【ねこまたぎ通信】

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 下を見て生きる

同じくル・モンド・ディプロマティークから.

他国を見習えというエリートの口癖

ディプロ2005-10 - L'eternelle quete du modele etranger

1967年当時の議論については、今日のメディア界や実業界の決まり文句(それぞれの違いを整理しようとするのは時間の無駄だ)との関連から、2つの事柄に着目すべきだろう。第1に、「アメリカモデル」の解剖を行なって、他国に移植すれば「デシジョンメーカー」たちに最大の利益をもたらす要素だけを取り出そうとしたというわけではない。その一方で「純粋な模倣プロセスに入る」というのも論外とされた。『アメリカという挑戦』の中で、セルヴァン=シュレベールはほかにも2つ、「モデル」として日本とスウェーデンを検証している。彼はそこで何を発見したのか。「労働力の流動性は、アメリカでは企業効率を決定する要素と考えられているが、日本では極端に抑えられている(・・・)。欧米の経済理論では、この硬直性が進歩と両立するとは考えにくい。日本の産業家の考えはこれとは違う。過去20年間の結果を見れば、日本に関しては彼らの考えが正しかったことになる(12)」
日本の生産現場では、雇用が保障されていたことで、能率を高める新しい技術の導入が進んだ。このほどMEDEF(フランス企業運動)の新会長となったローランス・パリゾが「人生も健康も愛情も、不安定なものだ。労働がこの法則に従わない理由があるだろうか」と言ってみせたのとは反対に、「法則」は経済においてさえ一つとは限らないのである。1967年、自らが提案した業務改善の最初の犠牲者になる心配のない従業員たちは、革新や生産に打ち込んでいた。
近代化と雇用保障が結び付くという今日では非難されている仮説にしたがって、セルヴァン=シュレベールはもう一つの例を提示した。アメリカでも日本でもなく、そのどちらにもまったく似つかない「スウェーデンの経験」である。スウェーデンでは、不平等が発奮材料になるといった認識はなく、税制は非常に累進性が強かった。彼の著作によると、雇用者と被雇用者の平均収入の違いが8%を上回ることはなかった。このスカンディナヴィアモデルの中核は、共同体への帰属意識だった。「スウェーデンの専門家たちは、経済の分野において、不安感が自発性を推進する役割を果たすという考えに反対する。(・・・)労働者があまりに脅かされていると感じれば、自発性を失ってしまうと考えている。(・・・)ほかにもっと効果的な推進力がある。それは企業や公共体への統合志向である。これが社会的地位の上昇志向とセットになって、うまく機能しているのだ(13)」
シュレベールの議論の言葉遣いからまざまざと浮かびあがるのは、労働規制レベルの低い他国モデルを相互に手本と見なす現代の(アメリカ、ヨーロッパ、日本の)経営者の選択が、いまや労働者のあらゆる抵抗から解き放たれた資本主義競争の歯車という以外、いかなる経済上の要請にも由来しないということだ。「常により低いレベルに」という新しい基準が、浸透するにつれて「自然状態」に成り変わっていく。それが高じて、MEDEFの経営者たちが徹底的に推し進めたがっている雇用不安に、パリゾ会長が人間学的な解説をほどこしてみせるありさまだ。
経営者にとって長い間「人件費」は悪夢だった。反賃金戦争でほぼ勝ちを収めた経営者は、今度は「流動性」を主戦場とした。こうして、MEDEFは「タブーを破り、旧套墨守を打ち壊す」ことを期待する。「世界に再び魔法をかける」ために。

某掲示板にて私は,「スキルに見合う賃金が支払われないために,プライドがボロボロになっている人たちが私たちの某業界には少なからずいるなぁ」って書きました.「流動性」に順応できずに「負け組」として生きていくことに疲弊してしまう人たち,あるいは,「勝ち組」をバックアップすることで自分が「勝ち組」に帰属しているという「幻想」を抱いて生きていく人たち,ほとんどの人はそのどっちかしか無いんだよ,確かにどちらにも属さない人と「勝ち組」の人もいることはいるが.
「IQの低い」と揶揄されながらも,現実社会と乖離してドラマやバラエティ(ニュース・政治番組を含む)との共同幻想に自己を置きながら生きているサラリーマン諸君,どうするよ.