【ねこまたぎ通信】

Σ(゜◇゜;)  たちぶく~~ Σ(゜◇゜;)

 囚われた教育 Education Under Siege

囚われた教育 Education Under Siege

ダール・ジャマイルの中東速報
2006年11月18日
Dahr Jamail's MidEast Dispatches
http://dahrjamailiraq.com
Inter Press Servic (IPS)
Dahr Jamail and Ali Al-Fadhily


 バグダッド発、11月18日 最近バグダッドで起こっている教育関係者の誘拐事件は占領下イラクにおける教育システムの絶望的な状況を照らしだしている。
 イラク警察の制服を着て武装した男たちが14日、高等教育省から150人ばかりの学術関係者を誘拐した。

 国民議会教育行政委員会のアラア・マッキ委員長はこの事件を「国の破局」と呼び、アビド・ヂアブ・アル・ウジャイリ高等教育相は事態が解明されるまで「バグダッドの全大学における授業は停止されることになる」と発表し、「これ以上、教授陣を失うことはできないからだ」と述べた。

 他の専門家と並んで、学者たちがイラク全土に広がる宗派主義による暴力の標的にされることがますます増えている。何千人もの教授たちと大学の研究者が戦火の国から逃げだし始めてからずいぶんになる。

 バグダッドにある大きな大学の事務局長は匿名(とくめい)を条件に、IPSの記者に次のように話した−−「イラクの大学は民兵と暗殺チームの拠点になってしまった・・・聖職者の肖像と宗派主義者の旗がひるがえっているという問題ではなく、なにかにつけ聖職者とその支持者からの干渉がある」。

 職場に行く日はいつも生命の危険を感じるという大学職員は、「教員と学生を追い出し、特定の教科書を禁止し、決まった制服を強制し、さらには他の宗派に所属する者や彼らのふるまいに反対する者を逮捕したり殺したりする」権限を今や聖職者が握っている」と話した。

 彼は怒りをあらわにして、「治安機関が教員と学生を守るために介入したり、状況を変えようとしたことがないところをみると、私たちの政府はそれらのすべてを許しているみたいだ」と続けた。

 イラクの治安部隊もそれに加わっているか、少なくとも幾つもの大規模な誘拐事件(宗派主義のグループによる犯行と広く信じられている)を見逃していると非難されてきた。少数派であるスンニ派は、誘拐事件の多くは政権についたシーア派政党に所属する武装勢力の犯行であり、彼らは内務省をも掌握していると非難してきた。

 高等教育省は今のところスンニ派の有力政治家がトップに就任している。

 2003年の米軍によるイラク侵攻と占領は、イラクの教育システムを再建し修復するという約束を破って、現在のひどい事態を引き起こしただけではない。

 ユネスコUNESCO国連教育科学文化機構)は1991年の湾岸戦争前に、イラクは中東地域で最良の教育水準を保有していると報告していた。識字率はきわめて高く、小学校の就学率は100%だった。

 サダム政権時代(1979〜2003年)のイラクにおける学校数は、1970年代に義務教育が導入されたことで増加した。無学の絶滅キャンペーンが大々的にとりくまれ、国民は子どもたちを学校に通わせなければならなくなった。

 バース党は宗教に関する履修科目に影響力を持った。さらに、教育行政官と教師は支配政党にすすんで入党し、多くは職の安全のためではあったが、彼らはそれでも科学的にも教師としての資質を認められた者でなければならかった。

 アメリカ主導の占領が始まったとき、特にCPA(占領軍暫定当局)のブレマー行政官が「脱バース党」計画を導入したとき、バース党員であったために大部分の教師と教育行政官が解雇されたり、逮捕され、のちには暗殺チームによって暗殺され、新しい支配政党によって選ばれた者に置き換えられた。それがシーア派根本主義者であった。

 厳しい経済制裁と現在の占領の頂点で、これらの要因がイラクの教育システムを修羅場に追いこむことになった。

 バグダッドの教育監督官はIPSに、「新しく雇われた教師は権力についたイスラム政党のメンバーであるか、仕事を得るために賄賂を支払った者が選ばれる」と匿名で語った。

 彼はバース党に入党したことがなかったので仕事を続けることができた。そして、他にも問題があり、「そのような教師のなかには高齢すぎる者がいたり、不正な卒業証書(民兵を擁する政党から出された)を持ってくる者もいた」と述べた。

 2003年に侵略されたとき米軍機に激しい爆撃を受けた学校の修復に数十億ドルが費やされた。しかしながら、ベクテル社のような外国の契約企業とその下請け会社が請け負った仕事はあまりにお粗末で、国じゅうで何千もの学校が破損状態のままだった。

 ほとんどの金は修理や学校の安っぽい長持ちしない設備の供給に充てられた。

 アブデル・アジズ教育課長は、「学校再建の資金は米国が任命した統治評議会と西側諸国の契約企業のあいだで消えてしまったので、われわれはまだ多くのなすべきことがある」とIPSに語った。「われわれは教育事業を促進するために最善を尽くしているが、学校と教師の力量にも多くの問題を抱えている」。

 一部地域が抱える問題はほかにもあり、それは校舎の別目的での使用である。バグダッドの随所やラマディのような紛争が頻発する地域の住民は、米軍兵士が校舎を戦闘陣地として、特にスナイパー(狙撃兵)の陣地として使っていると苦情を訴える。

 バグダッドイラク南部諸州では、他の学校は民兵および暗殺チームによって使われている。

 今日、治安は教育システムが直面する主要な問題となっている。教師と学生は、このような混沌とした治安情勢のもとでは、自宅と学校の間を移動するのがきわめて危険だとみている。さらに問題を複雑にしているのは、身代金目当ての誘拐の恐怖であり、さらに深刻な問題は暗殺チームに襲われる恐怖である。

 そしてイラク経済の落ち込みが状況をさらに悪化させてきた。

 オマル・ジャシムは、「学校に払う教育費を出せない」とIPSに語った。バグダッド出身で4人の子どもの父親であるジャシムは、「失業中で生活する金さえない。高校への通学バスの代金、子どもたちの衣服費さえも。子どもには学校をやめさせなければならなくなり、家族の食べ物を稼ぐのを手伝わせている」。

 多くの家族が子どもの登校を止めさせる決断をし、そのかわりにクリーニングの手伝いや路上での物乞いとして子どもを働かせるようになった。

 先月、イラクの教育省は350万人の学生のうち30%しか登校してないという統計を発表した。これは前年の半分以下の数字である。前年には、イギリスに本部を置く非政府組織セイブ・ザ・チルドレンによると、75%の出席率だった。

 9月20日に始まった新年度の出席率は、教育省によると最低を記録した。

 教育省によると、2003年3月の米軍侵攻以降では2006年が出席率最悪の年となった。2003年、戦争直前の時期の出席率はほぼ100%だった。

 イラク問題の研究グループであるB・ラッセル法廷によると、占領下で少なくとも270人の学術関係者がこれまでに殺された。