確証がないのです、FSBが住宅爆破にかかわっているということの。もちろん、そういう説がありますし、それを信じてさえいますが、いまに至るまで確証がありません。それに、もちろん、わたしはなんでも特務機関のせいにするつもりではありません。

 「ノルド・オスト」について言えば、あれはもちろん現代の恥辱です、あの後で孤立無援になった、かつての人質や、犠牲者の家族たちにとって、あの悲劇は。わたしはショックをうけました。あの人たちが、「ノルド・オスト」で子どもたちを失った父親や母親たちが、今度はベスランに出かけていったのです。その人たちがお金を集めたんです。このすべてを乗り越えて、せめて、そばにいてあげるために、あるいは立ち直る助けになれるかもしれないと出かけていった。ベスランで自分の一番幼い子どもたちを失った親たちが自殺してしまったことも、知ったからです。

 わたしは、特務機関の関与(の証拠)を探すだけでは足りないと思います。社会はこのテロ事件の被害者たちを支えてあげることに集中すべきです。そういう人たちが忘れられています。地下鉄で亡くなった人たち、ノルドオストの被害者たちも、忘れられています。考えるのも恐ろしいことですが、わたしたちの社会では、その気になって努力しなければ、ベスランの犠牲者のことすら忘れてしまうでしょう。

原文: http://www.svoboda.org/ll/terror/0904/ll.091804-1.asp
訳:TK

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