【ねこまたぎ通信】

Σ(゜◇゜;)  たちぶく~~ Σ(゜◇゜;)

「年金積立金」を探せ!

PUBLICITY
No.971(2004/07/13/火)


「PUBLICITY」(パブリシティー) 編集人:竹山 徹朗
E-mail:freespeech21@infoseek.jp
blog:http://takeyama.jugem.cc/

※転送・転載自由です。ただ、転送・転載される時には、登録申し込み先(↓)も必ず合わせて併記してください。
http://www.emaga.com/info/7777.html


        ◆◇今号の目次◇◆

【めでぃあ・オフノート】
▼「年金積立金」を探せ!
▼「何に欲情するか」と「どういう規制が是か」は違う
 〜不健全だよ改正都条例(その6)


【めでぃあ・オフノート】

▼開票開始当初は、もっと民主が勝つだろうと思っていたんだけどねえ。いろんな意味で微妙な結果だった。

▼「ああ、参院選前に取り上げるべきだった」と昨日の夜から強く反省しはじめていることがある。年金である。
既に書いたとおり、今回の参院選の最大の問題は年金改革(内政)であって、自衛隊イラク派遣もしくは多国籍軍参加(外交)ではなかった。

やたら議論が複雑そうで取り上げなかったのだが、やっぱやっとけばよかったナー。

“遠くで人が殺されることを知ってもぐっすり眠れるが、明日自分の手の小指が切られると知ったら眠れない”というようなことがアダム・スミス国富論』に書いてあったと思うが、他者の死には鈍感でも、自分が殴られた痛みに鈍感ではなかろう。

▼遅まきながら、年金改革の本質が一目瞭然になる極めつけの1冊を紹介しておこう、保坂展人『年金のウソ』(ポット出版)である。ポット出版やるナ。誤植がちょっと多いけど。

▼この本の本質は、

「年金積立金147兆円の約6割が、不良債権と化している」

という驚愕の“推測”である。これは“推測”であるところに最大の問題がある。「年金積立金=国家が国民から預かっているお金」が幾らなのか、国家が正確に把握していないか、把握していたとしても国民に知らせていないのだ。だって年金積立金で株を運用してんだぜ? 信じられるかよ。【「グリーンピア」は「とかげの尻尾切り」に過ぎない】。

「ある」と思っていた前提=年金積立金が「ない」としたら、安心は不安に変わり、議論そのものが空論になるだろう。

▼『年金のウソ』から、最低限の事実を要約しよう。まず、この数字は何か。

1、社会保険庁 147兆円
2、厚生労働省年金局数理課 193兆円
3、財務省(国のバランスシート) 155兆円

この3つは全て、「年金積立金の総額」である。つまり各省庁によって、特に厚労省内部の他部局(1と2)で、46兆円も数字が違うのである。これだけで十分不安だ。

▼それでは年金積立金は、いったいいくら残っているのか。日本医師会シンクタンク日本医師会総合政策研究機構」(通称「日医総研」)が。「公的年金積立金の運用実態の研究」という報告書を作成している(2002年4月)。


日医総研は年金積立金は144兆円と試算しているのですが、これまでその全額が財政投融資にまわっていました。

分析の結果、そのうち87.8兆円が不良債権化していると結論づけています。

つまり、87.8兆円のお金が戻ってこないかもしれないのです。

(中略)

それにしても、日医総研の試算は事実無根と政府は反論しますがどうでしょう。実際のところ、どうなっているのかは、十分にはわかっていません。

それは日医総研の試算が問題だということではなく、特殊法人・関係省庁が十分な情報公開をしていないから、正確な数値・事態が完全には判明していないからです。

それにしても、国会で年金問題が焦点になり、予算委員会などで、自民党公明党から民主党共産党社民党まで揃い、年金問題を議論しているにもかかわらず、積立金はいくら残っているのか……、不良債権化しているのか……、という本質的な議論が、何故に、煮詰まらないのでしょうか。私は訝しく思っています。

日医総研のデータは信用できない……という議員・官僚も、いるようです。ならば、日医総研のデータを論(あげつら)うだけではなく、【実際の数値を調べればいいのであります】。

P60−8、【】は竹山


▼さらには、「“年金積立金”問題はパンドラの箱だと、私は言いつづけています。なぜならば、この問題に手をつけたならば、日本の国家的財政破綻が浮き彫りになるからです。年金積立金だけでなく、郵便貯金も採算の取れない利権のための事業・法人に注ぎ込まれ、消失してしまっている。そういう実態が明らかになるのです」(P82)との根本的な問題に行き着く。詳しくは本書を買って読んでおくれ。

▼いわく、だから触れるわけにはいかないのだ、ではないね?
だから触れなければならない。

『年金のウソ』いわく、「年金積立金がそもそも、不良債権化して相当部分がなかったとすれば……、これらの年金改革案は、空論でしかありません。議論は初めからやりなおされなければなりません」(P81−2、6月4日第1版第1刷)

保坂氏が指さす事実は、「議論の根っこ」が泥沼のようになっているのに、まともな議論が出来るのか、と問うている。

この問いは「空理空論」だろうか。「現実を知らぬ理想主義」だろうか。

▼与党は、このタイミングで年金改革をしておかないと、もっと損することになる、だから強行採決もやむなし、と説明し、行動した。

山のように言いたいことがあるが、そもそもが「年金問題イラク問題」であり、年金問題を政争の具たらしめた自公連立政権が、官僚という名の国賊たちに手玉に取られているのだ。また先日述べたとおり、今の今まで年金問題が議論されなかったことにこそ問題がある。それらの大問題はしばらくこれを措こう。

ここで確認しておきたいのは、「ファルージャの虐殺」を忘失してアメリカによるイラク統治を語れないように、「年金積立金の現実」を無視して年金改革を議論できるはずがないではないか、という問いを、読者諸賢はどのように受け止めておられるか、だ。

「ニッポン人は現実に追従する傾向がある」と言われる。この「定説」は、半分は正しく、半分は間違いだと考える。なぜならば、大半のニッポン人は「現実を知らされていない」からだ。

敢えて言えばニッポン人には、「『現実を知らされていない』という現実」に追従する傾向がある、と言えよう。要は騙されやすく・忘れやすい、ということサ、年金積立金147兆円の6割が消えているかも! 年金改革がその一好例ではないか。

自信があることは偉大であり、懐疑がないことは悲惨であると渡辺一夫は『フランス・ルネサンスの人々』に書いた。「懐疑する力」こそ「信じる力」たりうる。「真実(のようにみえる物事)を疑う力」こそ「真実(のようにみえる物事)に迫る力」たりうる。この「人間の可能性発揮」の方程式に鈍感であることは不幸だと感じる。

▼『年金のウソ』では具体的な提案として、民間による年金監視院の設置/国会に調査特別委員会設置/年金積立金から官僚を切り離せ/100年の虚構よりも、10年の計画的な取り崩しによる制度再建を/年金一元化で議員年金を廃止せよ。「5年に1度の見直し」(財政再計算)を廃止せよ/徹底した情報開示を、などを挙げている。

「政治は芸術」であるならば、これも空論ではなかろう。

年金積立金管理運用独立行政法人法」によってつくられた「年金積立金管理運用独立行政法人」という名の天下り役人の天国を監視すること。

「年金積立金」という名の「底の抜けた大樽」から国民のお金が音を立てて流出するのを少しでも防ぐこと。

徒労のように思える。しかし間違いなく昨日の参院選では、「年金改革への説明不足」が自民敗北を招いた。もちろんそれだけが理由ではないが。ボディブローを打たれ続けた7046万人の年金加入者が、「それはイヤだ」とわずかな意志を示したと言えよう。彼らの倦厭感を持続的なかたちにするために、年金問題は未だ最重要のテーマではあるまいか。


▼「不健全だよ改正都条例」(その6)、今回で松沢呉一氏の転載はほぼ終了。彼の指摘が今回の問題のほぼ全てを網羅していた。というか、ほとんど彼以外に論客がいないような気が。


http://www.pot.co.jp/matsukuro/20040708_757.html
お部屋757●雑談・エロ規制 [2004年07月08日]

(前略)
前にも書いたと思いますが、都条例改正について、早くから危機感をもっていたのは、編集者やライターではなく、経営陣でした。消しを濃くしたり、ポーズを工夫したり、連載を打ち切ったり、入稿が早まったりという事態を迎えて初めて「ああ、こりゃ大変だな」と実感をもったというのが現場の実情でしょう。

出た当初、出版業界で話題になった小田光雄著『出版社と書店はいかにして消えて行くか』(ばる出版・1999年)という本があります。出版社、書店、取次が置かれている危機的状況をあきらかにしたものです。

いつ出版界が崩壊してもおかしくないにもかかわらず、出版界の人たちには危機感がないことを著者は憂えています。でも、近代的な出版流通システムが崩壊しつつあるという話ですから、いくら一出版社の一社員が、あるいは一ライターが危機感をもったところでどうになるもんでなく、そんなことより現場では、目の前の取材や入稿が大事ってことです。

条例くらいになると、「なんとかなるんじゃないか」と私には思えますけど、大多数の出版関係者にとっては、条例でも遠い世界のことなんでしょう。

また、エロとなると、いよいよ抵抗するという発想はなくなります。前に書いたように、エロメディアは予め抵抗するという発想を奪われてしまってます。抵抗したって潰されるだけですから。

20年前であれば、「抵抗したいが抵抗できない」と自覚した上で抵抗しなかったんだと思うのですが、今は最初っから抵抗するという発想がないですよね。以前「SPA!」でやった座談会で、40代のエロ本編集者も苦々しく言ってましたけど。

となれば、「なんでこんな規制が必要なのか」という疑問もでにくくて、「規制するのは仕方がない」と自分が抵抗しないでいい名目を先に見いだしてしまいます。

でも、その際に「今のようにハダカばっかりだと、逆に興奮しなくなったなぁ。昔のエロ劇画とかの方が百倍グッと来た」なんて考えるのはいくらなんでも愚かです。抵抗しないのは仕方ないとしても、ここまで頭を悪くしてはいかんでしょ。

こういう発想のバカバカしさについては繰り返し書いてきてますが、そう思う人はエロ劇画を読んでいればいいだけです。今だって、ケン月影先生やダーティ松本先生は現役で頑張っていて、古いエロ漫画もいっぱい復刻され、復刻されてないものは古本屋で探せばいいのです(高くなってますが)。

私のようにマンコが見えているものの方が好きな人間もいます(チンコも見えていた方がいいな)。そんな人が一人としていなかったとしても、エロ表現を規制していいのかどうかくらい考えるべきであり、今回の規制が本当に青少年のためであるのかどうかも疑っていいでしょう。

「自分のチンコが何に欲情するのか」と「この社会がどういう規制を是とするのか」の問題はまったく別です。

こういうこと言ってっから、単なるエロ嫌いの狂った女性議員たち(女性議員だけじゃないですけど)が自分の趣味を社会が共有すべく規制強化を進めることに対抗できなくなってしまうのです。「仕事が減るのは困る」というのなら、少しはこの規制の意味でも考えた方がいいでしょうね。

「Publicity」が書いていたように、千人規模の協力員が雑誌をチェックして、東京都にチクるシステムまでが現実のものになりつつあって、それでも自分のチンコが何に欲情するかを語って済ませていられるような人たちは、自分のチンコの話だけして飢えて死ねばいいんじゃないでしょうか。

このチクリ・システムが完成すると、すんごいことが起きますよ。例がないわけではありませんが、今まで文字メディアは指定を受けにくかったわけです。数名(雑誌担当はたしか2人だけです)の東京都職員が雑誌を片っ端から資料購入して、その中から有害指定候補を毎月選び出しているのですから、文字ページまでチェックすることは難しかったんですね。

ですから、話題になった本や、見出しではっきりと違法行為について触れているような雑誌記事以外、指定されることはほとんどなかったのです。

ところが、今後は千人の密告者が文字までチェックをしてチクることが可能になってきます。おっそろいですね。

売春を肯定する私の本ももちろんその候補です。裏風俗ものの本やムックも全部成人指定にせざるを得ないでしょう。

アメリカではフェミニストによる性の啓蒙書や性教育の本までが一般書として発売できなくなるケースが出てきているように、あるいは裸婦の絵や彫刻を子どもに見せない美術館が出てきているように、青少年への影響を楯にした性表現の規制は、このまま極限まで進むんでしょうね。現に今の規制をよしとするような人たちは、アメリカを手本にしているんですから。

子どもたちを守ると言いながら、「お医者さんごっこ」をしている子どもたちを告発し、手錠をかけて逮捕するアメリカの今は、数年後の日本の姿です。

そこまで至らずとも、今回の条例によって、自分のチンコにしか興味のない編集者たちの予想を大きく超えた影響が出そうですよ。

週刊ポスト」は条例に先んじてエロ記事排除の方針を発表したため、条例改正の結果を先に見せてくれているようなところがあるわけですけど、聞くところによると、すさまじく部数が低下しているらしい。

数字も聞いたのですが、「そんなことがあるのか」ってくらいの落ち方で、俄には信じられないので、ここに出すのはやめておきます。

週刊ポスト」だからまだいいようなもんで、仮に今現在の「アサ芸」や「週刊大衆」が同じ割合で部数を落としたら、廃刊必至です(あんまり詳しいことは書けないのですが、「アサ芸」が部数を落としてエロページが復活して以降も、元通りにはなってませんから、あの当時と今回ではダメージが全然違います)。

来週になれば、各誌、数字が出ますから、ドキドキしながら待ってましょう。

(中略)

前にお知らせしたかどうか忘れましたが、今まで単発仕事が続いていた「実話ナックルズ」も晴れて連載になりましたし。あんな地味な内容なのに、読者アンケートでは上々の人気とのこと。「実話ナックルズ」も意外にオッサンの読者が多いのかも。

今の号では戦前の実話誌ブームについて取り上げていて、「これから戦争になるぞ」とまでは言いませんが、昭和10年前後の出版状況を「実話誌」という切り口で見た時に、今現在と不思議なくらい似通っていることに気づきます。

エログロナンセンスの時代のあとやってきた実話誌ブームは、例外はあるものの、ざっと5年程度で終焉していて、そのあとは戦時協力する雑誌しか残りませんでした。

さて、今回はどうなるのでしょうか。


▼この「実話ナックルズ」についてはまたの機会に。

「黒子の部屋」「お部屋758●酷暑来る[2004年07月09日]」
http://www.pot.co.jp/matsukuro/20040709_758.html
で、松沢氏は以下のように書いている。


またも表現規制についての原稿依頼がありました。この際なんで、なんでも引き受けますけど、「他に人材いないんか」って不安になってきます。

音楽業界には高橋健太郎、小野島大ピーター・バラカンなどがいますし、エロ漫画業界にも山本夜羽などAMIのメンバーがいるわけですが、それ以外となると、長岡義幸くらいしか私も思い浮かばないです。ライター以外では宮台真司か。いつものメンツ。「Publicity」の竹山君も、もっといろんなメディアで発言していってもいいかもしれない。


▼恐縮である。というのは、こうやって書いていただけると「じゃあこの竹山ってやつにも何か書かせようか」という編集者が出てこないとも限らず、ありがたい話であるが、おそらく期待はずれに終わるだろうから恐縮なのである(T_T)。精進を決意する次第である。


「自由な言論」を発信するメールマガジン
「PUBLICITY」 編集人
竹山 徹朗
E-mail:freespeech21@infoseek.jp
blog:http://takeyama.jugem.cc/