【ねこまたぎ通信】

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反米の怒りが、強まるイラクのレジスタンスを団結させる

2004年 4月12日 月曜日  □□□□ □■  (転送歓迎)

 イラク戦争までは、亡命イラク人の発言やネオコン勢力の発言、ブリーフィングを積極的に流し続け、戦争の「大義づけ」に一役も二役もかったニューヨーク・タイムズ。どの程度の反省をしたかは即座に判断しがたいけれど、Sunni-Shiite Cooperation Grows, Worrying U.S. Officials 4月8日付につづいて、今回もイラクでの占領への抵抗が広がる土壌を丹念に追って報道している。なお上記の記事は次のURL。

http://homedelivery.nytimes.com/HDS/SubscriptionT1.do?mode=SubscriptionT1&ExternalMediaCode=W24AF

  ☆★レジスタンスが広がる土壌、占領下で育つ若者たち

●Anti-U.S. Outrage Unites a Growing Iraqi Resistance
反米の怒りが、強まるイラクレジスタンスを団結させる
ニューヨーク・タイムズ 4月11日 By JEFFREY GETTLEMAN
http://www.nytimes.com/2004/04/11/international/middleeast/11RESI.html?ex=1082686705&ei=1&en=849b3db0b49c1fa4

 バグダッド、10日発/モニール・ムンシルはアメリカ兵を殺す用意ができた。屈辱、恐怖、怒り、落胆−彼は感情の高ぶりを抑えるのに、何ヶ月も苦心していた。
 「しかしこの二週間、こうした感情が私のなかでふくらんだ」とムンシル氏(35歳、労働者)は話す。「アメリカ軍はシーア派教徒にもスンニ派教徒にも、同時に攻撃している。彼らが一線を越えてしまったからには、銃を取らざるを得ない」。
 上品な指とミツバチ色の目をした29歳のアハメドは、死んだ犬に爆弾を仕掛けて、ハイウェイに置いている。彼とそれを手伝う仲間は、特に最近は忙しかった。アハメドは「仕事を夜11時以後に始めるから」と言った。「グループは小さく友だちのようなもので、名前すらない」。
 野菜の売り子をしているハリフ・ジュマ(26歳)は、彼と甥が先週、カラシニコフ銃の中古品を購入したと話した。「正直なところ、僕たちは以前はこんなではなかった」という。「だけど僕らは信仰心のある人間だし、宗教指導者が脅迫されていたんだ。こんな時に、妻といっしょに家のなかにいるのは恥だろう」。
 新しいイラク人のレジスタンスの波が、圧倒的な反米意識によってシーアとスンニをゆるやかな団結に結びつけ、何万人もの人々を集めている。
 3月31日、ファルージャの反米ゲリラが4人の警護請負メンバーを待ち伏せして彼らの死体をなぶりものにし、その数日後には、若いラディカルなシーア派聖職者ムクタダ・サドルの激しい言葉が四つの都市で実力闘争を促した。
 バグダッド、クファ、ナジャフ、バクバ、ファルージャで、シーア派教徒とスンニ派教徒へのインタビューは、どちらも同じようにレジスタンスに参加することを決心した新しい男たちの、そしてわずかながら女性の集団を示すものになった。彼らは武器を扱うことに慣れ、戦闘に加わることにあこがれる若い世代を登場させた。
 急成長するゲリラ勢力の規模を推し量る方法はないが、しかし幾つかの都市における憤激して武装した人々のデモは、たぶんそれが何万人もあとに続いていることを示している。多くの人々は、自分たちを専従の自由の戦士すなわちムジャヒディンだとは思っていない。彼らは八百屋や事務所、自動車修理工場、学校といったところに仕事を持っているのだ。
 しかし、いったん時がくると、彼らは銃を手にリーダーの背後に整列すると言う。ジュマは「今は自分の店にいるけど、もし何かが起こったら、店を閉めて武器を持って彼らに加わるつもりだ」と話した。
 「準備はできている」−−幾人かは緩やかな命令系統を解説した。ジュマはサドル師を支持しているが、しかし彼の民兵組織マフディ軍には参加してない。彼はクーファ近くのモスクで、イマームイスラムの導師)から指示を受け取るのだと言った。
 アメリカの当局者はサドル師の逮捕令状を出した。彼は出身地のクーファで先週末に基本見解を表明し、そのあと姿を消した。
 多くのイラク人が武器を持っているのは、一つには、アメリカ指揮する占領者が略奪者や犯罪者から市民を守らないことが頻繁にあるからだ。今や人々は通りに出るのに自分の銃を携行する。
 アラ・ムハンマドバグダッドに住む24歳の整備士だ。彼はトラックを修理するのが好きである。先日、主にシーア派教徒が住むカダミーヤ地区で事件が起こったとき、彼は仕事場から自宅に走り、カラシニコフ銃に弾丸を装填して表に出た。
 「もし米軍がこっちに来たら、われわれは彼らと戦うだろう」とムハンマドは話した。「自分の家、自分の通り、自分の国土、自分の宗教は自分で守るつもりだ」。彼は靴を履かず、スウェットパンツ姿で歩道に立っていた。「裸足で戦いたい」と。
 ムハンマド氏は最近マフディ軍に参加したと話した。彼が弾薬ベルトを革ヒモで結び、戦闘の前に一杯の水をノドを鳴らして呑むのを見て、近所には感服する者もいるが、他の人々は顔をしかめた。顧客のアディル・ハッサンは「このような若い男が多いのはまさに犯罪だ」と言った。「彼らは不要だ。彼らの銃など要らない。厄介な問題がどんどんあらわれる」。
 イラクの若い世代全体がレジスタンスに苦(にが)い思いのなかで成年に達している。4人のアメリカ人警護会社要員がファルージャで待ち伏せされて殺されたとき、死体に火を放ちユーフラテスの橋まで引き廻して吊したのは暴徒化した少年の群れだった。
 分厚く大人並みの手をした16歳のソラン・カリムは、アメリカ人を殺すのは良いことではないと言う。ソランは学校の外に出ると、「それは最高のことだよ」と言った。
 「彼ら(米兵)は異教徒だし、攻撃的で、イラク人相手に狩りをしている」−−ソランの友人が率直に言った。オマル・ハディ(12歳)は「僕らはフットボールとか大理石遊びがしたいんだ。しかし米兵が僕らを外に出させない」と言った。
 もう一人の少年スハイ・ナジム(13歳)は、「僕たちは彼らの兵器が恐いかもしれない。しかし僕たちは彼らを恐れない」と言った。
 警護契約員が殺害された2、3日後、米海兵隊バグダッドの西方35マイルにあるファルージャに侵攻し、攻撃の背後にいる反米ゲリラを掃討する大攻勢に出た。これまでい300人以上が殺された。
 1年前にサダム・フセインが倒される前には、この街の若者はその部族的なコネクションとスンニ派の親近感ゆえに、先駆者であり、エリートであり、最高の職務につく最有力候補と言われていた。今では、もっとも攻撃的な米軍戦術と占領の矛先をまるごと突き付けられて、彼らは漂っている。西岸地区とガザ(訳注:いずれもパレスチナ)の怒れる若者のように、イラクの子どもたちも戦士への賞賛と冊子、映像、音楽に囲まれている。
 人気のあるイラク人演奏者サバハ・アル・ジェナビは、アメリカ人殺害の前に売り出していた歌のなかで、「ファルージャの男たちこそ厳しい仕事をこなす男たちだ」と歌っている。「彼らはロケット弾でアメリカをマヒさせた。イスラムの男は指導者のない兵士のようにアメリカ軍と戦おう。砂ぼこりのなか、ブッシュの死体を引きずるだろう」。
 32歳の労働者アブドル・ラザク・アル・ムアイミは次のように言った−−「息子にはアメリカ兵を殺す訓練をしている。私がサダム・フセインに感謝しているというのが一つの理由だ。全イラク人が武器の使い方を知っている」と。
 多くの親たちと同じように、ムアイミ氏も、米兵が彼に子どもの前で恥をかかせたと言う。
 「彼らは家に捜索に来て、私のコーランを足蹴にした」と彼は話した。「彼らは息子の前で私をひどく貶(けな)した。息子がアメリカ兵を憎むようになったのは、私がしむけのではない。レジスタンスに彼が参加したいというのも、私がそうさせたのではない。アメリカ兵が私のかわりにそうさせたのだ」。
 ムアイミ氏は10歳になる自分の息子はアメリカ人への暴力に参加しなかったと話した。しかし、悲惨であるがゆえに、アメリカ人(の遺体)があったら、息子も加わっていたろうと気づいている。
 「息子はこう言ったんだ−−『父さん、これはちょうど、あいつらが僕らにしたようなことだね。彼らは女の人を焼き殺し、子どもを焼き、男たちを焼いたんだ』と。私の息子は、今回は4人を殺して死体を燃やしたが、何時の日か彼らをみんな燃やしてやりたいね、と言ったんだ」。
 「想像してくれ、彼はまだ10歳だ、その息子がそんなことを言うんだ」−−ムアイミ氏は悲しそうに頭を振った。「息子はちょうど真っ白な帳面みないなもので、そこには何でも書き込める。彼は何でも受けとめるだろう。そしてそれは記憶にとどまるのだ」。
 (タイムズのバグダッド支局でイラク人スタッフがこの記事を書くのに貢献した)