【ねこまたぎ通信】

Σ(゜◇゜;)  たちぶく~~ Σ(゜◇゜;)

 イラクの衛星画像

結構面白かったのでコピペ保管.
「アラブの声ML」から.

最近グーグル・マップが面白くなって来たのでちょっと試してみました。グーグル・マップは衛星画像をとても簡単に閲覧出来るのが特徴と思いますが、ふと思いたってイラクへ飛んでみました。此の地域も地図情報は未だないから衛星画像のみから目的の地点を探し出すには土地勘や現場を知らないと難しいのですが試してみると想像もしなかった「情報」を見いだせるのに驚かされました。ともあれ幾つかの検索結果を御覧に入れたい(ただし著作権上画像そのものを掲載できないからリンクのみ)と思います、なお此のリンクが何時まで有効であり、今の時点で私の見たものが何時までそのままかは分らないことをお断りしておきます;-)


アマデア(イラク最北の都市のひとつ):
クルディスタン山中の標高1985mにある山上城塞都市、チグリス支流上ザブ川廻廊からウルミア地方へ通ずる要衝の地にあたるだろう。
http://maps.google.co.jp/maps?ll=37.089844,43.482513&spn=0.028034,0.042563&t=k&hl=ja


ニムルード?(アッシリア帝国の最初の王城都市):
麦畑のなかに長閑にひろがり、アッシリアレリーフと本来の在るべき地で接することが出来る。
http://maps.google.co.jp/maps?ll=36.287093,43.193715&spn=0.007082,0.010641&t=k&hl=ja


ニネヴェ(アッシリア最後の帝都):
左下の流れがチグリス、河畔の都市と云っても水は背後の山地から引いてダムまで作っていた。チグリスに面した城壁の中程のうっすらと白い辺りが次のナビ・ユニスの墳墓の辺り。
http://maps.google.co.jp/maps?ll=36.359253,43.163052&spn=0.037834,0.044031&t=k&hl=ja


ナビ・ユニス(旧約の予言者)の墳墓跡:
ニネヴェの一隅、今はその上にイスラムのモスクが建っているので、発掘調査も出来ないとのこと。それにしても周囲の変りざまは凄まじい。
http://maps.google.co.jp/maps?ll=36.347730,43.158621&spn=0.004729,0.005504&t=k&hl=ja


ハトラ?(パルティア時代の遺跡):
イラク初の世界遺産。ヘレニズム様式のオアシス都市、同時に城塞都市で今は廃墟、修復が進んでいる。
http://maps.google.co.jp/maps?ll=35.993786,42.834492&spn=0.037834,0.044031&t=k&hl=ja


アルビル(世界最古の都市のひとつ):
ウル第三王朝の頃すでに存在し今も健在な城塞都市、目下大統領に就いているタラバニとクルド二大勢力のもう一方バルザーニの本拠地でもある。
http://maps.google.co.jp/maps?ll=36.193428,44.009171&spn=.151337,.176125&t=k&hl=ja


スパイラル・ミナレット
サマラにある。特徴的でこう大きなものは分かりやすい、此れはイスラム寺院だが、サマラの地の都市もシュメール時代から存在したようである。
http://maps.google.co.jp/maps?ll=34.207188,43.880306&spn=0.003633,0.005320&t=k&hl=ja


バグダードから幾個所かを;
バグダード西駅(中央駅)、オリエント急行の東の終着駅、此の辺りや博物館も含めたチグリスの右岸一帯は英国統治時代の中枢、バグダード女官長と云われるベルも此の界隈に住んで、そして此の界隈で生涯をおえる。
http://maps.google.co.jp/maps?ll=33.324666,44.379594&spn=0.007341,0.010641&t=k&hl=ja
イラク博物館
http://maps.google.co.jp/maps?ll=33.328825,44.385710&spn=0.003670,0.005320&t=k&hl=ja
バグダード国際空港
http://maps.google.co.jp/maps?ll=33.253475,44.232502&spn=0.058777,0.085127&t=k&hl=ja
バグダード大学界隈
http://maps.google.co.jp/maps?ll=33.272709,44.376354&spn=0.029382,0.042563&t=k&hl=ja
+リバー・ベント;River Vent、“I'll meet you 'round
the bend my friend, where hearts can heal and souls
can mend...” これはバグダード在住のある女性のブログの書き出しで、哀しいけれどもとても素敵なフレーズだ。この左岸が今も人気のある古の風刺詩人の名を冠したアブ・ナワス通りでバグダード子の憩いの場、この先を下ってゆくとバグダード大学・・・
http://maps.google.co.jp/maps?ll=33.304277,44.403992&spn=0.029372,0.042563&t=k&hl=ja


バビロン(バビロニアの帝都、メソポタミアの中心)
図のほぼ中心辺りの道が二手に分かれている所が再現されたイシュタル門、その左方の遺跡らしく見えるのが行列大通りや懸空庭園とされる一帯。バビロン遺跡周辺は軍事基地利用が遺跡を損傷していると前々から指摘されて来たが、イシュタル門の右斜め上方一帯には軍用ヘリまで写っている。また左下方に四角く見えるのがバベルの塔の位置、そして左の河畔の丸い紋様のところがサダム時代に造られたと云う大統領宮殿だろう。
http://maps.google.co.jp/maps?ll=32.541418,44.422960&spn=0.011191,0.015166&t=k&hl=ja


クテシフォン(ササン朝遺跡)
ササン朝ペルシャ時代の王宮、此処の左手上方のチグリス右岸にはセレウキア(セレウコス朝が帝都をおいた、後にシリアへ移ったが)があるのだが、遺跡の痕跡らしいものが何とも云えないので割愛。クテシフォンには巨大な煉瓦のアーチが残っているだけだが、この衛星画像で白っぽく見えているのは百数十年まえのチグリスの氾濫で損壊したと云われる胸壁(右側の)の補修分のようである。私の見た頃にはなかった。
http://maps.google.co.jp/maps?ll=33.093366,44.580631&spn=0.003680,0.005320&t=k&hl=ja


ウル(シュメールの栄華をとじる遺跡)
茶色の四角がジグラト、基壇部分と階段がはっきり分る、基壇は修復されているが祭壇は崩れたまま。この遺跡も湾岸戦争の時も含めて米兵の射撃の的にされたり色々問題にされてきたが、すぐ下方に軍事基地や滑走路がみえる。もともとイラク軍の基地でウル遺跡での写真撮影は難しかった、晴れている時は先ず無理だったろう。斜め右手上方15キロ辺りの市街がナシリア、ユーフラテスを道路が渡河する橋の辺りが米兵ジェシカ奪回劇の捏造された舞台。
http://maps.google.co.jp/maps?ll=30.961082,46.105735&spn=0.011049,0.012353&t=k&hl=ja


クルナ(チグリス・ユーフラテス合流点、エデンの楽園跡)
左がユーフラテス、右チグリス、合流してシャットアルアラブ、合流地点の先端にエデンの楽園の林檎の木が見えている。アラブ・マーシュ衰退の一環だろうが護岸工事が随分と整っている、かつてを見られて幸運だったと憶う。
http://maps.google.co.jp/maps?ll=31.005993,47.440209&spn=0.009459,0.011008&t=k&hl=ja


上には主にメソポタミアの遺跡の地点を掲げてみましたが、例えばカルバラの西方にある大きなラザザ湖の南岸付近にあるウハイダル宮殿などは簡単に探し出せるはずのものだが検索不能でした。つまり画像がマスクされたり歪められたり改竄されているようなのです、他での例も合わせて推理すると此れは意図的になされたものと看做すほかないのですが、それはイラクが紛れもない戦場であることをまざまざと見せつけるものになっているように思います。ファオからシャットアルアラブを遡ってゆくと沈没している船舶も生々しく見えますし、甚大な被害を受けたと云われる棗椰子農園の様子もあからさまですけれど・・・そして改めてこれらのデータを探れば見えるのも見えないのも含めてなんと膨大な情報の山であることか実感できます。

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よしはら・黒姫
 http://www6.plala.or.jp/heumonat/
 http://heumonat.plala.jp/(屋根裏サーバ)

こういうソフトもあります.
World Wind JAVA SDK
面白くて結構はまります.^^;