【ねこまたぎ通信】

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 ひどいね

大戦末期に比で生体解剖/元海軍衛生兵が証言

2006/11/25 18:41
http://www.shikoku-np.co.jp/national/social/article.aspx?id=20061125000269


戦時中の生体解剖は旧満州(中国東北地方)の731部隊や九州大病院のケースが知られているが、フィリピンで行ったという証言はこれまでなかったという。
61年余り家族にも言えず、夢に見るなど苦しみ続け、「なぜ今更」と証言に反対する戦友もいたが「このまま埋もれさせては亡くなった人が浮かばれない」と決意。戦争体験の語り部として、悲惨な歴史を伝えていくつもりだ。
牧野さんは海軍の第33警備隊の医務隊に所属。1944年8月、ミンダナオ島サンボアンガ航空基地に配属された。生体解剖が始まったのは同年12月。22歳だった。
「捕虜を連れてこい」。上官の30代の軍医に命じられ、米軍のスパイとして捕まった住民男性2人を連れて行くと「これから解剖する」と告げられた。場所は病院にしていた学校。おびえきった2人に服を脱ぐよう命じ、手足を手術台に縛りつけた。顔に布をかけエーテルをかがせると、数分で意識を失った。
「おれが死んだらおまえが治療をしなくてはならないから」と軍医に言われ、震える手で腹にメスを入れた。「これが肝臓だ」。軍医に示されたが、頭に入らなかった。「命令とはいえ、罪のない者に何とむごいことをしているのか」。心の中でわびた。
手足の切断、血管縫合、開腹手術−。生体解剖は翌45年2月まで続き、女性や子どもを含む約30人が犠牲になった。軍医の「おい、やるぞ」という一言で始まり、息を吹き返すことがないよう最後にロープで首を絞めた。遺体は部下が運び出して埋め、解剖は医務隊だけの秘密にされた。
「命令に逆らえば殺される。そんな時代だった」と牧野さん。45年3月、米軍がミンダナオ島へ上陸。日本兵はジャングルを敗走した。「必死で逃げながら空を見上げたら、真ん丸な月が出ていた。故郷でも見てるのかと思うと、心細くて涙が出た」
牧野さんは数年前から枚方市の小中学校で語り部活動をしている。「生々しすぎ」生体解剖の話はしなかったが「こんな悲惨なことを二度と繰り返してはいけない。1人でも2人でも戦争の真実を伝えていきたい。機会があれば、償いの証言を続ける」と話す。