【ねこまたぎ通信】

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 正義と民主主義をもたらすはずの軍隊のやったこと Abu Graib刑務所収容者の供述 2004年6月1日 供述調書翻訳チーム 1

アブ・グレイブは、グアンタナモから始まった・・・・・・梅田章二

アブ・グレイブ刑務所の拷問の衝撃は世界を走った。それは映像であった。裸体の人間ピラミッドや生まれたままの姿で拷問を受けているまさにサド・マゾの映像であった。アメリカ軍の調査報告書では、ジュネーブ条約の知識について十分に教育されていないことが原因であると結論づけている。もっぱら予備役で召集された教育不足の兵隊の仕業だという。日本のマスコミの報道でも、サド・マゾの域を超えていない。多少突っ込んだ報道でも、ストレスに陥り自殺などするアメリカ兵も多く、そのような背景によるという報道だ。ワシントンポスト紙(電子版)に、アブ・グレイブ被収容者の供述調書が掲載された。それを一読すれば明らかに、「衣服を剥ぎ取る」、「睡眠を奪う」、「食事を与えない」、「犬で威嚇する」、「暴行を加える」という共通の手口がわかる。これは単なる戦闘のストレスによるものか疑問となる。ニューズ・ウイーク誌(2004年5月24日号)は、The roots of the Torture の記事でその疑問に答えを与えてくれた。グアンタナモの段階で、アメリカ司法省や国防省は、アルカイダに対する高度な尋問方法に関する合法性について法的検討をしたというのだ。すなわち、「衣服を剥ぎ取る」、「睡眠を奪う」、「食事を与えない」、「犬で威嚇する」、「暴行を加える」という方法も許されるという検討である。それに対してはジュネーブ条約違反であるとの強行な反対意見もあったが押し切られたという。
その手法はグアンタナモで採用された。グアンタナモの被収容者は弁護士との面会も認められていなかった。ニューヨークタイムス紙もグアンタナモから中東へ取調官が派遣されたとの報道もしている。国際赤十字は、「虐待」か「拷問」かという言葉の問題でも鋭い指摘をしている。ジュネーブ条約に違反するか否かという点では、表現も大切である。メディアはそこまで意識して言葉を使用しているのであろうか。イギリスBBCは昨年の暮れくらいから「テロリスト」という言葉の使用は止めているが、日本のメディアはどうであったか。
田中宇氏は、「アメリカ以後」(光分社新書)で「英語でインターネットのニュースや分析記事などをたくさん読んでいると、国際情勢がだんだんわかってくるが、大半の人はそんな時間の余裕がない。日本人の国際感覚を高めるには、マスコミにおける国際報道の中身が大きく改善される必要がある」と指摘する。こどもだましのような不正確要約の翻訳報道の外信記事に飽き、真実にせまりたいというというのが、今回、翻訳作業チームを編成した動機である。 拷問の手先とされたイングランド女史は、文化人類学をめざすために学費を稼ぐために入隊し、アブ・グレイブで世界的に汚名を着せられる羽目になった。まさに同情すべきだと思う。拷問をさせられた人、拷問された人、まさに、アメリカ政府という悪の首脳部による犠牲者である。
この翻訳資料をヒントに世界の事実に少しでも目を開くことができればわれわれ作業チームの努力が報われます。広く活用されることを期待します。

宣 誓 供 述 調 書 №1

場所:バグダッド矯正施設 日時:04年1月17日 時間:17時31分
氏名 AL−YASSER, Nori Samir Gunbar
社会保障番号:17787 地位: 市民/被抑留者
軍郵政局:バグダッド矯正施設アルグレイブ刑務所

Nori Samir AL−YASSERIは、宣誓の上、次のとおり供述した。
ラマダーンのある日、正確な日付は分かりませんが、私たちは収容区域第2で起きたケンカに巻き込まれました。そのため、私たちは収容建物に移されました。私たちが到着するとすぐに、彼らは私たちの頭に砂袋をかぶせて、私たちを殴打し、私たちのことを罵りました。彼らは砂袋を外すと、私たちの服を脱がせて生まれたばかり赤ん坊のように素っ裸にしました。そして、彼らは私たちに対して、自分の性器を掴んで自慰行為をするように命令しました。これはその日の夜間のあいだのことでした。彼らは、この様子をポルノ映画のように写真に撮り始めました。彼らは私たちを人間としてではなく、まるで動物のように扱いました。彼らは長時間にわたってこのようなことを続けました。誰も私たちに情けを見せませんでした。悪罵と殴打ばかりでした。それから、彼らは、私たちのお尻に何か文字を書き始めましたが、どういう意味かは分かりませんでした。その後、彼らは、2日間にわたって、私たちを素っ裸のまま、着る物も一切与えず、マットレスも与えず、まるで犬のように、放置しました。その2日間のいずれの夜も、その軍隊がやって来て、私たちを殴打し、彼の勤務時間が終了する午前4時00分までずっと手錠をかけられたままにされました。軍人は3日間の間、私たちに対して、パンとお茶以外の食事を与えませんでした。もし私たちがチキンを持っていたなら、彼はそれも遠くに投げ捨ててしまったでしょう。彼らが私たちの服を脱がせて素っ裸にした最初の晩、両手両膝をつかされて、一人の背中に他の人間が積み重なるようにされました。彼らはその様子を前からと後ろから写真に撮っていました。もし詳細をお知りになりたければ、写真のネガを彼らから取得すれば、私が申し上げたことが真実であることが分かるでしょう。次の日、昼間のシフトの係員が衣服を与えてくれましたが、夜間のシフトになると以前私たちを虐待した係員がやって来て、衣服を取り上げて素っ裸にされ、ベッドに手錠でつながれました。彼のシフトが終了する時間になると、彼は手錠を外しましたが、その際、私たちの腹部を殴ったり、頭や顔を殴ったりしました。それから彼は帰国しました。私は、この白いメガネをかけた白人男性に、次の晩にはどんな仕打ちを受けるのだろうかと考え続けました。彼を見ると死の恐怖を感じます。もう一度言います、彼がもっている写真を見て下さい。彼と二人の背の低い女性の兵士ともう一名の黒人の兵士がこの陰惨な夜に居合わせました。私たちが裸にされて、自慰行為をするように命令されたとき、別の収容者が連れてこられて、私たちの前にひざまずいて座らされ、まるでその収容者が私たちの性器を口の中に入れるような格好で写真を撮られました。その前に、誰かが私の性器をペンでもてあそんでいるのが分かりました。その後、彼らはHashim を私の前に立たせて、私に彼の顔を殴るように命令しましたが、彼は私の友人ですので命令を拒みました。それから、彼らはHashim に対して、私を殴るように命令しました。Hashim は私の腹部を殴りました。なぜなら、私がHashim に対して、そうするように頼んだからです。命令を拒否すれば私がされたように彼らがHashim を殴りつけるからです。Nori Samir、Hussein、Mustafa Mahadhi、Hashim、Hiadar、Hathem、Ahmed Sabri、彼らがあの1000日にも感じた日の晩にいた者達の名前です。
Q. IEM
A. Nori Samir Gunbar AL-YASSERI
Q. その夜には何人の兵士がいたのですか?
A. 男性3名、女性2名です。
Q. 彼らの名前を知っていますか?
A. 名前は知りません。ただ、そのうちの1人は監督者のようでした。なぜなら、彼を毎晩そこで目撃していたからです。
Q. その監督者はどんな人物でしたか?
A. 白人、口ひげ、透明の医療用メガネをかけています。片方の肩に入れ墨があります。どちらの肩だったか覚えていません。その入れ墨がどういう意味を持っているのか分かりません。彼は毎晩午後4時から午前4時までの勤務でした。
供述終了

公的使用に限定
翻訳者
署 名
Gawdat HUSSEIN
訳者、分類?型
タイタン株式会社
キャンプドーハ クェート
2004年1月17日