【ねこまたぎ通信】

Σ(゜◇゜;)  たちぶく~~ Σ(゜◇゜;)

 お気の毒様

結局,最終的には誰からも歓迎されず,こそこそと裏口から夜逃げするしかなくなったんですね.

裏口から突然姿消す その後、宿営地に盗賊

東京新聞 2006.7.18(水) 12版 23面【社会】


 【サマワ=時事】イラク南部サマワから撤収する最後の組となった第10次イラク復興支援群長の山中敏弘1等陸佐らは16日夜、不測の事態を回避するために、宿営地北側の裏口からひそかに出発していたことが分かった。住数台の車列で出発し、地元住民に最後の別れを告げることなく突然、姿を消した。
 陸自は16日午後8時過ぎ(日本時間17日午前1時過ぎ)、宿営地北側の裏口から、約100キロ離れたタリル空港に向けて出発した。最後まで行動をともにした数人の通訳には「きょう、日本に全員が帰る」と言い残し、車列は去った。
 陸自宿営地では同日午後イラク陸軍に宿営地が引き継がれる予定だった。陸自側は引渡しの象徴ともなる鍵の形をした記念品を手渡すことも計画したいた。
 しかし、イラク軍への引渡しで、賃料や雇用の確保の面で不安を抱く地元有力部族長らの地権者が宿営地に続々と終結し、宿営地前に座り込んだ。このため、同軍の武装兵士約200人が約800メートル四方の宿営地を包囲する騒ぎとなった。
 不穏な空気が流れる中、陸自隊員は同午後8時前、ゲートで警備に当たっていた雇用者に「今夜は警備の必要はない。家に帰ってほしい」と話すと、宿営地内に走りこみ、2度と姿を現すことはなかった。その数分後、陸自車列は裏口からオーストラリア軍の装甲車6台とともに出発した。
 陸自出発から約4時間後、宿営地には残された発電機やエヤコンを狙った盗賊が出没し、警戒したいた治安部隊と激しい銃撃戦となった。

長かった『戦地』隠密撤収 日の丸にペンキ

http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20060718/mng_____sya_____010.shtml


 【クウェート市=浜口武司】実弾が飛び交うイラク南部サマワでの任務を終え、クウェート入りした陸上自衛隊員らの顔には一様に安心感が広がった。今月七日から計六回に分けて行われた約六百人の撤収作業。部隊を隠密に撤収させるため、民間業者のトレーラーで搬送された装甲車の「日の丸」はペンキやテープで隠され、撤収開始後も、残る隊員で道路や公共施設の補修作業は続けられた。最後まで緊張を強いられた約二年半。それこそが「戦地」という現実を強く物語っている。 
 クウェートの青空に、航空自衛隊のC130輸送機が姿を見せると、出迎えた約百人の自衛隊員の顔にもホッとした表情が浮かんだ。
 空自が使用する整備倉庫前でC130がプロペラを止め、前方の乗降口が開くと、山中敏弘群長(45)を先頭に日焼けした隊員たちが続々とタラップを下りた。鉄帽をかぶり、防弾チョッキを着て、小銃などで武装したまま。それでも「戦地」の緊張から解放されたのか、白い歯がこぼれた。
 約六百人の隊員の撤収は空路で、十一日間という短期間で完了した。クウェートから陸路で二カ月以上かけ、イラク入りした二年半前とは対照的だ。今年五月に正統政府が発足したイラクだが、バグダッドクウェートに隣接するバスラではむしろ抗争が激化、陸自の撤収には「空路」しかなかったのが実情だ。
 撤収期間中について、山中群長は「だんだんと人数が少なくなり、(宿営地の)安全が不安定になったが、最後まで任務を完遂しようという気持ちだった」と緊張を強いられたと明かす。
 最後の便で到着した城崎悟二等陸曹(31)は「戦闘行為がなかったのはよかった。思ったより治安が安定していた。サマワでは常に緊張していたが、最後に宿営地を抜けるときが一番緊張しました」と話した。
 先にクウェートに戻り、武器や弾薬を返納した石田等三等陸曹(32)は「一度も小銃を使うことがなくてよかった。小銃を返納し任務が終わったという気持ち」。
 伊藤雅未陸士長(21)は「武器を使うこともなく済んで、ホッとしています。実際に実弾が飛び交うところでしたから」と肩の荷を降ろしたように笑顔を見せた。

日本人宿に引きこもりの旅行者のように外に出ず,大して役に立たなかったんだからしょーがないか.
空自は米軍のパシリやらされるみたいだし.


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