【ねこまたぎ通信】

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 自衛隊の残したもの

撤退後のサマワ自衛隊の残したもの/1(その1) 「贈り物」野ざらし

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/archive/news/2006/10/03/20061003ddm001010005000c.html


陸上自衛隊が2年半駐留したイラク南部ムサンナ県サマワで、日本政府から贈られた大型のアスファルト製造機器類が野ざらしになっている。組み立てられないまま放置された機器は、関係者間の行き違いから復興支援の一部が「空回り」している実態を象徴的に示している。サマワでは、改善しない生活環境に対する住民の不満を吸い上げる形でイスラム教シーア派強硬派が勢力を拡大している。復興支援を通じて自衛隊が刻むはずだった友好の記憶は遠のきつつある。【サマワ小倉孝保、社会部・反田昌平、外信部・草野和彦】


 ◇契約手違い受け取り拒否−−1億円の「アスファルト工場」

 サマワ中心部から車で約10分の砂漠に真新しい機械が姿を現す。長さ十数メートルの金属の塊が酷暑の陽光を照り返す。外務省が「草の根無償資金協力」でサマワ市に提供した機器類だ。契約額約1億円。組み立てれば「アスファルト工場」になる。だが、同市が機種違いを理由に受け取りを拒否し、10カ月間、一度も使われたことがない。
 サマワ市は昨年8月、「イタリア製または他の欧米諸国製の提供」との内容で日本外務省、地元請負業者と契約した。しかし、同年11月に到着したのはアルメニア製だった。「現物を見て驚いた。約束と違うとは思いもよらなかった」。同市のハイダル・アベド・ジャベル民生局長が語る。
 請負業者のナウィール・アムラス社長(35)はアルメニア製への変更を外務省に相談したと主張、「イタリア製だと8カ月も輸入が遅れ、価格も予算を超える」と釈明する。製造機到着の数日後、外務省側は「日本からの贈り物だから受け取ってほしい」と市に説明、契約書の修正を提案した。だが、ジャベル局長は「市は受け取るわけにはいかないとつっぱねた」と話す。
 外務省は業者に契約金全額を支払い済みだ。現場で調整にあたった同省国際協力局無償資金・技術協力課の近藤茂課長補佐は「業者には契約通り納入するよう指導した。欧米製でないアスファルト製造機が届いて市が受け取りを拒んでいるのは不幸だが、イラク人の現地スタッフを通じて受け取るよう働きかけを続けている」と説明している。
  ◇  ◇  ◇
 「宿営地の引き継ぎ式典を準備していたが、私たちにも知らせずに姿を消した。4時間前に裏門から逃げていた」。7月16日の陸自撤退をイラク陸軍幹部が振り返る。地元住民による空調機器などの備品略奪も起きる中、宿営地がイラク陸軍に渡ることに反対する部族関係者ら約30人が同日早朝から正面ゲート前に座り込んでいたため、陸自は裏門を選んだのだ。
 陸自幹部は「混乱を避け安全に出るためだった。式典は行えなかったが、イラク陸軍部隊の到着を待って出発した」と説明する。だが地元住民に祝福されるはずの任務完了は隠密下での引き揚げという結果になった。
 宿営地には高性能の浄水設備や空調機器などの高価な備品があった。生活・社会基盤の再建途上にあるイラクで宿営地は「高根の花」で、現在、「跡地の使用権をイラク陸軍、ムサンナ県、部族が主張している」(イラク陸軍幹部)状態だという。
 ロケット砲の攻撃にも耐える施設を持つ宿営地の特性に配慮し、陸自は譲渡先にはイラク陸軍が適当と判断。ムサンナ県一帯を担当するイラク陸軍部隊が使用することで同県知事の了解を得て引き渡したという。しかし、県知事の秘書は「県は宿営地の使用や備品引き渡しを協議する委員会の設置を自衛隊に求めていたが、突然の撤退で十分に協議することができなかった。撤退は混乱を招いた」と主張する。
  ◇  ◇  ◇
 陸自サマワ撤退を完了して2カ月半。学校修復、給水活動、道路補修など日本による復興支援の現場を歩いた。住民には一定の評価を得ているものの、課題も残した。サマワの今を報告する。
<2面につづく>=次回から2面に掲載
毎日新聞 2006年10月3日 東京朝刊

撤退後のサマワ自衛隊の残したもの/1(その2止) 「役に立たない」発電機

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/archive/news/2006/10/03/20061003ddm002010033000c.html


 ◇背景に弱い行政基盤

 「動かない支援」はイラク南部サマワの砂漠に放置されたアスファルト製造機だけではない。低所得層360世帯が暮らすサマワ市エリアット・サカエア地区の集合住宅群。3階建ての住宅敷地内にフェンスで囲まれた発電機が置かれてから1年以上、ごう音を響かせたことは一度もない。
 「エアコンが要る夏の間、発電機は何の役にも立たなかった。どうして日本はこんな物を贈ったのか」。住民のユセフ・カードムさん(26)が不満をもらす。外務省は昨年6月、ムサンナ県を通じてこの住宅群に発電機9台(契約額約1億4000万円)を供与したが、今では燃料も入れられず、「宝の持ち腐れ」状態が続いている。県が「地元業者が納入した発電機が中古だった」として契約違反で業者を刑事告訴した上、損害賠償を求め民事訴訟を起こしているのだ。
 タヘル・アリ・ハッサン県電力配電局長(51)は「問題の所在は業者にある」としながらも、外務省の業者選定に疑問を投げる。「なぜこの業者を選んだのか。日本が選んだ業者には(今回に限らず)ほとんど経験のない企業もあった。だまそうとする業者が多いことを知るべきだった」
  ◇  ◇  ◇
 復興事業は地元業者との契約に基づいて実施されたが、業者選定を巡っては不満を抱く住民や地元自治体関係者が多い。サマワで建設業を営むハーディ・カルナンさん(71)もその一人だ。「自衛隊に雇われていたイラク人の技師と通訳が選定にあたり大きな力を持っていた。彼らにカネを渡さなければ仕事が取れなかった」と主張する。
 自衛隊幹部は「仕事をまかせる業者は工事の実績などを精査して決めており、偏った業者選定はしていない。自衛隊が手がけた工事は完成時に点検もしており、ずさんなものはない」と説明、「不平は工事が取れなかった業者から出ているのではないか」と推測する。だが、土木業者の一人は「旅券でも何でもイラクで偽造できないものはない。実績を偽るのはたやすい」と反論する。
 セメント製造以外ほとんど産業のないムサンナ県に自衛隊駐留は、かつてない「特需」をもたらした。旧フセイン政権時代には20軒ほどしかなかったサマワの土建業者は今、1000軒以上を数えるという。「日本の仕事を取るために経験のない者が会社を作る例が相次いだのだ」。カルナンさんが指摘する。
  ◇  ◇  ◇
 支援空転の背景には現地行政基盤の弱さがある。ムサンナ県が「中古品」と主張する発電機について外務省は「部品の製造番号などを調査した結果、新品だと考えられる」との立場だ。燃料代などの運転・維持費が予想以上にかかったため、県が「言いがかり」をつけたとみている。
 アスファルト製造機に関しても外務省筋は「責任を取れるサマワ市幹部がいれば問題は大きくならなかった」と語る。旧フセイン政権崩壊後、行政能力の高い旧バース党員が公職追放され、法整備も進まず、政府・自治体の能力に問題が多いのは否定できない。
 だが、イラク側に落ち度があったとしても、支援の恩恵をこうむるはずだった住民の間で「日本への失望」が募るという不幸な結果を招いている。
サマワ小倉孝保、社会部・反田昌平、外信部・草野和彦】=つづく
毎日新聞 2006年10月3日 東京朝刊

撤退後のサマワ自衛隊の残したもの/2 部族に守られ攻められ

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/archive/news/2006/10/04/20061004ddm002010052000c.html


 ◇絶大な影響力との「戦い」

 「オランダ軍に比べ自衛隊は地元の部族に配慮していた。自衛隊を守ったのも、攻撃したのも同じ部族だった」。イラク南部に駐留するオランダ軍と自衛隊の双方の宿営地で通訳として働いた経験を持つ30代のイラク人男性が証言する。
 自衛隊サマワ駐留で有力部族ザイヤード族が所有権を主張する土地(384万平方メートル)を宿営地に使い、年間30万7600ドル(約3300万円)を借地代ではなく「謝礼」名目で支払った。元通訳によると、土地提供の見返りにザイヤード族は宿営地で働く地元スタッフを身内から雇用するよう要求したという。
 防衛庁は「宿営地の土地所有者はイラク政府であり、部族は土地使用者にすぎない」(同庁幹部)との立場だ。陸幕幹部は「宿営地の警備補完のため警備員を雇い、給料を払っていた。雇用に際し身元や犯罪歴の有無を調べた」と認めるが、雇用が特定部族に偏ったかどうかは「部族はいろいろあり分からない」と説明している。
 だが、ザイヤード族のメンバーや宿営地で働いていた通訳は自衛隊が「宿営地内の警備員(約40人)のほぼ全員、運転手(約30人)のほぼ半数をザイヤード族から採用し、宿営地外でも同族メンバーを警備員に雇っていた」と主張する。
 イラク南部は部族社会だ。交通事故や殺人でさえ部族間の話し合いで解決が図られ、警察・司法当局が介入できる余地は少ない。旧フセイン政権崩壊後、バース党の武器が部族に渡り、部族の力が強まったとされる。
 ザイヤード族の中の一派は「荒い」性向で知られ、自衛隊が要求を拒否する度にデモを起こしたという。ムサンナ県警のガーネム・アジズ副本部長は、宿営地を狙った散発的な迫撃砲攻撃も「部族の仕業に違いないが、部族と問題を起こすことはできず、取り締まりは難しかった」と語る。
 自衛隊が撤退した今、ザイヤード族内の数派が宿営地跡地の所有権争いを繰り広げている。
  ◇  ◇  ◇
 復興事業でも部族の圧力があったと業者が指摘する。宿営地周辺のコンクリート壁設置やエアコン納入など自衛隊の契約を受注したある業者は「ザイヤード族に頼むと、次々に仕事が取れた」と明かす。成功報酬として受注額の3割を部族長に手渡したと話す。
 自衛隊幹部は「部族の言いなりにはなっていない」と「部族優遇」を否定する。実際、宿営地で働いていたイラク人は「部族の無理難題を自衛隊は度々、拒否していた」と証言するが、先の業者は「部族の要求を自衛隊が拒否したためコンクリート搬入を阻止されたこともある」と振り返る。
 ザイヤード族の成人男性は約5万人。警察幹部や裁判官の輩出人数でも他部族を寄せ付けず、地元社会での影響力は絶大だ。部族長のサーデク・モタッシャ・ファハドさん(35)は「我々が自衛隊を守った。ここは部族社会。『部族を優遇するな』との批判は非現実的だ」と語る。弟が経営する建設会社はファハドさん宅の周辺道路1・5キロの舗装事業自衛隊から請け負ったという。
 衝突による一人の負傷者も出さず、一発の銃弾も撃たずに帰国した自衛隊。その活動の裏には不慣れな部族社会との「戦い」があった。
サマワイラク南部)で小倉孝保、社会部・反田昌平】=つづく
毎日新聞 2006年10月4日 東京朝刊

撤退後のサマワ自衛隊の残したもの/3 欲しかったのは「電力」

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/archive/news/2006/10/05/20061005ddm002010087000c.html


 サマワ市内を流れるユーフラテス川沿いの歩道「コルニシュ通り」。日没前後から民族服の男性が憩う姿はメソポタミア文明の時代から現代に連綿とつながる悠久の歴史を感じさせる。歩道は日本外務省と陸上自衛隊が共同で補修し、街灯も取り付けた。サマワで最も美しい場所とされ、自衛隊員らが「サマワ青山通り」と呼んだほどだ。
 しかし、住民の目は厳しい。歩道のベンチでセメント技師のアブ・ザメンさん(50)は「私たちの要望とはかけ離れていた。技術力のある日本がどうして歩道の補修なぞしたのか」。折あしく電力不足の影響で街灯の灯が消えた。「電気もないのに街灯を作るなんて」
 こうした不満は珍しくない。自衛隊は荒れていた市内の式典広場を整備したが、植えた芝は今、半分以上が枯れている。「失業者がデモするだけの広場」と形容する住民も。当時、市との調整にあたった陸自幹部は「市の要望通りに芝を植え、スプリンクラーも設置した。塩分を含む川の水だと芝が枯れるので『真水を使うように』と指導もした」と引き渡し後の管理問題を指摘する。
  ◇  ◇  ◇
 自衛隊、外務省の支援対象はイラク側の要望に応じて決まる。日本政府は支援を「発展の基礎作り」と位置付け、道路補修、学校修復などが主体となった。「大規模事業は安全になった後に企業主体で実施する予定」(外務省筋)のためだ。だが、サマワ市幹部は「式典広場整備は最優先事項ではなかった。大規模事業を要求したが断られた」と語り、認識の溝の深さをうかがわせた。
 サマワ評議会のカーシム・ジュベル・アブドルフセイン議長(46)も自衛隊の活動を評価しながらも「私たちが期待したのは巨大事業。特に電力事業が必要だった」と語る。住民も「最も欲しかったのは電気」と口をそろえる。04年夏、デモが頻発したのも失業と電力不足が原因だった。
 夏は日中の気温が50度を超えるサマワ。今でも電力供給は1日あたり6〜10時間だけだ。ムサンナ県電力配電局によると、旧フセイン政権時代に1日80メガワットだった同県の電力消費量は今夏、1日最高200メガワットまではね上がった。住民が衛星テレビやエアコンなどの電化製品を使用するようになったことが深刻な電力不足につながっている。
  ◇  ◇  ◇
 サマワ中心街から南に車で約10分。日本外務省が政府開発援助(ODA)として供与する大型火力発電所の建設現場が姿を現す。ムサンナ県電力局のサアド・ラヒム・サルマン局長と現場に入ると炎天下、約200人が作業にあたっていた。
 地元業者による工事は今年3月に始まった。07年11月に60メガワットの電力供給を目指す。サルマン局長は「電力供給と失業対策という住民の要求にかない、不満改善につながる」と期待を寄せる。「軍服によらない貢献」なのでイスラム教シーア派反米強硬派のサドル師派も支持しているほどだ。
 もっと早く電力不足に対応すべきだったとの意見は自衛隊内にもあったという。陸自幹部は「電力事情の改善は必要と考えていたが、任務は補修や整備で、発電所の新設はできなかった」と語る。自衛隊は任務と現地の要望とのはざまで苦しんでもいた。
サマワイラク南部)で小倉孝保、社会部・反田昌平】=つづく
毎日新聞 2006年10月5日 東京朝刊

撤退後のサマワ自衛隊の残したもの/4 支援が生んだ「地域格差

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/archive/news/2006/10/06/20061006ddm002010010000c.html


 ムサンナ県の県都サマワから東に約30キロのヒドル市。ユーフラテス川の堤防近くに、市内でただ1カ所の浄水場がある。ごう音が響き、川からくみ上げた水を飲料水に変えている。ヒドル浄水局のアブドラ・ハッサン局長(28)は「サマワに比べヒドルは水の環境が悪い」と指摘する。
 ヒドルの人口は約7万6000人。浄水場では1時間に25立方メートルの飲料水を作り出しているが、給水車で農村部に配水する分にしかならない。飲料に適した水を飲めるのは住民の2割。アリ・シャエル・ジョルダ市評議会副議長(32)は「給水を頼もうとサマワの宿営地を訪ねたが、受付で門前払いされた」と話す。
 陸自幹部は「宿営地で浄水した水を県の給水車に積み、ヒドルでも給水活動を行った」と反論するが、サマワでは、自衛隊は市内水道管網や北部ルメイサとむすぶ主要水道管を補修した上、給水にあたるなど手厚い支援を実施していた。
 自衛隊の支援対象はムサンナ県全体だ。しかし、地方での活動は危険が増す。さらに県の要望事業が集中していたため、支援はサマワに重点的に投入された。その結果、ヒドルなど県内他地域の住民から「地域格差」への不満が出ている。
 どんな国際支援も受益者と非受益者の間で格差が生まれる。自衛隊幹部は「すべてを自衛隊でやるのは無理。一部で不満があるのは当然だ。県の要望に応えた結果、地域差が生まれてしまった」と認める。自衛隊を取材した地元テレビのハッサン・ハラワ記者(35)は「自衛隊はできるだけ格差が出ないよう努めていた。サウジアラビア国境の村でも活動していた」と擁護する。
  ◇  ◇  ◇
 イラクでは90年以降の国連制裁の影響で学校の補修予算が削られ、特に南部のシーア派地域はないがしろにされた。イラク戦争(03年)後は学校が略奪され、荒らされた。自衛隊が補修した学校は県内36校。外務省予算で地元業者が修理した分を含めても約100校と県全体(約350校)の3割にとどまった。
 サマワ市で最も歴史のあるイマム・ムーサ・カードム小学校(児童400人)は玄関や便所、天井が老朽化し、2階の窓はすべて壊れている。ファドル・ハスーニ校長(55)は「県に自衛隊による補修を陳情したが、『傷みがひどいため建て替えになり予算が足りない』と聞き入れてもらえなかった」と語る。連日、児童と共に学校の「手当て」に追われる日々だ。
 一方、市中心部のサマワ女子高校では自衛隊が床、壁を塗り替え、教室のドアを修理し、エアコン4台を設置した。ナイマ・マトルド・オムラン校長は「生徒が落ち着いて勉強できるのは自衛隊の活動があったからだ。感謝している」と話す。
 陸自幹部は「修復してもらえなかった学校は不満を持つだろうが、2年半の駐留期間ではモデルケース作りが役割。それが限界だ」と説明する。
 自衛隊撤退前、宿営地周辺で県やサマワ市職員が駐留延長を求めるデモを繰り広げた。「支援格差への不満が残ることへの危惧(きぐ)もあったためだ」(市幹部)という。県民の目には、不満をまんべんなく解消するには自衛隊の駐留規模、期間とも不十分と映った。【サマワとヒドル(イラク・ムサンナ県)で小倉孝保、社会部・反田昌平】=つづく
毎日新聞 2006年10月6日 東京朝刊

撤退後のサマワ自衛隊の残したもの/5止 問われる支援の継続性


 ◇先端機器の維持が課題

 地域拠点病院のサマワ総合病院。眼科医が最新の診察・治療機器で患者の目を診る。機器の横には日の丸と「イラクの未来のために」と書かれたアラビア語のシール。患者が「こんな進んだ治療が受けられるなんて信じられない」と言うと、医師は「自衛隊サマワを(駐留先に)選んでくれたからです」と応えた。
 機器は日本外務省が昨年9月に提供、自衛隊が技術指導したレーザー光凝固装置だ。糖尿病性網膜症などの治療に威力を発揮し、毎月約100人が治療を受ける。イラクではバグダッドにしかなかった。内視鏡や心電図も日本が提供した。ラガブ・カードム院長は「日本の援助でサマワの医療水準は劇的に上がった。バグダッドの医師がうらやむほどだ」と語る。
  ◇  ◇  ◇
 しかし、一部で問題も発生している。7カ月前に同病院検査部に納入された全自動尿分析器は1日平均70〜80人の尿の分析に使われた。しかし納入から4カ月で故障し、それ以来放置されたままだ。レイス・アシュクル検査部長は「自衛隊に修理を頼んだが『次に』と言われた。高度な機器の修理はイラクでは不可能だ」と途方に暮れる。
 陸自で国際貢献などを担当する衛生計画グループの幹部は「代替検査法も伝え、備品も置いてきた」と話す一方、「技術者が育っていない段階では撤退後、問題が出てくることは予期していた。故障しやすい機器のため維持・補修が難しいことは分かっていた」と支援継続の難しさを認める。
 外務省がヒドル市の総合病院に提供した心電計も3機のうち1機は動かない。原因不明で対策の立てようもないという。外務省は「病院長から支援に対する感謝のメッセージを受け取っている。問題があるなら、大使館の地元スタッフを通じて現状把握に努め、維持・管理を徹底するよう病院長に伝える」(無償資金・技術協力課)と追跡調査を約束する。
  ◇  ◇  ◇
 イラクは80年代まで中東の医療先進国だったが、90年からの国連制裁で医療水準が停滞した。「総合病院の検査部でさえ顕微鏡一つしか置いてなかった」(ヒドル総合病院のハイダル・ヤヒヤ院長)ほどだ。サマワ総合病院のカードム院長は「日本から提供された機器は洗練され過ぎていた」と語り、最先端機器と地域医療水準の開きを指摘する。ムサンナ県保健局のファレハ・スカル局長(47)は「訓練が十分でなかった」と残念がる。
 外務省や自衛隊が提供した機器は、ムサンナ県の要求に沿って決められた。しかし、イラク側が医療水準に見合わない最新機器を要求する場合が多く、現地に派遣された医官の一人は「水準に合わせた機器を推薦した」「機器を知っているのと使えるのは雲泥の差。機器を生かす技術者育成が必要になる」と語る。
 検査試液など消耗品の在庫切れも起きている。供給路が確立されていないためだ。各病院は「県に要求しても反応はない」と口をそろえる。衛生計画グループ幹部は「消耗品の補充が課題なのは分かっていた。供給路確保は今後の問題だ」と話す。高性能機器を「飾り物」にしないためどのような支援を継続できるか。自衛隊駐留が終わった今こそ、支援のあり方が問われている。
サマワイラク南部)で小倉孝保、社会部・反田昌平】=おわり
毎日新聞 2006年10月7日 東京朝刊


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