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 「米中の狭間で日本は……」/チャルマーズ・ジョンソン [TUP速報] その2

□「米中の狭間で日本は……」/チャルマーズ・ジョンソン [TUP速報] その2

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台湾をめぐる緊張
The Taiwanese Knot

日本は北朝鮮の脅威について多弁であるかもしれないが、日本の再武装の本当のターゲットは中国である。先ほど日本が東アジア国際関係において随一の微妙で危険な係争――台湾問題――に介入したことから、このことが明確になった。日本は1931年に中国を侵略し、それ以来、台湾の植民地宗主国であるのに加え、中国に対する戦時加害国になった。だがアメリカが長年認めてきたとおり、当時でも台湾が中国の一部と見なされていた。未解決のまま残っている問題は、台湾が中国本土に再統合される条件と時期である。1949年の中国内戦終結時に台湾に逃げこんだ(そしてそれ以来、米第7艦隊によって守られてきた)蒋介石の国民党が、ついに87年に島の戒厳令支配を解除したことから、この再統合プロセスはきわめて複雑なものになった。その後、台湾は活気に満ちたデモクラシーを育て、今では、台湾人がみずからの将来に関して多岐に別れる独自の意見を示しはじめている。
2000年に台湾住民は長年にわたった国民党による権力の独占を終わらせ、陳水扁総統が率いる民主進歩党を選挙に勝利させた。(蒋介石の敗残軍の貨物列車に乗って台湾に落ち延びた多数の外省人と明確に区別される)本省人である陳水扁とその党は独立国家たる台湾を唱えている。反対に、国民党、それに同党から分離した有力な外省人政党、ジェームズ・スーン(宋楚瑜)率いる新民党は、台湾が平和裏に中国と統一することを望んでいる。2005年3月7日、ブッシュ政権がジョン・ボルトンをアメリカの国連大使に指名したことで、こうした微妙な関係がさらに複雑になってしまった。ボルトンは自他ともに認める台湾独立の唱導者であり、かつて台湾行政府の有給顧問を務めていた。

2004年5月、勢力が伯仲し激戦になった選挙の結果、陳水扁が再選され、5月20日、台北で挙行された総統就任式に、日本の名うての右翼政治家、石原慎太郎が出席した。(石原は1937年の南京大虐殺は「中国人によるでっちあげ」と信じている) 陳水扁は50.1パーセントの得票という僅差で勝ったが、それでも、独立反対派が分裂選挙になった2000年総統選における彼の得票率33.9パーセントに比べると大躍進だった。ただちに台湾行政院外交部は非公式駐日大使[台北駐日経済文化代表處代表]に許世楷を指名した。許世楷は日本で33年間暮らし、政界と学界の上層部に広範な人脈を築いている。中国は、いかなる形であれ台湾独立に向けた動きは――たとえ2008年北京オリンピック開催を断念し、良好な対米関係を損なうことになっても――「完全に撃破する」と応酬した。

だが台湾人は、アメリカのネオコンや日本の右派の策謀とは対照的に、再統合の時期と条件を巡って中国と交渉する度量を見せた。2004年8月23日、立法院(台湾の議会)は、陳水扁の選挙戦公約に掲げられていた、台湾独立の道筋を付ける憲法改定を阻止するために、採決投票ルールの変更を可決した。この処置は中国との紛争の恐れを著しく緩和した。おそらく、立法院を動かしたのは、シンガポールの新しい首相、リー・シェンロンが8月22日におこなった次のような警告だったのだろう――「台湾が独立に向けて動くなら、シンガポールは承認しない。事実として、アジア諸国で独立を承認する国はないだろう。中国は武力で対抗するだろう。勝っても負けても、台湾は荒廃する」

次の重要な節目は、2004年12月11日の立法院選挙だった。陳水扁総統は選挙戦を独立方針に対する住民投票に位置づけ、改革を推進する権限を与えるように訴えた。ところが与党は決定的な敗北をこうむる。立法院225議席のうち、野党側の国民党と新民党とは合わせて114議席を獲得し、陳水扁民進党とその連立党派が得たのは101議席にとどまった。(10議席は無所属候補が占める) 民進党の89議席に対し79議席を確保した国民党の総裁、連戦は「今日、われわれはこの地域の安定を望む住民の総意をきわめて明確に見た」と語った。

陳水扁による議会支配権掌握の失敗は、アメリカから196億ドル規模の兵器を購入する提案の実現可能性が消えることをも意味する。この取引には誘導ミサイル駆逐艦、P3対潜哨戒機、ディーゼル推進潜水艦、改良型パトリオットPAC対ミサイル防衛システムが含まれていた。国民党員たちや宋楚瑜の支持者たちは、購入価格があまりにも高額であり、そのほとんどが、2001年以来、売り込みを図ってきたブッシュ政権に対する経済的譲歩であると見なしている。また彼らは、兵器が台湾の安全保障を改善するのではないと信じている。

2004年12月27日、大陸中国は国防政策目標を掲げる5回目の国防白書を発表した。長年にわたり中国を観測してきたロバート・ベデスキは、次のように記す――「この国防白書を一見しただけでは、領土主権を掲げる強硬路線の表明であり、分離、独立、あるいは分割に結びつくいかなる動きも容認しないという中国の決意を強調している。だが次の段落が……台湾海峡の緊張を緩和する意志をうかがわせている。台湾当局一つの中国の原則を受け入れ、“台湾独立”をめざす分離主義的な行動を慎むなら、両者間の敵対状態を公的に終結させるための両岸対話をいつでもおこなうことができる」

台湾人たちも白書のメッセージをベデスキの見解と同じように読みとっているようだ。2005年2月24日、陳水扁総統は、2000年10月以来初めて新民党主席・宋楚瑜に会った。二人の党首は、対大陸関係をめぐる意見が180度対立するにもかかわらず、10項目の合意に達し、共同声明にまとめて署名した。両首脳は、台湾海峡両岸の全面的な交通と通商の連携、貿易の拡大、台湾の広範な民間事業部門による大陸投資に対する禁制の緩和を約束した。大陸はただちに好意的な反応を示した。驚いたことに、陳水扁は「台湾の2300万同胞が受け入れるなら、台湾が最終的に中国と再統合するのをわたしは妨げない」と発言した。

アメリカと日本が中国や台湾の自由意志に任せておけば、中国と台湾が暫定的な合意に達することもありうるようだ。台湾はすでに約1500億ドル規模の投資を大陸に対しておこない、両者の経済は日毎に統合を深めている。人口が13億、国土面積が約9600万平方キロメートル、経済規模が1兆4000億ドルに達し、しかも急成長をつづけ、東アジアの盟主になろうとしている国に隣接しながら、独立した中国語圏国家として暮らすのは非常に難しいという認識が台湾で高まり、広がりつつあるようだ。台湾は独立を宣言するのではなく、旧フランス領カナダにどこか似かよった地位――もっとゆるやかな形で中央政府の名目的な統治権の傘下にありながら、別個の制度、法制、慣習を維持する中国のケベック行政区といった位置づけ――を求めようとするのかもしれない。

大陸にしても、何よりも2008年北京オリンピック開催の前に再統合が達成されるなら、おそらくこの構想を受け入れ、おおいに安堵することだろう。中国は来るべき北京オリンピックに巨額の投資をしたので、大会開催の一ヵ月か二ヵ月前なら、よもや武力に訴えることはないだろうと台湾の急進派たちが考え、そのころに独立を宣言する狙いがあるのではないかと中国は恐れている。だが、このような事態に武力行使に踏み切らないとすれば、中国共産党は国家の統合を阻害したという声が高まり、国内の革命を招くので、中国としては戦争以外に取るべき道はないだろうと、たいていの観測筋は信じている。

中米関係ならびに中日関係は急速に悪化する
Sino-American and Sino-Japanese Relations Spiral Downward

友好的であっても敵対的であっても、アメリカの競争相手になる勢力圏の出現の動きがあれば、全力をあげてこれを阻止しなければならないというのが、長年のネオコン信条の眼目(がんもく)にある。このことは、ソ連崩壊の後、ネオコンが次の仮想敵のひとつとして中国に目を向けたことを意味する。2001年にネオコンが権力の座につくと、多数の核兵器の照準がロシアから中国に振り向けられた。彼らはまた、台湾防衛をめぐり、台湾の高官レベル当局者たちと定期的な会談を開始し、アジア=太平洋地域への軍部隊と軍備の移動を命令し、日本に対し再軍備の推進を精力的に働きかけた。

2001年4月1日、米海軍のEP3Eアリエシ2電子偵察機が中国南部の沖合で中国のジェット戦闘機と空中衝突した。米海軍機は、中国のレーダー防空網を挑発し、中国が採用している迎撃機発進用の通信方式を記録する任務についていた。中国のジェット機は墜落、パイロットが落命したが、米海軍機の方は海南島に無事着陸、乗員たちは中国当局に手厚くもてなされた。

中国にとって最も重要な投資者の多くがアメリカに本拠を構えているので、中国としては、直接対決が得策でないことはすぐに分かった。だが、挑発行為を前に卑屈な態度で出れば、国内で強力な批判を招くことが不可避なので、スパイ機の乗員たちを即座に還すわけにもいかなかった。だから中国は、アメリカが中国領空の間際で中国軍パイロットの死を招き、米海軍機が中国軍の飛行場に無許可で着陸したとして形だけの謝罪をするまで11日間待った。一方のアメリカでは、マスメディアが乗員を“人質”と決めつけ、縁者たちが近隣の木々に黄色いリボンを結ぶようにけしかけ、大統領は乗員を解放するために“第一級の仕事”をしたと称え、中国を“国家統制報道”のゆえに果てしなく批判していた。もっとも、アメリカが国土周辺に領海範囲をはるかに超える200マイル防空圏を設定していることには言及を慎重に避けてはいたが。

ブッシュ大統領は、2001年4月21日、全国テレビ番組のインタビューで、台湾防衛のために中国に対して「米軍の全力」を投入するかと質問された。大統領は「台湾の自己防衛を助けるために、必要なことは何でもします」と応じた。中国が“対テロ戦争”に熱心に参画し、大統領とネオコンが“悪の枢軸”に夢中になり、イラクに戦争を仕掛けるきっかけになった9・11が勃発するまで、これがアメリカの方針だった。同時に、アメリカと中国は緊密な経済関係を享受してもいて、共和党の大企業翼賛派はこれを危険にさらしたくなかった。

だから、中東はネオコンの対アジア政策よりも優先度が高かった。アメリカが気を散らしているうちに、中国は4年近くビジネスに精を出し、アジア最強チームにして潜在的なアジア経済統合の要として浮上してきた。急速に工業化する中国はまた、石油、その他の原材料に対する貪欲な需要を生みだし、世界の二大輸入国たるアメリカや日本と直接競争するようになった。

2004年夏には、ブッシュの戦略家たちはイラクに気を取られながらも、中国の成長力と、東アジアにおけるアメリカの覇権に挑戦する潜在力とにふたたび警戒感を募らせるようになった。ニューヨークにおける8月の共和党大会で発表された政治綱領に「アメリカは台湾の自己防衛を支援する」と謳われた。その夏、米海軍も「夏日脈動作戦2004」と称する演習を実施し、これにアメリカの12空母攻撃群のうち7群を同時に投入した。アメリカの一個空母攻撃群は、空母(通常、9または10飛行編隊からなる計85機の航空機を搭載)1、誘導ミサイル巡洋艦1、誘導ミサイル駆逐艦2、攻撃潜水艦1、弾薬・燃料複合補給船1で編成されている。このような大艦隊を一度に7つも動かすのは前代未聞――そして非常に高くつくもの――だった。太平洋に派遣されたのは3空母攻撃群のみであり、一時に台湾周辺を巡航していたのは1艦隊だけだったにしても、中国にすれば、これは19世紀の砲艦外交の復活を意図したもの、しかも自国を標的としているとして非常に警戒することになった。

台湾住民たちはアメリカのこのような示威行動に煽られ、さらに台湾の12月選挙を前にした陳水扁の論客たちに過剰に刺激されたようだ。10月26日、北京で、コリン・パウエル国務長官は記者団を前に次のように声明し、事態の沈静化を図った――「台湾は独立国ではない。台湾は国家としての主権を享受せず、それが今でもわが国の方針であり、わが国の確固とした政策である……わが国は、すべての関係者が望む最終結果、すなわち再統一を損なうような一方的な行動を双方が慎むように望んでいる」

パウエルの声明は明解であるように見受けられたが、はたしてご本人がブッシュ政権内部でいかほどの影響力を持つのか、またチェイニー副大統領やドナルド・ラムズフェルド国防長官を代弁して語ることができるのかどうかについて、ぬぐいきれない疑問が残った。2005年初めの連邦議会において、CIAの新任長官ポーター・ゴス、ラムズフェルド国防長官、国防省諜報庁長官のローウェル・ジャコビー海軍大将がこぞって、中国の軍事近代化は以前の予測よりも迅速に進んでいると発言した。「4ヵ年国防計画見なおし」は4年ごとに発表される公式なアメリカ軍事政策評価報告であるが、2005年版は、中国の脅威について2001年に示された概要に比べて、もっと厳しい見通しを語るものになるだろうと彼らは警告した。

このような状況において、ブッシュ政権は、おそらく11月2日選挙の結果や国務省トップのコリン・パウエルからコンドリーザ・ライスへの首のすげ替えに勢いづいたのだろうが、危険きわまりないカードを切った。同政権は2005年2月19日ワシントンにおいて日本との間に新たな軍事合意を結んだ。日本が、史上始めて台湾海峡の安全保障を“共通戦略目標”としてブッシュ政権と認識を共有することになったのである。中国指導部にとって、日本が台湾海峡に介入する権利を主張し、60年にわたった公的な平和主義を惜しげなく捨て去るとあからさまに示すこと以上に危険な徴候はない。

近い将来、台湾そのものは、もっと直接的な中日間対決に押され、重要度において影が薄くなることもありうる。このような事態は不吉な状況になるだろうし、アメリカは、それを煽りたてた責任がありながら、まったく制御できなくなるだろう。中日間の暴発を招く種火は久しい前から用意されている。なんと言っても、第二次世界大戦中、日本は東アジア全域で――ナチスの手にかかったロシア人の信じられないような死者数よりも多い――約2300万人の中国人を殺害しながら、いまだに償いを拒み、自国の歴史的な戦争犯罪すら認めていないのだ。

小泉純一郎は、2001年に日本国総理大臣に就任すると――中国人にとって痛ましい――象徴的行為として、初めて東京の靖国神社に参拝し、以後毎年、繰り返している。小泉は外国人たちに向かって日本の戦死者を敬っているだけであると言うのが好きである。しかし、靖国は軍用墓地あるいは戦争記念物どころではない。この神社は、日本の王政復古のための戦闘で失われた命を追悼するための神道の神社として、1891年に明治天皇によって建立された(もっとも、鳥居は伝統的な赤塗りの木のものではなく鋼鉄製だが)。第二次世界大戦中、日本の軍国主義者たちが神社を掌握し、愛国・国粋主義心情を鼓舞する目的に用いた。現在、靖国神社は、1853年からこのかた国内外でおこなわれた国家による戦争で亡くなった約240万人の日本人を祭っていると言われている。

1978年、連合軍により戦争犯罪者として絞首刑に処せられた東条英機将軍、その他6名の戦時指導者たちが、明かされないままの理由により靖国神社に合祀された。同神社の現在の宮司は「勝者が敗者を裁いた」と唱え、彼らが戦犯であることを否定している。神社境内の博物館に三菱ゼロ型52戦闘機が展示され、中華民国の戦時首都だった重慶で1940年に初陣を飾ったという説明板が付されている。2004年アジア杯サッカーのファイナル戦がおこなわれたとき、重慶で中国人観衆たちが日本国歌の斉唱にブーイングを浴びせたのも、偶発的なできごとではなかったのは疑う余地がない。靖国の指導者たちはいつも皇室との緊密な繋がりを主張してきたが、前の天皇裕仁が最後に靖国を訪れたのは1975年のことであり、明仁天皇はまだ行っていない。

中国人たちは、日本国総理大臣の靖国詣でを、たぶん仮装パーティで見られた英国ハリー王子のナチス親衛隊姿にもどこか似たような侮辱行為として見ている。それでも、昨今、北京は東京の顔を立ててきた。中国の胡錦濤主席は、河野洋平衆議院議長が2004年9月に中国を訪問したさい、彼のために赤絨毯を広げた。胡錦濤は、中国外交部内の穏健派重鎮、王毅を駐日大使に指名した。彼はまた、双方が排他的経済権益を主張する海域における可採石油資源の共同開発を提案した。このようなすべての意思表示は、あくまでも靖国参拝を続けると主張する小泉に無視された。

事態は、2004年11月に開かれた重要な二つの首脳会議、すなわちアジア太平洋経済協力会議(APEC)のサンチャゴ(チリ)会合、およびそれに続く東南アジア諸国連合ASEAN)に中国、日本、韓国の首脳たちを加えたビエンチャンラオス)会議の場で土壇場に達した。サンチャゴで胡錦濤はじかに小泉に会って、中日友好のために靖国参拝を止めるように要請した。これに対する返答であるかのように、小泉はビエンチャンで中国の温家宝首相をわざわざ侮辱するようなことをした。温家宝に対し、小泉は「(中国は日本の対外援助の対象国の立場から)そろそろ卒業すべき時だ」と語り、25年にわたる経済援助計画を一方的に打ち切る日本の意向を示した。“卒業”という言葉は、日本が生徒である中国を指導する教師を自認しているという侮辱的な意味合いをも伝えている。

続けて小泉が、中国との関係を正常化するために日本が払った努力の経緯について子どもじみた演説をぶつと、温家宝首相は「中日戦争で何人の中国人が死亡したのかご存知ですか?」と応じた。温家宝はさらに、日本の外国援助など、中国としては必要なかったと言い、戦争中に日本が中国にもたらした被害に対する賠償の代わりに受け取る支払いであると中国は常に見なしてきたと示唆した。中国は日本に賠償を一度も要求しなかったし、日本の支払額は25年間で300億ドルになるが、ドイツがナチスによる暴虐行為の犠牲者に支払った800億ドルに比べ、また日本が人口でも経済規模でもずっと強大であるにもかかわらず、ほんの断片にすぎないと彼は指摘した。

2004年11月10日、日本海軍が沖縄近辺の日本領海内で中国の原子力潜水艦を発見した。中国が謝罪し、潜水艦の侵入を“過ち”と認めたにもかかわらず、大野防衛庁長官は侵犯事件を大々的に宣伝し、日本国民の反中国感情を煽った。この時以来、北京と東京の関係は着実に悪化しはじめ、日米が台湾は両国共通の軍事的関心事であると表明するにおよび行きつくところまで行って、これに対して中国は“醜態”と糾弾した。

時間がたてば、この関係悪化は日米両国、とりわけ日本の国益を損なうと分かることになるだろう。中国が直接的に報復するのは想像しがたいことだが、起こったことを忘れるというのはそれ以上に考えられない――それに、中国は日本に対して強大な影響力を振るえるのである。なんと言っても、日本の繁栄は中国との結びつきにますます依存しつつある。この場合、反対もまた真なりと言うわけにはいかない。おおかたの想像とは裏腹に、日本の対中輸出は2001年から04年にかけて70パーセント跳ねあがり、失速気味の日本経済の回復のための主要な推進力になっている。約1万8000社の日系企業が中国で操業している。日本は、海外の大学に留学する中国人学生の行き先国として、03年にアメリカを追いぬき、世界第一位になった。現在、アメリカの大学で約6万5000人の中国人学生が学んでいるのに比べて、日本では約7万人が在学している。アメリカと日本がこの地域の軍事化を追求すれば、このように緊密であり利益になる関係が危険にさらされることになる。

多極化する世界
A Multipolar World

タイム誌のトニー・キャロンは次のように述べる――「世界各地で新しい通商の絆(きずな)と戦略的協調関係がアメリカの周辺に形成されつつある。中国はアジア太平洋経済協力会議(APEC)の主導的役割の担い手としてアメリカに取って代わるにとどまらず、ラテンアメリカの大国のいくつかの主要貿易相手国として急速に台頭しつつある……フランスの外交政策の策定者たちは、冷戦後世界における『多極体制』の目標、言い換えれば、アメリカを唯一の超大国とする『単極体制』に代わる、多くの異なる、たがいに競争する勢力圏の存在を長年にわたり求めてきた。多極体制はもはや単なる戦略目標ではない。これは姿を見せつつある現実なのだ」

多極体制と、それを推進する中国の突出した役割とを示す徴候は容易に見つかる。イラン、欧州連合ラテンアメリカ東南アジア諸国連合に対する中国の関係が拡大していることに注目するだけでじゅうぶんである。イランはサウジアラビアに次ぐ第2位のOPEC加盟石油産出国であり、主要貿易相手国である日本との長年にわたる友好関係を維持してきた。(イランからの日本の輸入の98パーセントは石油) 2004年2月18日、日本の企業連合がイラン政府と協定書を交わし、世界最大規模の原油埋蔵量を持つ同国のアザデガン油田を28億ドル相当の事業計画で共同開発することになった。アメリカは日本によるイラン支援に反対し、ブラッド・シャーマン下院議員(民主、カリフォルニア)をして、小泉が日本の550人規模の部隊をイラクに派兵し、同地におけるアメリカの戦争に対する国際支援を粉飾してくれたので、見返りにブッシュは日本・イラン間取引を認めていると非難させた。

だが、長期にわたったイランと日本の提携関係は2004年末になって変わりはじめた。10月28日、中国の石油メジャー、シノペック(Sinopec)グループがイランとの間に巨大なヤダバラン天然ガス田を開発する700億ドルないし1000億ドル規模の契約を結んだ。中国は25年間にわたり2億5000万トンの液化天然ガス(LNG)をイランから購入することに合意した。イランにとって、これは1996年以来最大の外国との取引契約であり、余禄として、LNGを中国の港に運ぶ船舶を数多く建造するための中国からの援助など、いくつかの特典が付いてくることになる。イランはまた、中国に今後25年間にわたり日量15万バレルの原油を市場価格で輸出すると表明した。

イランの石油相ビジャン・ザンガネが北京を訪問したさい、イランは中国にとって最大の外国産石油の供給国であると指摘し、同国は中国の長期的な事業パートナーであることを望んでいると発言した。彼は、イランは日本に替えて中国を石油とガスの最大の顧客にする意向であると中国ビジネス週報誌に語った。理由は明白で、イランに対し原子力開発計画を断念させようとするアメリカの圧力、それにイランを国連安全保障理事会に引き出して制裁発動の動議にかけるとブッシュ政権が広言する方針(どっちみち中国が拒否権を発動するだろうが)である。2004年11月6日、中国の李肇星(リー・チャオシン)外相テヘランを珍しく訪問した。李肇星は、イランのモハマド・ハタミ大統領との会談にさいし、アメリカが安全保障理事会でイランに制裁をかけるためにどのように動いても、間違いなく中国は拒否権発動を考慮することになると発言した。アメリカはまた、中国が核・ミサイル技術をイランに売却したとして非難したこともある。

すでに2003年に中国とイランは40億ドルの双方向取引を記録している。このなかには、中国によるテヘランの地下鉄第一期工事の施工と第二期延伸工事の8億3600万ドル相当の請負契約といった事業がある。延長30キロメートルの空港アクセス鉄道路線など、他の4路線の受注競争でも、中国は先頭を走ることになるだろう。2003年2月、中国第8位の自動車メーカー、チェリー・オートモビル社が同社初の海外製造工場をイランに開設した。現在、同社はイラン北東部で年間3万台のチェリー車を生産している。北京はまた、イランとカスピ海北部を結ぶ380キロメートルのパイプラインを建設する契約を交渉していて、これは中国が2004年10月に建設を始めたカザフスタン=新疆(シンチアン)間長距離パイプラインと連結されることになる。カザフ・パイプラインは年間1000万トンの石油を中国に送る輸送能力を備えている。アメリカが恫喝と喧嘩腰でかかっても、イランは孤立するどころの話ではない。

中国にとって、EUは最大の貿易相手経済圏であり、EUにとって、中国は(アメリカに次ぐ)世界第二の貿易相手国である。かつて1989年、EUは北京の天安門広場における民主化運動のデモ行動参加者たちに対する弾圧に抗議して、中国への武器売却を禁止した。このような扱いを受けた他の国ぐには、ビルマスーダンジンバブエといった、真の意味で国際社会の除け者国家だけである。北朝鮮でさえヨーロッパの公式な武器禁輸の対象になっていない。1989年以来、中国の指導部が何回か交替したことを考慮し、また友好の意思表示として、EUは武器禁輸の解除の意志を表明した。フランス大統領ジャック・シラクは、アメリカの覇権に替えて“多極世界”を実現する構想の最右翼の提唱者である。シラクは、2004年10月に北京を訪問したさい、中国とフランスは“共通の世界見通し”を共有し、武器禁輸の解除は「画期的な節目、アメリカ、中国それぞれの戦略上の権益のどちらかをヨーロッパが選ばなければならない瞬間になり――そして中国を選ぶ時になるだろう」と発言した。

ブッシュは、2005年2月の西ヨーロッパ巡歴にさいし、「わが国には、武器移転は中国への技術移転であり、これが中国と台湾の関係のバランスを変えることになるのではという深い懸念がある」と繰り返し語った。2月初めには、アメリカの下院が想定されるEUの動きに対する非難決議案を411対3の票決で採択していた。ヨーロッパと中国の人たちは、ブッシュ政権は事柄をことさらに誇張して言いたてているのであり、勢力バランスを動かしうるような兵器は関係していないし、EUは中国から大規模な新規防衛関連契約を得ようとしているのではなく、全般的な相互経済関係の強化を目指しているのだと主張している。ブッシュのヨーロッパ歴訪の直後、EUの通商担当委員ピーター・マンデルソンが初の公式訪問として北京に到着した。訪中の目的は中国とヨーロッパの戦略的協調関係の創出の必要性を強調することだ、とマンデルソンは述べた。

ワシントンは、中国が手強い軍事的脅威であると決めつける諜報部局報告を次から次へと公開して、その強硬姿勢を支えてきた。この諜報たるや、政治的に利用されていてもいなくても、中国の軍事力近代化は、戦争となればおそらく台湾海峡に投入されることになる米海軍の一個空母攻撃群にまさしく対抗する狙いがあると言いたてる。中国は、原子力潜水艦の大艦隊を編成しつつあるのは確かだし、米軍に制御されない衛星測地航法システムを構築することをめざすEUのガリレオ計画の意欲的な参加国である。米国防総省は、北京がガリレオ関連技術を対衛星攻撃に使用するのではと懸念している。アメリカの軍事アナリストたちはまた、中国が2003年10月15日に宇宙飛行士1名を乗せた宇宙船を打ち上げ、翌日、無事に地上に帰還させたことに注目している。それまでは、人間を宇宙空間に送り出したのは、旧ソ連とアメリカだけだった。

中国はすでに500ないし550発の短距離弾道ミサイルを台湾の対岸地域に配備し、中国本土に対するアメリカのミサイル攻撃を抑止するために、射程距離1万3000キロメートルの大陸間弾道ミサイルCSS4を24基保有している。アメリカに本拠を置く安全保障研究所の研究員リチャード・フィシャーは「たった今、中国が配備している軍部隊はアメリカの一個空母戦闘群に対処してあまりある」と言う。ペンシルベニア大学の国際関係論の教授アーサー・ローダーも同じ見方をしている。ローダーは、中国軍は「アメリカ合州国と戦うことを特に想定して構築されたものとしては、世界で唯一の存在である」と語る。

アメリカは、あきらかに中国軍の能力を頭から振り払うことはできないだろうが、中国がブッシュ政権がもたらす脅威に対抗する以上のことを狙う目論見を示す証拠は握っていない。中国は、台湾とアメリカが中国から台湾を分離させようとする意図を封じることにより、台湾およびアメリカとの戦争を回避する方策を探っている。こうした理由により、2005年3月、中国の形式上の立法機関、全国人民代表者会議は、中国からの分離を非合法とし、地方が国家から離脱する動きがある場合の武力行使を正当化する法律を採択した。

日本政府は、中国は地域全体にとって軍事的脅威になっているとするアメリカの立場をもちろん支持している。だが、イラクのこととなればアメリカの忠実な仲間であるジョン・ハワードが率いるオーストラリア政府に目を向けると、おもしろいことに、ヨーロッパの対中国武器禁輸の解除の件に関してブッシュに背く覚悟でいる。オーストラリアは中国との良好な関係を重要視し、両国間の自由貿易協定の交渉を望んでいる。したがってキャンベラは、15年間続いた禁輸を解除する件に関してEUを支持している。シラクとドイツのゲアハルト・シュレーダー首相は口を揃えて「解除は実現する」と言う。

アメリカは、ラテンアメリカは自分たちの“勢力圏”であると久しく明言してきたし、このため、たいていの海外諸国はこの地域で事業に関わるのに石橋を叩いて渡る思いをしてきた。しかし中国はワシントンの意向におかまいなく、経済の急成長を賄う燃料・鉱物資源を求めて、多くのラテンアメリカ諸国をおおっぴらに口説いている。2004年11月15日、胡錦濤主席は、ブラジルの対中国輸出および中国の対ブラジル投資の拡大を目的とする12件の協定に署名して、5日間にわたったブラジル訪問を終えた。その協定のひとつのもとで、ブラジルは年間8億ドル相当もの牛肉および家禽類を中国に輸出することになる。見返りに、中国は、リオデジャネイロ=バイア間パイプライン計画の技術調査が終わりしだい、同計画に13億ドルの融資をおこなうことをブラジル国営石油企業と合意した。中国とブラジルはまた、両国間貿易額を2004年の100億ドルから07年には200億ドルに引き上げるという目標を掲げて、“戦略的提携関係”を結んだ。胡錦濤主席は、この提携関係は「発展途上諸国に有利に働く新しい国際政治秩序」を象徴すると語った。

中国は、その後の数週間内に、アルゼンチン、ベネズエラボリビア、チリ、キューバと重要な投資・貿易協定を締結した。特に注目すべきことに、2004年12月、ベネズエラユゴーチャベス大統領が中国を訪問し、ベネズエラの石油埋蔵地の広範な開発権益を中国に認めることに合意した。ベネズエラは世界第5位の石油輸出国であり、通常では石油生産量の約60パーセントをアメリカに販売しているが、新たな協定のもと、中国はベネズエラ東部15ヵ所の潤沢な油田を利用することを許されることになる。中国は石油採掘に3億5000万ドル、さらに天然ガス田のために6000万ドルを投資することになる。

中国はまた、東アジアの中小諸国をある種の経済・政治共同体に統合しようと努めている。そのような提携が達成されるなら、地域におけるアメリカと日本の影響力を間違いなく侵食するだろう。2004年11月、ASEAN、つまり東南アジア諸国連合を構成する10の国ぐに(ブルネイビルマカンボジアインドネシアラオス、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム)が、中国、日本、韓国の首脳たちの参加を得て、ラオスの首都ビエンチャンに集まった。アメリカは招かれず、日本の高官たちは居心地悪そうだった。会議の目的は、“東アジア共同体”の創出に着手するために、東アジア首脳会合を2005年11月に開催する計画を練ることだった。2004年12月には、ASEAN諸国と中国は2010年までにこれらの国ぐにの自由貿易圏を創出することに合意していた。

ワシントン・ポストのエドワード・コディによれば、「中国・ASEAN10ヵ国間の貿易は、1990年以来、年に20パーセントの率で増大し、この伸び率はここ数年のあいだ勢いを増している」。この取引額は2003年に782億ドルに達し、2004年末には約1000億ドルになると伝えらた。日本の古参格の政治解説者、船橋洋一も言うように、「(東アジアでは)世界全体に対する貿易額に占める地域内取引額の比率は2002年時点で52パーセント近くになっていた。この数値はEUの62パーセントよりも低いが、NAFTA(北米自由貿易協定)の46パーセントを上回っている。したがって、貿易に関して言えば、東アジアはアメリカへの依存度を減らしている」

中国は、こうした動きを促進する主導的な原動力である。船橋洋一によれば、中国首脳部は、国家の爆発的な経済成長力と、地域内取引相手国との強力になる一方の結びつきとをを用いて、東アジアでアメリカを周辺に追いやり、日本を孤立させようと計画している。1997年の東アジア金融危機は主としてアメリカが原因を作ったものなのに、これに対して、アメリカが了見の狭いイデオロギー的な行動をとったおかげで、地域内で不信を買ったが、アメリカはその深刻さを過小評価していると彼は論じる。2004年11月30日、米国務省の政策立案部局の高官マイケル・ライスが東京で次のように語った――「アメリカは、西太平洋の一勢力として東アジアに関心を持っている。この地域の話し合いと協力の枠組みからアメリカを除外するどのような計画もアメリカは快く思わないだろう」。だが、とりわけアメリカの経済・金融力の地盤低下のために、ブッシュ政権が中国主導の東アジア経済圏の登場を遅らせる以上のことをするには、おそらくすでに手遅れである。

日本にとっては、さらに厄介な選択になる。東アジアにおける中国=日本間反目関係は長い歴史を有し、いつも悲惨な結果を招いてきた。第二次世界大戦前、中国事情に関して日本で最も影響力のある著述者に数えられた尾崎秀美[おざきほつみ。近衛内閣ブレーン、ゾルゲ事件に関与]は、日本が中国革命を認めるのを拒み、戦争をもって対応するなら、中国の民衆を先鋭化させるだけであり、中国共産党による権力の掌握に貢献することになると、予言するがごとき警告を発した。彼は、「どうして中国革命の成功が日本の不都合になるのか?」という問に命を捧げた。1944年に日本政府は尾崎を売国奴として絞首刑に処したが、彼の問は今でも1930年代末期と変わらず適切である。

どうして中国が富める成功国として台頭するのが日本やアメリカの不都合になるのだろう? このような成り行きに対する最も無思慮なやり方は、武力で押し留めようとすることであると歴史が教えている。香港の警句に言われているように、中国は2世紀のあいだ嫌な思いをしてきたばかりだが、今、表舞台に躍りでる。世界は中国の正当な要求に平和裏に適応しなければならない――その一環として、他国は台湾問題を軍事化しないこと――一方、中国が地域に理不尽な意志を押しつけようとすれば、抑えるのは当然。東アジアの動向を見れば、残念なことに、この前の中国=日本間紛争の再来を目撃することになるようだ。もっとも、今回はアメリカは勝つ側にいそうにもない。

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参照文献の出所および参考文献は、「日本政策研究所」サイト掲載原文に表示。
http://www.jpri.org/publications/workingpapers/wp105.html
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【筆者】チャルマーズ・ジョンソン
日本政策研究所(the Japan Policy Research Institute, カリフォルニア州)代表として旺盛な執筆活動。一九六二〜九二年、カリフォルニア大学でアジア政治の研究・教育。「帝国シリーズ三部作」のうち既刊2著作――『アメリカ帝国への報復』(鈴木主税訳・集英社刊)、『アメリカ帝国の悲劇』 (村上和久訳・文藝春秋刊)。 目下、シリーズ3冊目を執筆中。
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【原文】Tomgram:
No Longer the "Lone" Superpower -- Coming to Terms with China
By Chalmers Johnson
TomDispatch site, posted March 15, 2005
http://www.tomdispatch.com/index.mhtml?emx=x&pid=2259
Copyright 2005 Chalmers Johnson
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【翻訳】井上 利男 /TUP

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