【ねこまたぎ通信】

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占領は超大国の限界を照らし出す

☆★ 占領は超大国の限界を照らし出す

Occupation highlights superpower limits
アジア・タイムス 4月20日  (意見 byヘンリー・リュウ

http://atimes.com/atimes/Middle_East/FD20Ak01.html
                         (英字報道から抄訳)
 1990年代初頭にソ連邦が崩壊したあと、アメリカ合衆国は最も裕福な経済力と最強の軍事力をもって生き残る世界唯一の超大国となった。アメリカの大統領府は世界最強の政治オフィスであり、またたくまに世界のどこにでも圧倒的な軍事力を投入する直接権限を持ち、それは合衆国憲法に定められて議会からの制約を受けなくてもよいのである。

 それはあらゆる意味で帝国主義的な大統領制である。
 ネオコン勢力に乗っ取られたブッシュ政府は、米ネオコン勢力のマウスピースたる『ザ・ウィークリー・スタンダード』編集者による定義に従うと、「強い国づくりと外国には道徳を押しつけるという新レーガン主義の外交政策」を採用したのである。強い国づくりは圧倒的な軍事力を見境なしに用いるという意味にねじ曲げられ、外国への道徳の押しつけは、ケチな王朝が復讐のために小さい国に体制変更を強制することとして実行される。

 アメリカを自国内では分裂させ、国外では孤立させたことは、国を弱体化させ道徳を破産させる政策である。民主党の大統領候補ジョン・ケリーが示唆しているように、それは使い物にならない観念論と誤った傲慢さによって機能不全に陥った政策である。それは超大国の地位を引きずり降ろし、崇高な目的のまえには無力同然のものにしてしまった。

 イラクのように10分の1しかない小国の時代遅れの軍隊を破ったところで、超大国の決定的な力を証明するのは難しく、その一方で、カリフォルニア規模の国を占領するのに伴う問題が、その超大国を途方に暮れさせているのだ。

 どんな大国も世界の警察官たることはできないという教訓をアメリカは骨身にしみて学び、そのことが冷戦の最後の段階をデタントに導いたはずだ。

 米国によるテロの定義づけをもってしては、「テロとの戦い」は勝利できない。偽りの自由として許される図々しい不正義をもってしては、世界中のテロを根絶やしにすることが熱帯雨林地帯ですべてのキノコを刈り取ってしまうことより難しいものになる。

 米国の「テロとの戦い」の最重要項目であるイラクへの侵略と占領は、超大国の地政学が機能不全に陥っていることを例証するのに役立った。この戦争は、最初はテロ支援国家を取り締まるという口実で始められ、その後、大量破壊兵器を前もって排除するというものになったが、どちらも後付けの口実で本当ではなかったと判明した。

 部族社会に民主主義を導入するという現在の高潔な最終目的は、多数派であるシーア派の民主政体がワシントンの心に描くイラク像とかけ離れているので、破滅的なほどの地政学的反動に行き着くことが判っている。

 批判を受けた侵攻の口実を放置してきたなかで、市街戦も予期されたイラク戦争の短い侵攻局面においてではなく、全面的な占領の局面に入ってから、アメリカの正規軍と民衆の参加する市民軍とのあいだの予期しなかった市街戦がイラクに出現することになった。

 ◆歴史の教訓
 アメリカ独立戦争からの歴史的教訓はこうである。−−独立への情熱と住民からの共感、そして土地への愛着で武装した民衆の参加する市民軍は、軍事的に優勢な外国の占領軍を上まわる抜きがたい優勢を発揮する。

 2世紀も前にアメリカの独立の戦士が学んだように、水を得た魚のごとく民衆に溶け込んだ大衆的なレジスタンスは、イギリス占領軍が無実の市民を虐殺することなしに抑制することができなかった。独立戦争に共感を示す市民を閉じこめてアメリカの教会を焼き払ったイギリス軍は、反乱を抑えることに失敗した。

 バンカーヒルの戦闘で英軍トーマス・ケージ将軍は独立運動に凶悪犯と脱税者のずぼらな集団だとレッテルを貼ったが、これはラムズフェルド米国防長官がイラクレジスタンスに「少数の凶悪犯」とレッテルを貼ったこととよく似て、現実を認めることができないことによる指揮能力のなさを目立たせることにしかならなかった。英軍は技術的には戦闘に勝ったけれども、英軍に多くの犠牲が出たことがケージの辞任につながった。

 バンカーヒルの戦闘は、民衆蜂起を打ち負かすというイギリスの戦争目的は無用だというシグナルを送った。虐殺される無実の市民が多くなるにつれて、レジスタンス側の勢いはそのような残虐な殺害にあうことで補強されていくのであろう。それは力づくの外国占領軍に対する自然の法則のようなものだ。

 ラムズフェルドは現在のイラクの戦闘を、「(米国の)意志が試されている」と表現した。だが問題は、占領から自由になるために戦っているのはどちらの側か、外国を占領しようとしているのはどちらの側か、ということである。

 世界中の民衆の意志が、分別のない単独行動主義の米国の政策に反対するようになっており、民主主義はわがままで気が触れた超大国の友人になろうとはしないだろう。

 ◆戦闘の拡大
 スンニ派教徒の拠点であるファルージャで、4月2日に4人のアメリカ人警護要員(事実上の傭兵)が殺害され死体が損壊された事件は、占領された国民の激怒と憎しみを証明して見せた。

 3万人以上の傭兵が営利目的でイラクの再建に関わる外国人契約企業の警護員として働いており、占領軍から保安の提供と戦闘地域の秩序維持に責任を負っている。アメリカの文民代表ポール・ブレマーでさえ、アメリカ兵からではなく契約した警護要員から保護を受けている。

 これら武装した傭兵は、公式には攻撃作戦にはたずさわらず、発砲を受けたときの防御にのみ武器使用を認められている。侵略者が侵略を受けた側からの攻撃に対して自衛したと主張することはほとんどなく、その区別は実用的なものでしかない。侵略者の存在そのものが、当然のこととして侵略された側からの敵意を引き出すという攻撃的な行為なのだ。

 いわゆる中東専門家と亡命イラク人から助言を受けた米国の戦争立案者の予言では、イラクではアメリカ人は軍服を着ていようと脱いでいようと、抱擁と花束で女性と子どもから歓迎されると言われたものだ。だが、実際には、虐殺と冒涜で迎えられたのだった。子どもたちは、駆除されたネズミのごとく殺害された侵略者の死体に対して、路上で歓喜して踊っていた。

 傭兵の利用は、戦争の民営化以外のなにものでもなく、新自由主義者によるマーケット至上主義の究極の流行病である。

 傭兵は戦争犯罪に関するジュネーブ協定にもとづく保護を受けておらず、死体の損壊は敵兵によってなされたのではなく、占領された国の激怒した民衆によっておこなわれた。焼かれたアメリカ人傭兵の遺骸を映したテレビ映像は、失敗した米国の政策を象徴するものだった。それは儲けのために体制転覆をおこなった犯罪に対する暴力を表現するものである。

 ファルージャでの待ち伏せ攻撃に対する報復として4月6日に米海兵隊が展開した「用心深い留保」作戦は、その作戦の二日目には13人の海兵隊員を戦死させることになった。4月7日には、米軍はスンニ派ゲリラと二つの都市で戦闘をおこなった。

 中心的な病院のラフィ・ハヤド医師によれば、前日に市を封鎖していた米軍と衝突した結果、ファルージャの市街戦で最低でもイラク人450人が殺され、1000人以上が負傷した。

 さらにイラク南部では、米軍は数千人とみられる聖職者サドル師の民兵マフディ軍によるシーア派の蜂起と衝突し、2正面での戦争は既に何十人もの合同軍兵士を死亡させた。膠着状態が続いている。

 サドルは貧しい者および解放されていない人々に人気のある指導者という地位を享受している。イラクでの民主主義はイランの路線に沿って反米的な国家形態を生み出すだろうという見通しを米国が拒絶したことに、シーア派が怒っている。それが反乱の背後にある理由なのだ。

 根底にある戦争目的が民主主義の拡張にあるとする主張にもかかわらず、シーア派が支配する可能性があり、それが米国によって認められないのだろう。米国がサダム・フセインを倒したのは、彼が独裁者だったからではなく、彼がアメリカのための独裁者ではなかったからである。

 この数週間のうちに、イラクの空気は完全に変化した。ニューヨーク・タイムズのジェフリー・ゲトルマンは、散発的なゲリラ戦が広範囲の民衆蜂起へと爆発したと伝えてきた。

 「有志連合」は戦う意志が弱いことも判った。スペインは1300人の軍隊を撤退させつつある。バグダッドの南、クートでは、頑強なシーア派レジスタンスがウクライナ軍を市の外に撤退させた。その撤退は事実上、市の統制をサドルの支持者に譲ったのである。

 ブルガリアは米軍に、カルバラに展開する450人強のブルガリア軍大隊を補強するよう要請した。ここではシーア派の蜂起が広がっている。イラク人に政権を移譲するというアメリカの青写真を実行するためには、合同軍は彼らの意志を激しい流血で試されることになり、6月30日のイラク暫定政府への主権移譲が注目されている。

 ブッシュ大統領は4月6日の演説で、6月30日にイラクに主権を戻す計画を変更するつもりはないと述べた。米国は犠牲者を増やすことなく居続けることはできないが、イラクを内戦状態にすることなしに撤退することもできない。

 2月にサドルは彼の民兵組織は「占領への敵」と宣言した。3月には、選択的な民主主義の原則を誇示するかのように、アメリカ当局はサドルの新聞アルハウザを暴力を扇動していると非難して閉鎖した。60日間の発行停止は、より大きく手に負えなくなった抗議の1週間の始まりだった。

 この新聞はシーア派にとって重要なシンボルであった。アルハウザという名前は、1000年以上の歴史を持つシーア派の神学校に由来する。その聖職者は中東の歴史で重要な役割、しばしば軍事的役割を果たした。1920年には、ナジャフのハウザの聖職者がイギリスのイラク統治に対して反乱を呼びかけたことがある。

 イラク武力衝突は、バグダッド陥落以後では第1回となる通商博覧会への参加をめぐって、外国企業の一部にタメライを生じさせている。博覧会は、外国企業に対して、地元事業者および行政当局者とともにイラクの戦後復興に着手するよう仕向ける狙いを持っていた。だが4月5日に始まる予定になっていたバグダッド博覧会は、治安上の理由で月末まで延期された。

 この催しには地元業者や多国籍企業とならんで、イラクの通商、工業、金融、農業、企画の担当大臣も参加することが予想される。イラクの石油は再建にも投資されることが期待されるが、西側石油企業は出席について明確にしていない。

 ロンドンに拠点をおくBP(ブリティッシュ・ペトロリアム)は出席する予定をしてない。ノルウェーの石油会社ステイトオイルは、イラクに来ることなくノルウェーからイラク石油省に助言を送っている。

 米国が任命した占領軍暫定当局と25人のイラク統治評議会に対する人々の軽蔑は、占領と未決定の暫定政府に反対してイラク国民を結束させる役割を果たしている。評議会はアーメド・チャラビのような亡命者によって支配されていると広く非難されている。彼はイラク国民会議の指導者だがイラク国内ではほとんど民衆の支持がない。

 尊敬され穏健なシスタニ師と好戦的なサドル師のあいだに緊張関係を作ることによって分断して支配しようとした米国の占領政策は、共通の信仰と国民の解放という名目のもとに戦うことを主張する民兵組織がバグダッドはじめ幾つかの都市で占領軍と衝突したことによって効力を失った。

 サドルは占領軍が居住地域から撤退し政治犯が釈放されるまでレジスタンスを続けると誓った。サドルが発表した声明には、「この反乱はイラク国民が占領に満足しておらず、そして彼らが抑圧を受け入れないであろうことを示している」と書かれていた。

 サドルはイラクに軍隊を派遣したすべての国に、その軍隊を撤退させるよう呼びかけた。「私は大いなる悪ブッシュに言葉を贈り、民主主義に反対しているのは誰かを尋ねる。平和的なレジスタンスを支持している者か? それとも国民を爆撃し血を流している者か?」

 レジスタンスのパターンと犠牲者の規模は、少なくとも6月30日まで、来月には増大すると予測されている。米国の導入する新政府がその日以降もイラクを掌握でき、民主主義が試される期間に生き残ることができるという指標は存在しない。

  (ヘンリーC Kリュウは、ニューヨークに本部を置くリュウ投資グループの会長)