【ねこまたぎ通信】

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ファルージャで、アルジャジーラが攻撃目標に

2004年 4月10日 土曜日  □□□□ □■  (転送歓迎)

きょう紹介するニュース&報道
  ・ファルージャ: バグダッドからの救急車も街に入れず
                      アルジャジーラ 4月10日
  ・米軍、ファルージャで停戦を求める    CNN 4月10日
  ・クロニクル記者: ファルージャ近郊で誘拐、解放
               サンフランシスコ・クロニクル 4月9日

  ☆★バグダッドからの救急車も、攻撃受け街に入れず

●Aljazeera targeted in Falluja
 アルジャジーラ 4月10日 2:50 Makka Time、23:50 GMT
ファルージャで、アルジャジーラが攻撃目標に
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/3B3253DC-F741-4F90-B568-2C9CBDEFECD4.htm

 火のついたイラクの街ファルージャで、アルジャジーラ取材陣が銃撃にさらされた。包囲された街の中から報道している唯一のテレビ取材陣であるアルジャジーラは、現地メンバーが金曜日に2度、発砲を受けたと不満を伝えてきた。
 アメリカ兵とイラクレジスタンス戦士とのあいだの激しい戦場に変わったファルージャの街で、スタッフはその後、より安全な場所への移動を余儀なくされた。

 ファルージャにいるアルジャジーラ通信員アハマド・マンスールは、米軍のF16戦闘機がアルジャジーラの事務所に驚くほど近い場所へ爆撃をおこなったと伝えた。

 ◆攻撃目標
 アルジャジーラ報道陣は、過去にもしばしば、みずからをアメリカの攻撃を受ける側だと自覚させられてきた。

 アフガニスタンの戦争では、首都カブールにあるアルジャジーラ支局が爆撃された。アルジャジーラ通信員タリク・アユーブは、昨年のイラク戦争を放送する準備をしていて、米軍戦車に撃たれて首都バグダッドで殺された。

 マンスールファルージャからの報道で、包囲された街における内側の状況は厳しいものがあると伝えてきた。いたるところが米占領軍の兵士に包囲され、市内の住民は生活物資の蓄えが尽きてしまった。

 多くの死者を包む覆い(おおい)を必要として、その地のモスクから大衆的な呼びかけがおこなわれた。地元の医者は市内でのイラク人の犠牲者(死者)を450人と発表した。

 重傷者を疎開させるためにバグダッドから来た救急車は、街に出入りすることが困難になっている。アメリカ兵が発砲したため、タリブ・アル・ジャナビ医院に行こうとした6台の救急車は、引き返さざるを得なかった。


 ☆★米軍が再度、停戦を求める/ファルージャ

●U.S. seeks Fallujah cease-fire
 CNN 4月10日 05:35 EDT (0935 GMT
米軍、ファルージャで停戦を求める
http://www.cnn.com/2004/WORLD/meast/04/10/iraq.main.int.ceasefire/index.html

 バグダッド発/アメリカ率いる合同軍は、スンニ派の拠点であるファルージャで、敵の戦闘員とのあいだで双方からの停戦を土曜日に実現しようとしている−−アメリカ軍が発表した。この動きは不安定な都市にイラク人の管理を実行する試みである、と、アメリカ軍広報官キミット准将が述べた。

 「もし停戦が保たれるなら、ファルージャの合法的な統治当局の再建に関する協議が始まるだろう」とキミットは言った。「この動きは、ファルージャの敵対分子もまた停戦を尊重するものと期待している。合同軍はつねに自衛のための固有の権利を保持するだろう」。

 この動きは、イラク人が死者を埋葬し、援助物資が地域内に運び込まれるのを認めるために、合同軍が一方的に攻撃を停止した翌日に出てきた。

  ※ 訳注:アルジャジーラによるファルージャ市内からの報道では、ブレマーが一方的に停戦を発表したあとも、米軍の攻撃は停止されなかった。

 土曜日朝の記者会見は、会見のあと約1時間して、正午に停戦を実現するために、メッセージを取り出すために敵側に向けた試みだった−−キミットは述べた。

 ファルージャは現在、米第一海兵師団の管理領域に入っている。金曜日には、イラク統治評議会メンバーが、ファルージャの指導者及び反占領軍勢力の指導部と事態を沈静化するための会談をおこなった。

 米海兵隊は女性と子どものみに市外に出ることを認め、他方、食糧や医薬品などの人道援助物資が市内に運ばれることを認めていた。しかし(米軍からの)攻勢が停止されても、散発的な戦闘が続き、少なくとも海兵隊員1人が死亡した。

 金曜日には、人道的物資を運ぶ車列が攻撃を受けたこともあった。別の事件として、第1海兵師団は少なくとも16人のゲリラが海兵隊に発砲し、洞窟に逃げたと発表した。武装搭載のAC130改良攻撃機が、その洞窟に、500ポンドのレーザー誘導爆弾2発を投下した。「海兵隊の発表では、「爆弾は目標に正確に命中した」という。

 ファルージャは4人の米警護契約員が先週殺され、その遺体が損壊され通りを引き回された都市である。

 これとは別に、ペンタゴン高官の発表では、金曜日にはバグダッド国際空港近くで燃料輸送車隊が攻撃を受け、2人の米軍兵士と人数は不明の民間契約者が行方不明になっている。その他にも、この攻撃で第13支援軍団の兵士とイラク人運転手が死亡し、12人が負傷した。民間契約者の国籍はすぐには判っていない。トラック4台の車列が小火器とロケット弾で攻撃され、爆発して炎に包まれた。

 4月の初めから、少なくとも51人の合同軍兵士(ほぼ全員がアメリカ兵)が死亡し、バグダッド陥落後ではもっとも犠牲者が多い事態となった。現在までに、753人の合同軍兵士が戦闘で死亡しており、そのうち650人は米軍兵士である。


  ☆★クロニクル記者: ファルージャ近郊で誘拐された顛末

●A dangerous ordeal amid the mayhem of Fallujah
 Chronicle correspondent is kidnapped after being fired on
 サンフランシスコ・クロニクル 4月9日
ファルージャの騒乱のなかで遭遇した危険な体験
     クロニクル通信員が発砲を受けたあと誘拐される
http://sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2004/04/09/MNGVT62TEA1.DTL

 ファルージャの外側で/ 1台の小型トラックが横につけるや、最初の銃弾がわれわれの車に当たった。怒りで目を大きく開き、険悪な表情をした若者がさらにフロントガラスに撃ってきた。彼らのうしろから、ロケット砲とAK47で武装した多数の男を満載した大型トラックが来て、われわれを指さして撃ってきた。

 「ノー、ノー! われわれはジャーナリストだ」−−私はアラビア語で叫んだ。防弾ガラスで密封した窓を通してはわれわれの声は届かず、また聞こえても、気にかけなかっただろう。

 悪いところへ、悪い時期に来たのだから。

 私たちはファルージャの南2、3マイルのあたりで、海兵隊が近くで軍事作戦を指揮していると言う米軍兵士によって、バグダッドに向かうハイウェイから脇道へ方向を変えさせられた。軍事作戦はゲリラと米軍のあいだで昨年5月以後では最大の戦闘になるものだ。

 私の同僚であるタイムズ紙(ロンドン)のスティーブ・ファレルはホコリのなかをUターンした。私たちの乗るメルセデスのタイヤが吹き飛び、停車した。カラシニコフ銃とロケット砲を持った3人の若者が私たちに近づいてきた。黒い衣装をまとった別の一人が私を車から連れだした。

 「私たちはジャーナリスト、ジャーナリストなのよ」−−アラビア語で繰り返し叫んだ。

 彼は私を叩き、道路一杯に集まってきた武装した何十人もの男たちに、金切り声で命令した。ファレルが私の方に来させられ、私の腕をつかんで車に乗った。私もその黒衣の男に押し込まれた。彼はファレルに頭突きをし、私たちが諜報機関のスパイだろうと叫んだ。彼は一緒にいるのはムジャヒディーンだと言った。

 彼が言うには、彼らはイスラム教徒であり、私が女だったから、殺されなかったのだという。ファレルだけだったら殺されたかもしれない。

 私たちはファルージャ西方の村をハイスピードで連行された。幾つかの小さな家屋の前に音を立てて停車するまで、重武装した男たちの存在は全員が異彩を放っていた。私たちは再び取り囲まれ、もう一度、私たちはマントラ(呪文)を繰り返した。−−「われわれはジャーナリスト、ジャーナリストなのよ」と。

 灰色の髪をした背の高い男が、私の顔にパンチを浴びせた。と、突然、黒いセダンが到着した。

 黒い衣装をまとって、ウォーキートーキーを持つ別の若い男が飛び出した。彼はファレルの記者証を見つけて、他の者たちに私たちを自由にするよう命令した。

 「お前たちは何をしているんだ?」−−彼はあわてて言った。「彼らは報道関係者なんだぞ」。

 彼は私たちに、「われわれはムジャヒディーンだ。心配することはない、怪我をさせるようなことなしない」と言った。

 私たちは村の指導者ムフタールの家に連れて行かれ、客間に通された。少しして、60歳になるムジャヒディーンの指導者が武器をもった護衛を伴ってやって来た。このアブ・ムジャヒドと名乗る指導者は、私たちがアメリカのスパイでもイスラエルのスパイでもないことを確認したあと、話しかけてきた。

 「あなたたちに伝えたいことがある」と流ちょうではない英語で彼は話し始めた。「私はなぜアメリカ軍がイラクの人々を殺すのか知る必要がある」。そして彼はみずからその問に答えたーー「石油だよ。私はブッシュとブレアに、なぜお前たちは石油のために人を殺すのか尋ねたい。きょうもアメリカ兵が3人の子どもを殺した。5歳と3歳、4歳(断定的には確認できなかった)の子どもだ。なぜなのか?」

 「アメリカ軍は今、ファルージャ一帯にいる。民主主義とは人を殺すことなのか? これがアメリカの言うウソだ。アメリカ国民に問題はない。アメリカ軍が問題だ。」

 彼は私たちが先に経験したことを謝罪し、それは犯罪行為であり、ほんとうの神聖な戦士がすることではないと言った。途中、彼の尋問は大きな音で中断されたが、ムジャヒドはその日、アメリカ軍に2、3度のロケット砲攻撃をしたと話した。そして立ち上がると、「今から10発、ロケット砲を撃ってくる」と述べた。

 もう一人の青年が言葉をはさんだ。「あなた方は4人のアメリカ人(ファルージャで殺されユーフラテス川の橋に吊された)の身に起こったことを知っている。その4人はCIAの仕事をしていた。もしムジャヒディーンがアメリカ兵、スペイン兵、イギリス兵を捕らえたら、われわれは焼いて首に縄をかけるだろう」と。

 彼が立ち去ったあと、ムフタールの家族が私たちに遅い昼食を接待してくれた。ロースト・チキン、トマトとキウリのサラダ、焼きたての丸くて平たいイラク式パン、そして紅茶。彼らは「私たちはアラブの民であり、あなた方は客人だ」と言ったが、私は食欲があまりなかった。

 彼らは少しも自称ムジャヒディーンの支援者に見えなかった。ムフタールは、「イラク国民は占領にウンザリしている、特にアメリカ兵とムジャヒディーンに」と話した。「ムジャヒディーンが家に住み着いて、彼らは米軍を攻撃するとき屋内にいるように私たちに言う」。

 ムフタールの兄弟は、「アリババ(盗賊)はやりたい放題だ。イラク人の警察とイラク政府が必要なんだ」と話した。

 およそ午後8時頃、私たちの所有物の大部分は、持っていた金銭を除いて、届けられた。私たちは立ち去る用意ができた。しかしムフタールの家族は、私たちだけではバグダッドに戻らせず、別の車で私たちをエスコートすると主張した。

 「あなた達が幸せにここを去るのは、神のおぼしめしだ」とムフタールは言った。「間違いなく、安全にバグダッドに送り届ける。あなたたちだけで行くのは、ひじょうに危険だ」。